1967年以降の日本におけるリバタリアン思想史研究:機関紙『アナーキ』におけるリバータリアン解釈

 本稿は1967年以後の日本において、政治用語としての「リバタリアン」がどのように用いられたのかを記述する記事である。今回は、主に、アナーキズム研究会の機関紙『アナーキ』を参照する。 

 すでに、「ノート:リバタリアン思想史1」にて、1967年の大澤正道『アナキズム思想史』(今泉誠文社)内で、「リバータリアニズム」が個人主義的アナキズムと同義の擁護として使用されたたことを明らかにしたが、本稿で紹介する『アナーキ』も――不明瞭ではあるが――概ね同じ意義として用いられている。このことから、1967年から1970年代前半までの日本語圏では、リバタリアンはアナキズムないし社会主義との関連性が強い用語であることを詳述し、以下で確認する。また、余談ながら、1985年に足立幸男が「ノヂックの福祉国家批判論」を記していることからも明らかなように、1980年代以降の日本語圏では、リバタリアンはロバート・ノージックや右派・資本主義との関連性が強い用語であるという認識は、人口に膾炙しているところである。 

 なお、『アナーキ』本文中の「,」「.」は、私の手で「、」「。」と置き換えたことをご了承願いたい。また、私は日常的に文脈を捨象して anarchism をアナキズム、anarchy をアナーキーと訳しているが、『アナーキ』に掲載された語に関しては、「アナーキズム」のように各々の筆者らの用語を用いることも併せてご了承願いたい。というのも、例えば「アナーキズム」と「アナキズム」の訳し方の違いに思想史的意味・理論的含意があるかもしれず、両者を統一的に「アナキズム」と表記せずに分け隔てることは、後学のために有用であると思われるからだ。当然に、「,」と「、」の差異に政治思想(史)的・リバタリアン思想(史)的意味があるとは考えていない。 

 本稿の筆者(前川)による注釈は〔 〕で囲った。 

  

『アナーキ』の概要 

 『アナーキ』はアナーキズム研究会が1967年4月20日に発行を開始した機関紙である。編集発行人は、はしもとよしはる氏で、氏は後述するリベルテールの会の『リベルテール』にも寄稿が多く見られる。残念ながら、私が所有している資料が少ないこと(No.1~4、6~12を所持)、おそらく『アナーキ』の発行部数が少なく、市場での流通量が過少であること、そして、日本国内の図書館での蔵書が存在しないことから、その全貌は明らかではないことをあらかじめ断っておく。 

 アナーキズム研究会については、『アナーキ』内に当該団体の説明が書かれておらず詳細は不明だが、いくつかの手掛かりがある。まず1つ目はVol.1 No.1 に掲載された「ある対話(Ⅰ)」である。この記事はAとBの対話篇であり、1967年2月28日と記載がある。『アナーキ』の創刊に驚嘆するAと、創刊したBの対話構成となっている。なお、本当に対話が行われたのか、あるいは、創作的対話篇であるのかは不明である(1)。ともかく、当該記事はBのアナーキズム観を解説する内容となっている。AとBの対話を一部抜粋してみよう。 

A:おめでとう、今度雑誌を出すんだってね。だけど<アナーキ>とはずいぶんだね、おどろいたよ。 

B:そうかね。ぼくはぼくなりに考えてのことなんだ。 

A:第1、アナーキズムという思想そのものがなにか危険思想のように思えるんだが…… 

B:アッハッハッハ、危険思想はよかったね。ぼくたちのねらいも1部はそこにあるんだ。危険思想は今のところアナーキズムしかないと思ってね。これはギャグなんだけど…… アナーキズムには偏見があるよね。偏見は打破しなければ…… なんてそんな気負いはないつもりです。ぼく個人に限っていえば、自由主義、共産主義はそれぞれ一個の観念体系です。ならばアナーキズムも観念体系として研究されるべき何かをもっていると考えるのです。だからぼく達は<アナーキ>に拠ってアナーキズムを実存主義やニヒリズムを研究するように研究します。ぼく達にとって危険思想というのは民衆の側に立っていない思想、民衆の側に立ってはいるが個人やグループの名誉心や権力意志に貫らぬかれている思想、民衆に幻想の光栄や富を与える思想、民衆を信じない、信じるふりをして何かをさそうとする思想をいうのです(2)。 

 次に、巻末に記された「予告」の記述を見てみよう。 

 最近、アナーキズムについて一般の関心のたかまりがみられるにもかかわらず、それが成熟するに至らないのは、取りあげるテーマがおおむねバクーニン、クロポトキンの系譜における初歩的段階にとどまっていることによるからでありましょう。古典はいつの時代、どの場所においても重要なのは云うまでもありませんが、そうした思想が現在どのように受け止められ発展させられているか、ひるがえって、われわれの課題とする時、資料不足が感じられます。また思想の生長は人生の生長と同じく、他の思想と接触し、戦うことによってしかあり得ないのです。 

 当研究会はこの時点で、順次資料を選択翻訳し、同志諸君に届けます。ご声援のほどを願います(3)。 

 また、編集後記にて、 

◎論文には、〔ノート〕をつけていますが、これは参考文献の出所を明らかにして、研究者が追験でき、また参考にするよう希望したものです。 

◎アナーキズムとアナーキストに関する論文、伝記、書簡、詩、小説、風刺画等適宜選択の上掲載して、名実共に機関誌に育てあげたく、心ある方々の助言と批評、また投稿を係までお寄せくださるよう望みます(4)。 

と、記されていることから、アナーキズム研究会は政治運動のための集団ないし組織ではなく、研究・啓蒙を重視する集団であることが分かる。余談ながら、この啓蒙ベースのアナキスト集団は20世紀の日本ではよく見られる特徴である。 

 次に、『アナーキ』の構成だが、目次、中扉、記事、予告から成り立っている。中扉にはアナキストの格言が記述されており、予告には次号の記事や近日中に発刊予定のもの、また、アナーキズム研究会からの告知が掲載されている。 

 連絡先と発行所はバルカン社気付となっている。バルカン社は、幸徳秋水を顕彰する会発行の機関紙『秋水通信』第32号(2022年4月25日)掲載の、アナキズム研究者・亀田博の「『美しき座標』からの想起」に、 

 一九五四年に塩田庄兵衛により『幸徳秋水の日記と書簡』、一九七一年に『「大地」誌に発表された幸徳事件』に全書簡が翻訳され掲載。後者はアナキストのはしもとよしはるさん発行、印刷所を営み、そのバルカン社発行としている 

という記述が見られること、また、『リベルテール』においてもバルカン社気付の記載が見られることから、当時のアナキスト集団の相互扶助的な印刷所であったことが伺える。 

 価格は会費6か月600円、1年1200円である(5)。なお、No.2の編集後記には6冊分600円と記載されている(6)。 

 掲載されている記事は、寄稿者の記事(アナキズム的内容)、海外のアナキストの出版物の翻訳、対談記事、詩等である。 

『アナーキ』におけるアナーキズム理解、リバタリアン理解 

 『アナーキ』におけるアナーキズム理解、そしてリバタリアン理解はどのようなものか。先程の「対話」記事での、Bのアナーキズム理解は以下となる。①バクーニン、プルードン、クロポトキンらのゆるぎない思想家・革命家によって提要された潮流が存在すること、②それとは別にトルストイ、アーモンヘネシー、ヴェルジアエフ、シモーヌ・ヴェイユ(そしてクロポトキン)らの宗教的・キリスト教的潮流が存在すること、③スチルネル〔マックス・シュティルナー〕を源流とする実存主義的・個人主義的な潮流が存在すること、④アナーキズムは19世紀に意識された思想として、コンミュニズム〔コミュニズム〕と双生児であり、自由主義とも近親関係にあること、⑤啓蒙思想家を萌芽とし、その後政治思想として革命家を働かせ、また、芸術家にダダイズム、シュールリアリズム運動を実行させたこと、⑦ニヒリズムとは血縁関係にあるが、それとは異なり現実の人間に対して”ウイ”〔oui、はい〕と云う思想であること、⑧権威に抵抗(権威を認めない)し、無神論者であり、科学的思考・理論を武器とし、主人/奴隷関係を看取って奴隷の側に立つこと、中央集権を排して地方分権を認め、ヒエラルキーを悪とみなすことを挙げている(7)。これらの特徴から、Bのアナーキズム理解は、基本的には、現代においても「教科書的」なものである。本稿においてより重要な視座は、リベルテール/リバタリアンの語が使われてないこと、そして、ベンジャミン・タッカーに代表される、市場志向的なボストン・アナキストの考えが言及されていないことだろう。 

 次に、No.2掲載の吉田千春「アナーキズムは代替になるか?」に付随して掲載されている「<言葉のアヤ>」の全文を見てみよう。 

 近頃新聞広告にアナーキズム関係の訳書がでるのは結構だが、広告文に<絶対自由>とあるのはひっかかる。常識的に<絶対>とは絶体絶命、絶対反対、絶対零度、絶対君主等、これ以上はない限界のぎりぎりを指すのと、最高を意味するようである。問題の<絶対自由>は Libertarian の訳語かと思われるが、しかしどの点からも Absolute の意味はない。P.J. プルードンは進歩と絶対を対置して、進歩は変革で、絶対は静的、権力的、反動的なものと規定し、<19世紀における革命の一般理念>を書いている。このことからして、アナーキズムを絶対自由と観るのはよくない。英国ではウイリアムゴッドウイン以来リバタリアンの思想はラジカリズムとして現在にまで継承されている。更にさかのぼれば、〔ジョン・〕ミルトンの著作を始め、中世神学者の著作にまでこの言葉の源を辿ることができよう。リバタリアンは公権の意味における自由であって、放恣や気ままの自由ではないのだ。現にある自由と違った意味を付すのなら、sur-liberalism、ultra-liberalism、pure-liberalism(超自由主義、純正自由主義)とでも言えようが、いづれも熟さない言葉だから、みなで考えていきたい。とにかく<絶対>だけはごめんだ(8)。 

 現代においてもアナキズム的側面、反権威主義的社会主義のような概念を指す文脈での libertarian は「絶対自由」と訳されることが多い。余談ながら、資本主義的側面、古典的自由主義の側面を指す文脈の場合は「自由至上主義」の使用頻度が多いようだが、「リバタリアン」とカタカナで済ませるケースが最も多い。また、「中世神学者の著作にまで~」と記された一文は、決定論に対する自由意志論としてのリバタリアンを指していると断定してよい。最後に、「絶対自由」とは異なる訳語として「超自由主義」、「純正自由主義」を提唱していることに注目しよう。吉田氏の理解によれば、リバタリアンは現実に存在する自由主義とは異なり、公権の意味における自由の考えだと認識している。この思考法自体は、自由主義とは別個の思想であることを示そうと「自由至上主義」と訳す右派リバタリアン研究者と相違ないものである。ともかく、「自由主義ではないが、自由を重視する思想」という段階に翻訳が留まっていると言えよう。 

 それはそれとして、肝心な点を見過ごしている。リバタリアンの歴史的側面に着目しているにもかかわらず、創設者ジョセフ・デジャックについて言及せず、彼がプルードンを批判する文脈で使用したことを認知していない。それゆえに、プルードンとリバタリアンの語が調和的に「見える」文章となっている(9)。ここで重要なことは、デジャックの存在と、プルードンがミソジストだということに特に注意を払っていないことだ。政治思想としてのリベルテール/リバタリアンの歴史はプルードン批判から始まっているため、この点は致命的とすら言える。 

 次に、同号掲載の小金井達夫「第3のロシア革命―ウクライナにおける闘争」の脚注を見よう。同号の扉絵の格言は、ウドコック『アナーキズム』より引用されており、小金井の補足によれば、 

 但し、ウッドコックのアナーキズムについての結論はいくらか悲観的である。それは彼がアナーキストのインテリに算えられる1人ではあるがどちらかといえばリバタリアン(イギリスの社会主義左派)に属する故であろう(10)。 

と、している。小金井の理解によれば、アナーキストとリバタリアンは異なる政治的存在(あるいは立場)であること、リバタリアンはイギリス社会主義左派の思想であるとしている。まず、後者についていえば、記述の質・量が乏しいため憶測で補わざるを得ないが、ウッドコックやジョージ・オーウェルらが参加した自由防衛委員会 Freedom Defense Committee のような、リバタリアン社会主義者のグループが想起されるだろう。さて、次に前者だが、ウッドコック(ら)はアナーキストではないらしい。この「ニュアンス」の違いを現代の我々が汲み取ることは容易ではなく、今後の探求課題としておこう。いずれにせよ、現代の日本で膾炙しているアナキズム解釈、リバタリアン解釈とは異なるのは確かである。 

  

磯谷武郎の「リバータリアン」の起源と訳語に関する一考察より 

 本稿との関連において最も興味深い記事は、『アナーキ』第7号(1971年7月20日発刊)掲載の、磯谷武郎「「リバータリアン」の起源と訳語に関する一考察」であることは疑いがない。当該記事は僅か3ページというボリュームでありながら、現在のリバタリアン思想史にとっても有益な考えを書き記している。 

 まず、磯谷は「リバータリアン」と「リベルテール」についての起源考察が稚拙であることを指摘する(11)。 

 次に、「リバータリアニズム」の用語が1858年、1898年よりも前に、ジェームズ・ハーディング編(1917年)『宗教と倫理学のエンサイクロペディア』第7巻の「リバタリアニズムと必然主義」(12)にて、アレクサンダー・クロンビー(1760~1842)(13)が哲学に同語を導入したことを紹介している。「リバタリアニズムは必然主義者(14)によって誤って伝えられている。必然主義はリバタリアンによって誤って伝えられている」という同記事の冒頭の記載からも分かるように、哲学上の自由意志論と決定論の論争を紹介しているものであり、この時点では政治思想的な含意はほぼないと言ってもよいだろう。特に、磯谷も述べているように、(政治思想としての)アナキズムとの関係性はあまり見出されないと言ってよいだろう。 

 磯谷は「リベルテール」の語はさておき、「リバータリアン」の語の意味について考察を進める。磯谷によれば、セバスチャン・フォーレが1898年に創刊した「レビスタ・ブランカ」にて「リバータリアン」の語が発明され、その理由として、19世紀当時のアナキストはプロパガンダが禁止されており、代わりとなる言葉が必要だったという「通説」を提示した後に、この「定説」を誤謬として退けている。より早く「リバータリアン」の語を使用した人物に、磯谷はベンジャミン・タッカーを挙げている。まず(1971年当時の)現代的な意味での「リバータリアン」の形容詞的方法の初出として、タッカーが1888年3月10日に『リバティ』誌に発表した「国家社会主義とアナキズム」を挙げた。だが、タッカーが同論文で挙げた「リバータリアン」の語はフランス人のエルネス・ルザーニュから引用したもので、タッカーが「リバータリアン」の発明者ではないと結論づけている。名詞としての「リバータリアン」の初出はさらに遡り、『リバティ』誌1887年1月1日発表の “A Libertarians Pet Despotism” としている。これらのことから、タッカーの時代には既に「リバータリアン」の語が流布されており、また、「リバータリアン」をアナーキズムの分野に導入した「功績者」の特定は至難の業と磯谷は述べた。よって、結論として、「リバータリアン」の語は1886年には(政治思想的な意味として)既に使用されていると云う。なお、文末に、1886年から20年後にクロポトキンが幸徳秋水に宛てた手紙に「リバータリアン」の語が見られると記述されているが、この探求は別の記事によるとして、磯谷の当該論文は締めくくられている。残念ながら、その論文を私(前川)は発見することができなかったため、磯谷の主張の紹介はここまでとする。 

 以上のように、磯谷論文からは①1971年の段階で「リバータリアン」の語は、1980年代の日本で膾炙するノージックやアイン・ランド的な意味におけるリバタリアンとはあまり関係のない意味を有していたこと、②20世紀初頭の理解として、18~19世紀のリバタリアニズムは形而上学的・自由意志論的な用語であって政治思想的な用語ではないこと、③英語名詞における政治思想的な用語としての libertarian の語は(著作上)おそらくタッカーが初出であることが確認される。また、総じて言えば、19世紀から20世紀初頭の(英語圏の)リバタリアンは国家社会主義に抗する社会主義の一派であったと理解可能である。なお、リベルテールの探求は留保されていることからも分かるように、ジョセフ・デジャックがその生みの親であるという事実認識は1971年ごろの日本のアナキストにとって知られざる事柄だったようだ。 

 余談ながら、社会主義的な(また、タッカー的な)意味におけるリバタリアンが20世紀中葉に存在した証拠に、リバタリアン・ブック・クラブ Libertarian Book Club とリバタリアン・リーグ Libertarian League が挙げられる。前者は1945年に、後者は1954年に結成されたアメリカの(社会主義的)リバタリアンないしアナキストの集団である。主に、構成員間で読書と意見交換を行うだけで、政治的行動をとることはなかったとされる。リバタリアン・リーグの探求は今後行うこととしよう。 

おわりに 

 以上のように、機関紙『アナーキ』にて確認可能な1967年~1971年の日本のアナキストは以下の事柄を知っていた、あるいは知らなかった。①リバタリアンの語を認知しており、しかもそれは1980年代以降に日本で膾炙することになる意味とは異なり、社会主義的な概念であること、②リバタリアニズムはかつて形而上学的・自由意志論的な意味であったこと、③英語圏におけるリバタリアンの語の魁はベンジャミン・タッカーであることを知っていて、④ジョセフ・デジャックへの言及は見られない。 

 そして、さらなる問いとして、①なぜデジャック(の存在と思想)は日本に伝播していないのか、②なぜ社会主義的な意味のリバタリアンないしリベルテールは廃れたのかが挙げられる。本稿での探求は都合上できないが、今後さらに探求していく。なお、手掛かりとしては、日本のアナキスト(というよりも社会主義者全般)のアメリカ合衆国と英語圏文献に対する無知が考えられるかもしれない。日本の社会主義思想はフランス(語)・ドイツ(語)・スペイン(語)・ロシア(語)・イタリア(語)が中心的な下地であり、しかも、アナキズムよりもマルクス主義の比重が強い。英語圏の社会主義思想やリバタリアン思想を紐解くことで、解明される事柄も多いだろう。 

(前川範行)

 脚注 

(1) 
No.1 の目次に「ある対話(Ⅰ)」の文責がはしもとよしはる氏であること、『アナーキ』編集発行人がはしもとよしはる氏であることから、少なくともBその人、あるいはBの考えの主ははしもと氏であると推定して構わないだろう。 

(2) 
はしもとよしはる(1967)「ある対話(Ⅰ)」アナーキズム研究会編『アナーキ』Vol.1, No.1, 23頁。

 (3) 
アナーキズム研究会編『アナーキ』Vol.1, No.1, 26頁。

 (4)
アナーキズム研究会編『アナーキ』Vol.1, No.1, 25頁。  

(5) 
アナーキズム研究会編『アナーキ』Vol.1, No.1, 25頁。

 (6) 
アナーキズム研究会編『アナーキ』Vol.1, No.2, 37頁。

(7) 
 はしもとよしはる(1967)「ある対話(Ⅰ)」アナーキズム研究会編『アナーキ』Vol.1, No.1, 24-25頁。 

(8) 
小金井達夫(1967)「現代とアナーキズム」アナーキズム研究会編『アナーキ』Vol.1, No.1, 3頁。

 (9) 
cf.  Déjacque, Joseph (1857) De l’être-humain mâle et femelle. Lettre à P.J. Proudhon, La Nouvelle-Orléans. http://joseph.dejacque.free.fr/ecrits/lettreapjp.htm (閲覧日:2025年5月6日)。

 (10) 
アナーキズム研究会編『アナーキ』Vol.1, No.2, 17頁。 

(11) 
磯谷武郎(1971)「「リバータリアン」の起源と訳語に関する一考察」アナーキズム研究会編『アナーキ』Vol.1, No.7, 1頁。 

(12) 
I. Abrahams (1908) “Libertarianism and Necessitarianism,” in Hasting, James (ed.), Encyclopædia of religion and ethics, Vol.7, pp.902-907. https://archive.org/details/b29001225_0007/page/900 (閲覧日:2025年5月7日)。 

(13) 
Alexadra Crombie は、スコットランドの長老派協会の牧師、哲学者、決定論者。 

(14) 
必然主義 necessitarianism は「起こりうること」という考えを否定する形而上学的な原理であり、自由意志(論)を否定する立場。 

2025年11月6日
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