ビットコイン・スタンダードとは、サイファディーン・アモウズが、2018年に著した著書The Bitcoin Standard : The Decentralized Alternative to Central Banking(邦訳『ビットコイン・スタンダード お金が変わると世界が変わる』)において明確に示された概念である。タイトルともなっているビットコイン・スタンダードという言葉は、金本位制(Gold Standard)を明確に意識している。ビットコインに2100万枚という発行上限が存在しているという事実から、巷ではビットコインは「デジタル・ゴールド」、つまりインターネット時代の価値の保存手段、通貨であると認識されている。アモウズは、オーストリア学派経済学に基づいてビットコインを擁護し、政府と中央銀行が無限に発行可能な法定通貨(Fiat Money)は不健全であり、いずれ全ての経済計算や価値尺度の基準がビットコインになるべきであると説く。そのようにして実現される社会がビットコイン・スタンダード社会である。
アモウズが『ビットコイン・スタンダード』を著した2018年当時、このような思想はほとんど荒唐無稽だったに違いない。しかし、それから10年も経たない2025年現在の状況を見てみるとどうだろう。世界はコロナ禍後のインフレ(法定通貨の価値の下落)に直面する一方で、ビットコインを採用する国家や企業は加速度的に増えている。2024年のアメリカ大統領選挙では、ビットコインをゴールドや石油と同じように国家戦略備蓄にすることを公約に掲げたトランプ氏が大統領に当選した。「国家によるビットコインの所有」と聞いて、2018年当時とは隔世の感がある。
さて、このような事態に至って、我々は「ビットコイン・スタンダード」を、「一部の過激な人々が主張する荒唐無稽な夢」や「そうなることが望ましい未来」として放置し続けることはできない。価値判断はともかく、避け難く近未来において所与のものとなる現実、社会制度として捉えなければならない。なぜか。
現代の通貨制度は完全に行き詰まっている。コロナ禍以降の世界では、インフレ(法定通貨の価値の下落)が問題となっている。どの国でも、中央銀行のバランスシートには大量の国債が積み上げられているが、各国の政府は、安全保障上の問題などから、もはや支出を削減し、国債発行を削減するといった政策を採用することができない。このような、財政支出をますます拡大する政府と、国債の買い入れを止めることのできない中央銀行という組み合わせは、通貨価値の維持という観点から見た時に、恐らく考え得る最悪の組み合わせである。現代の法定通貨は、この先どうやっても価値を維持することができない。人々がまだ十分にそれを認識していないだけであり、いずれそうなれば現代の通貨制度は崩壊への道を歩み始めるだろう。
それでは、他に頼れるものがあるかというと、人々は「法定通貨から資産を逃避させる逃避先」として、ゴールドを初めとする貴金属や、ビットコインに飛び付いている。世界最大のヘッジファンドであるブリッジウォーターの創業者レイ・ダリオも、ポートフォリオにゴールドやビットコインを加えることを推奨している。中央銀行も、特に東側の中央銀行が、ロシアのウクライナ侵攻(とそれに伴うアメリカによる米国債の凍結などの経済制裁)を見て、ゴールドの買い入れを進めている。
しかし、歴史的に見て、金本位制は過去に放棄されている。もう一度金本位制に復帰することはほとんど不可能に近い。その理由は、一般には「金本位制のもとでは、経済成長に伴って、資金を柔軟に供給することができない」からであると説明される。リバタリアン的な立場に立てば、銀行に預託された金塊と兌換紙幣に基づいた金本位制は、政府の没収による制度の破壊に対して極めて脆弱である。その一方で、ビットコインは、十分に分散化された諸個人や企業などの組織が各々セルフ・カストディを行うことで、こうした危機を回避可能である。従って、ここでは法定通貨制度が崩壊した後の社会は、金本位制ではなく、ビットコイン・スタンダード社会であると結論する。
そのうえで我々は、ビットコイン・スタンダード時代において必要な考え方を探求し、確立しなければならない。ビットコイン・スタンダード社会が実現すれば、既存の通貨制度、中央銀行、政府の金融政策といったものは全て抜本的な変更を迫られる。通貨制度は、社会の基盤であり、その在り方が変わるということは、社会の在り方が激変するということを意味する。これが、ビットコイン・スタンダード社会に我々が備えなければならない理由である。
我々は、どのようにビットコイン・スタンダード社会へ移行すべきか?それは、革命によってではない。フリードリヒ・ハイエクが自生的秩序という概念で説明したように、社会制度は本来長い時間をかけた「ルールの進化」によって形成されるものである。社会の革命的な急激な変化は、社会に無秩序と混乱をもたらすだけであり、望ましくない。米ドルを初めとした法定通貨が崩壊してゆくのは避けられないが、革命的な混乱はそれと同じくらい悪いものである。漸進的な社会改良が求められるが、我々に残された時間はほとんどない。
ビットコイン・スタンダードの社会へは、滑らかに、ソフトランディング的に移行する必要がある。国家の通貨制度はビットコインを裏付けとして代替されるため、将来的には不要となる存在であるが、まずは国家がビットコインを受容し、制度に組み込む必要がある。例えば、法定通貨の一部裏付けとして、ビットコインを導入するといった政策が実施される必要がある。その結果として、内在的に法定通貨は克服され、ビットコイン・スタンダード社会へと移行する。トランプ政権にこのような意図があるかは別として、トランプ政権の戦略的ビットコイン備蓄(Strategic Bitcoin Reserve : SBR)は、このような文脈に位置付けることで初めて理解可能なものとなるだろう。
ビットコイン・スタンダード社会は、どのような経済学に基づかなければならないか?それは、「信用創造なき経済学」である。ビットコインは、供給量がプロトコルによって制限されており、誰かが恣意的に通貨供給量を増やすことができないからである。それでは、このような「信用創造なき経済学」は存在するのだろうか。結論から言うと、オーストリア学派はその名に十分に値する経済学の体系である。オーストリア学派経済学は、信用創造の否定という前提から出発して構築されている。しかし、オーストリア学派と言えども完全ではない。オーストリア学派は、理論的には一貫した精緻な議論を提供する一方で、実際にそのような経済体制に移行した時に何が起こるのか、またそのような制度を現実の制度として上手く機能させるために必要な条件については、(オーストリア学派に限らず)まだ明らかにされていない。
しかしながら、そのような経済学、ビットコイン・スタンダード社会を所与の現実として記述し、説明できるような社会科学理論が無ければ、我々の社会は著しく予測可能性の低いものとなるだろう。社会の混乱を回避するために、そのような経済学が要請されている。そしてそれは、我々リバタリアンの手によって作り出さなければならないのである。
これが、我々にとって「ビットコイン・スタンダード社会に備える」という意味である。
(K.S.)
