現代とアナーキズム

編集者より

 本稿は、1967年4月20日にアナーキズム研究会から発行された機関誌『アナーキ』Vol.1 No.1所収の、小金井達夫「現代とアナーキズム」です。

 原文のオリジナリティを尊重し、誤字脱字も含めて、当時のままに再現しています。そのため、現代では読みにくい箇所がありますが、リバタリアン協会が誤字脱字の修正と簡易な注釈を設けた『アナーキ』の復刻版を出版しております。是非、そちらも、お買い求めください。
 以下、本文。

 アナーキズムについてはこれまで根強い偏見があった.爆弾を投げつけ,囚衣をまとう狂信者の主義であるとか,無―政府ならばそこには無秩序,混沌が支配している筈だというきわめて素朴な観念と,一部にはそれを利用して,警察のない暴力のまかり通る,恐ろしい,例えば,天変地変のあとの混乱した社会状態などを指して,無政府状態と云い,さような状況を是認したり,指示する主義は公序良俗をたてまえとする社会ではとうてい受入れ難いと考えること……等である.

 また,アナーキストを自称する人々の間でも天縫無縫,犬儒派のディオゲネスのように樽の中に住み,たまたま太陽をさえぎったアレキサンダー王を叱って云ったように,治めるのも治められることも好まないのが真のアナーキストだと考える人もあろう.

 また,現在多少ともアナーキズムが問題になるのは太平に慣れた無気力と労働組合組織の巨大化に伴い,人間疎外からの脱出のためであるとも批評されよう.

しかしこれらの議論はいづれもアナーキズムの一端を算えあげたり,偏見に基づいた思いつき(1)を述べただけであって,アナーキズムの本質に迫るものではない.

 アナーキズムは他の社会主義と同じように一つの傾向であって,ギリシア語のanarkhは無―政府(without government)即ち民衆が治められることのない,強制されない状態にあることを意味し,そのような状態をもたらそうとする原理がアナーキズムである.この点,バクーニン,P.J.プルドン,クロポトキンの著作はドイツ観念哲学のように体系的ではないにしろ,古典として,また社会行動理論として,地位は不動であろう.重要なのはアナーキストは教条主裁者のようにこれらの著作を絶対視しないのであって,その理由の一つは既にクロポトキンが云ったように,この主義の目的からでているものと考える(2).

「無政府主義の主たる目的は,総ての歴史上の重要な時期に必要なる変革を達成すべく出現したる民衆の労働大衆,即ち現代の蓄積されたる知識に扶けられて,現代の優良なる人々によりて喚起せらるる変革を達成するであろうところの労働大衆の建設力を呼び醒ますことである」

 従ってこ

 従ってこの目的にそう限り,クロポトキンの思想は<現代の富積されたる知識>の中において,その他の<蓄積される知識>―現代のオートメーション,サイバネスチックの科学技術の知識,生産・流通・供給に関する経営管理の知識・倫理・道徳に関する知識等の基底にあって<労働大衆の建設力を呼び醒す>働きをするのでなければならない.

 既に西欧において,アナーキズムはユートピア思想ではなく,歴史の中で部分的に実現され,重要な役割を果したことは文献によってみると明白である.ロシア革命(3)におけるウクライナ地方で,1936年-1939年のスペインの内乱におけるカタロニア地方で,アナーキズムに拠った労働大衆は地方自治の方式に基づいた社会制度を採用した.これらはいづれも反動勢力の攻撃と自治体相互のエゴイズムによって,外部と内部からの紛争により潰え去ったのだが,その結果,アナーキズムは19世紀のイデオロギーの一つとして有効性を失なったと断言することはできない.むしろコンミニズムを含む国家社会主義の次ぎに来るものとして,われわれはその歴史性と社会原理を明きらかにし,整備する要を痛感するのである.

 なぜならアナーキズムは変革の原理であって,コンミニズムのように革命のエリートとしての前衛を必要とせず,官僚制度を最少にとどめ,労働大衆のひとりひとりに責任としての自由の自覚と自治能力を求めるからである.アナーキとは権力の座からの被支配を望まず,社会制度を変革することによって,政府を必要としない社会の実現を意味するのである(4).

 この観点からみれば,今日の選挙方式も不充分といわなければならない.一般大衆は4年に1度だけ,各人に1票が与えられる.その1票を獲得するのに厖大な宣伝費と術数の限りが費され,大衆は1票を投じた後は,選出した議員をリコールしたくても法規その他の制約によって殆んど不可能であり,次ぎの選挙まで待たなければならない.政治に対する発言の機会はこうして引きのばされ,忘れられ,もの言わぬ大衆を生みだすのである.そしてこのもの言わぬ大衆は不合理に怒り,物価の高騰に反応を示すが,それは自然発生的な運動を生みだすだけで,ある程度の効果が得られると―つまり生活に不如意でない限り―満足して,折角の運動もこれまた自然に消滅するのが現状である.

 歴史はさような民衆に対し,「民衆の意志を表現するのにもっと適した,選挙に代るもの」を与えて,スペインにフランコ将軍の独裁が生まれたことを証言している.

 労働大衆が真に政治能力を発揮するのは自分の思想をもつかどうにかかっているのである.

 現代は科学技術の時代で,イデオロギーは不要とみなされるのが一般である.つまり政治・経済・社会制度の運営は制御装置を稼働させるのと同じく,純技術的な問題と考えられているのである.これに関連して,階級闘争の観念もうすれ,スペシアリストの登場で,それがブルジョアジーとプロレタリアーの中間質的存在としての去就から最早や階級闘争はあり得ないとする.プロレクリアー出身のスペシアリストがスペシアリストとして自覚する限り,彼は意識においてブルジョアジーに近親するというのがその論証である(5).マルキシズムについてはこれは有力な反証であろうが,アナーキズムにおいては職業意識はサンジカリズムの問題として採りあげ検討されよう.そして,各人が自由に基礎を置く限り,自由意志によって連合することの可能性をわたしは指摘するにとどめよう.

 アナーキストは事実と繰返しの追験可能な科学を重要視し,その法則の制御理論にアナーキズムを根底にすえつけるものである.

 次ぎにアナーキズムの有力な武器である直接行動(Direct Action)について述べよう.これまで直接行動は権威に向って発せられる示威と大衆に対し自覚を促す意味があった.われわれは現状では変革を希望するのであるが,過激な革命を認めないのは,バクーニンの生きていた19世紀と状況が同じでないこと,革命は多くの場合,不当に人命と才能の消耗をもたらし,民衆を苦しめる場合が多いこと,更に,革命当初の理念が改変され,ブルジョア革命(6)になり得ること等によるのである.われわれは投げこまれたこの状況にはカミュの言う意味で反抗する.この世界はわれわれの選んだ最良の世界でもなければ,在り得る限りの最も善なるものでは決してない.しかし反抗につづく反抗によって,何らの設計図をもたない反抗はその基部にニヒリズム乃至その善意が支配階級に利用されるのを認めるだけである.われわれの有する設計図は愚者の天国ではないのであって,人間の根源的な自由に根ざした共同作業によって達せられる世界でなければならない.われわれがこれを達成するにあたって,革命のエリートを必要としないのは,彼等が交代して権力の座に坐るのを望まないのと啓蒙された民衆は支配と被支配の関係にいないからである.

 当面のわれわれの直接行動はアナーキズムの研究と民衆に対する啓蒙であって,不当な干渉や妨害のない限り,アナーキズムの道を共に歩むことを提案する.この道は決して平担ではなく,なすべきことは多いのである.

 ともあれ,現在のところ,アナーキストはヴォルシェギッキー(多教者)ではなく,言葉の本来の意味においてメンシェビッキー(少数者)であることを自覚しなければならない

〔ノート〕

(1)“自由への道”バートランド ラッセル 1919年

 (ラッセルは本書でマルキシズムを無効にするものとして,1.ナショナリズム,2.ビッグビジネスの発生と株式の大衆化,3.大企業の周辺における中小企業主の資本主義擁護,4.技能者のブルジョア化をあげている.
 またアナーキズムの暗い側として,1.アナーキストの出版物の論調に建全性が少なく?! 2.ラテン諸国では不幸な者を憐むより富者を羨む面が強く,3.法律に対する反抗は人間性について真の情念で制御される人々を除いて,一般に受入れられている道徳規律をゆるめる傾向があって,善とはなり難い復讐の精神をもたらす.5.アナーキズムにはキリストを真似た殉教の形態があって,十字架の代りにギロチンがある)……と述べている.ただしアナーキズムの利点もあわせて指摘されている.P65~68参照

 (小金井達夫)