ビットコイン・スタンダード時代の経済学と批判的実在論

 我々にとってビットコイン・スタンダード時代に備えて、新しい経済学が必要である。

 その理由は前稿「ビットコイン・スタンダード社会に備えよ」で述べた通りであるが、再度詳述する。

 まず、急変後の社会秩序に対応し、社会の在り方を記述できる社会科学理論の不在は、社会の予測可能性を下げ、社会に著しい混乱をもたらす。法定通貨制度(フィアット・スタンダード)から、ビットコイン・スタンダードへの移行は、「貨幣制度の交代」であり、社会の在り方を根底から覆し得る。さらに、現行のマクロ経済学と金融論は、信用創造と中央銀行の存在を前提に構築されている。総発行量が固定化され信用創造の余地がなく、ビットコインが中央銀行を代替してしまうビットコイン・スタンダードの社会を、これらの理論は記述できない。従って、我々には新しい経済学が必要である。

 そして、その新しい経済学とは、オーストリア学派経済学に何らかの形で依拠すると期待される。なぜなら、希少性・時間選好・健全な貨幣という論点において、オーストリア学派経済学ほどビットコインと整合する枠組みは現時点で存在しないからである。

 しかし、オーストリア学派経済学には、以下のような「構造的限界」がある。例えば、

・存在論的限界
 オーストリア学派経済学は、方法論的個人主義と主観価値説に立脚しており、「制度」や「上部構造」を、個人の集合としてしか捉えられないため、制度の因果的実在性が捉えにくい。

・規範的限界
 国家や制度設計に対する価値判断が強く(「国家は悪」)、制度分析が理論的に深化しにくい。

 批判的実在論とは、科学哲学に存在論を導入する試みである。批判的実在論は、制度や社会構造といった「個人とは異なる因果的実体」の存在を認め、その因果力を分析可能にする。そのため、これにより社会科学理論を基礎付けようとする試みが、この数十年間盛んであり、オーストリア学派経済学に対しても適用した例はあるが、十分に議論されているとは言い難い。さらに、ビットコイン・スタンダード社会における経済学を構築するという動機で、これに取り組む者は、管見の限りまだ存在しない。

 我々は、批判的実在論によって、創発や下方因果性といった概念を扱うことができる。これらは、個人から出発して制度が形成される過程(ハイエクの自生的秩序)や、逆に所与の制度が個人に与える影響などを分析する上で有力な概念である。従って、批判的実在論によりオーストリア学派経済学の諸要素を基礎付け、それらを再構成することで、個人と制度の両方を視野に入れることが可能となる。

 これは、前述のオーストリア学派経済学の「構造的限界」の克服に寄与する。一例として、『ビットコイン・スタンダード』におけるアモウズの議論に注目しよう。彼は、社会の貨幣制度が個人の時間選好に大きな影響を与えるとする。金本位制の社会では人々は長期的に物事を考えていたが、法定通貨制度(フィアット・スタンダード)のもとでは、人々は近視眼的になると論じる。この論点は、制度が諸個人に影響を与えるという点で、下方因果性に関わるものである。批判的実在論により、こうした議論を哲学的に基礎付けることができるようになる。

 ビットコイン・スタンダードとは、貨幣制度の一形態である。従って、ビットコイン・スタンダードを論じる上では、制度に関する議論と、制度が諸個人に与える影響に関する議論が避けられない。批判的実在論により、オーストリア学派経済学の「構造的限界」を一定程度克服することで、我々はビットコイン・スタンダードについて遥かに論じやすくなる。

 経済学の再構成、貨幣制度の分析、制度が人間の行動を形づくるという社会哲学、そして制度設計という規範的問題。ビットコイン・スタンダードの成立は、これらが共通の存在論的基盤を必要とする局面を生み出す。批判的実在論は、まさにこれらを統一的に扱うための枠組みを提供する。

 従って、ビットコイン・スタンダード時代に備えるためには、オーストリア学派経済学を批判的実在論によって基礎付ける試みが不可欠である。

(Bitcoin Standard Institute)