講演:リバタリアニズムと表現の自由 

 2024年11月30日、オンライン上で「リバタリアニズムと表現の自由」という講演会が開催されました。当協会からは講師として会長・前川範行を、連絡役として副会長・中条やばみを派遣しました。 「表現の自由界隈」並びに「リバタリアン・サークル」等から数名が参加し、1時間半の時間を過ごしました。講演会の流れとして、まず前川の基調講演を行い、その後、参加された方々から質疑応答を受け付けました。 

 基調講演の要旨は以下の通りです。①「表現の自由」は理想社会・非理想社会のいずれにおいても根拠づけができず、存在しない、②「表現の自由」の侵害として一般に認識されているものの多くが政府による自己所有権の侵害である、③「表現の自由」を守るのではなく、人々に強制を行使する政府を打倒することが肝要。 

 頑強な一致があるとは言えませんが、マレー・ロスバード『自由の倫理学』以来、「表現の自由」や「言論の自由」が他の自由・権利と独立に存在すると考えるリバタリアンはそこまで多くありません。多くのリバタリアンが重視するのは強制がない状態です。また、「表現の自由」を根拠にした自己所有権を侵害する行為は正当化されえないと考えます。さらに、実際の表現や言論は物質に依拠することがほとんどであり(例:表現を行う土地・建物)、「表現の自由」は自己所有権によって担保されることでしょう。なお、ハード・コアなリバタリアンは、政府は課税を始めとする略奪によって財を不当に占有しているという認識から、政府は一切の所有権を持たず、「政府の土地」とされている土地は、誰のものでもないと考えています(※厳密には、土地に労働を混入する人――多くは住民・労働者――に所有権が発生していると考える方が無難でしょう。)よって、「政府の土地」での表現活動をすることそれ自体に問題はありません。当然、それが誰かの自己所有権を侵害するものであれば、不正となりますが。 

 リバタリアニズムの知見から言えることは、「表現の自由」に拘泥するのではなく、私たちの表現一般と自己所有権を侵害している政府の打倒が先決である、ということです。もし、政府によって(限定的な)「表現の自由」が認められたとしても、それは新たな規制と政府独占の始まりであり、公認の「表現」以外の表現が規制される結果に終わることでしょう。例えば、政府が強制的に政府系SNSを人々に使用させ、かつ、非政府系のSNSを禁じた場合、そのSNS内での「言論の自由」が認められたとしても、表現一般は毀損されたままです。 

  

 招聘していただいた「表現の自由界隈」の皆様、大変ありがとうございました。 

(リバタリアン協会)