私たちはリバタリアン社会をめざす青年学生(YSLS)です。私たちは今年2月から3月にかけて日本各地で活動しました。この記事はその報告となります。
この1カ月の街宣は政府廃止、課税制度廃止、大学廃止、戦争反対といった主要テーマに加えて、昨年の山口大学の授業料値上げと規制強化、広島大学での学部留学生の授業料値上げと学習会ホームページ掲載拒否問題、つくば大学職員による学生の監視について特に詳しく主張しました。
開催回数が増えるにつれて、ビラの受け取り枚数が増加し、足を止めて主張を聞く人が増えました。複数の要因が考えられますが、主には世界的に貧困や戦争が加速していることが要因として考えられます。課税階級の横暴が嫌でも目に見える時代ですので、負税階級とリバタリアンの主張が勢いを増すのは当然と言えます。また、それに呼応して、私たちの考えに賛同ないし共感する人も増え、新たなメンバーや街宣を共にする人に厚みが増えました。既存の運動体や政治そのものに幻滅する人が多い中、新しいオルタナティヴを提示できている証左でしょう。
以下は、各街宣の簡単な紹介です。
2月9日広島大学&広島市街街宣

9日は広島大学内と広島市街(紙屋町)で行いました。高校生や、わざわざ自転車を止めて受け取る方がいました。
課税について主張する際の反応は、明らかに学内よりも市街の方が良かったです。多くの学生は各税・社会保険料・年金の主たる負担者では「まだ」ないので、興味関心が労働者に比べ低いというのが実際でしょう。しかし、一生を学生で終える人はほとんどいませんし、課税は単に手取りが減るだけではなく自己所有権の侵害を意味し、人権侵害に類似する不正ですから無関係な事柄とは言えません。今後は学生に対しても課税制度の不当性について共感されるよう行動したいです。
道路の向かい側に「減税」を標榜する議会主義政党集団がいたので、「もし防衛増税が行われたら反対するのか」と問いかけましたが、応えはありませんでした。「減税」派の中には、減税よりも国家体制を優先する輩が多いことは以前から知られていましたが、改めて実感するところです。
2月14日お茶の水街宣

14日は都内のお茶の水駅付近で行いました。主に、退勤時間の労働者に受け取ってもらえました。「言っていることは正しい」と仰っていただいた方、真摯に私たちの主張について問いかける方がいました。
以下は参加者のコメントです。
初めてのYSLSでの街宣でしたが、今までやってきたどの団体よりも感触がいいと感じました。いい意味で色がついていない運動だからこその新鮮さがあったのだと思います。
(参加者A)
学問の自由は守られてないという話を競争的資金や戦後の反省に言及しつつしました。「リバタリアンって聞いたことないんですけど何ですか、どうやって勉強してるんですか、演説以外にも活動してるんですか、日本を出ていったりしないんですか」と聞いてくれる方がいました。
(参加者B)
2月15日つくば街宣

15日は茨城県のつくば駅付近で行いました。クルマ社会のつくば市の開催ということで歩行者の数が少なく心配でしたが、受け取ってくれる方の割合が多かったです。
参加者からは「大学の話よりも、課税についての話のほうが受けは良かった。ビラは高い声でシャキシャキ渡したら受け取ってもらえた」とのコメントがあり、主張に対する評価の確認や街宣のスキル向上が見られました。
2月19日広島街宣

19日は広島市の紙屋町で行いました。この日は発言者1人、ビラ撒き2人の体制で40分開催といういつもと違った方法で取り組みました。
やはり、広島はその歴史的文脈ゆえか、反戦の考えが他の都市よりも受容されており、街宣後は当地の反戦運動の方々と対話をしました。
2月21日姪浜街宣

21日は福岡市の姪浜駅付近で行いました。九州では初開催であり、また、姪浜駅の通行量はまばらで不安でしたが、課税廃止の訴えが効いたのか、終わってみれば大反響でした。また、安保闘争と労働運動を闘った方と対話できました。
3月1日淀屋橋街宣

1日は大阪市の淀屋橋駅付近にて行いました。人の流れが想像以上にまばらで場所選びを間違えたのではないか不安になりましたが、存外好調でした。
前日からアメリカ・イスラエルによるイラン攻撃があり、いつも以上に反戦の主張を多めに行いました。もちろん、アメリカ政府とイスラエル政府は人身と財戦を破壊する点で特に廃止すべき対象ですが、かといってイラン政府を支持する理由は全くありません。どちらかの政府への肩入れは課税階級の支配の永続に過ぎず、課税階級の打倒・全政府の廃止・負税階級の台頭を実行しないと、いつまで経っても戦禍による被害者は減りません。リバタリアン社会に戦争・政府・課税は不要であり、一刻も早い廃止のために行動しなければなりません。
当日の様子ですが、ずっと演説を聞いてくれた方や、学内弾圧強化の流れに憂慮する方、私たちの主張に興味関心を抱いてくれる方と対話できました。
参加者の方から以下のコメントがあったので掲載します。
今回の自由意志主義者の演説と討論は、私にとって非常に興味深く、そして喜ばしいものだった。その中で私は「市場無政府主義」といった、これまで想像したこともなかった全く新しい概念に触れた。それはある種「理想論」ではあるが、この理想論から実行可能な現実政治へと発展することは決して不可能ではない。なぜなら、マルクス主義そのものもまた、空想的社会主義という想像力によって創造された政治的幻想ユートピアから発展し、やがて現実政治となり、しかも完全な政治体系と実行方法を持つものとなったからである。したがって、このような全く新しい概念を理解し、それによって私の既存の概念に衝撃を与えることは、自己の創造性を刺激する重要な要素であると私は考えている。
私にとって、哲学と政治に興味と情熱を抱くようになった最初のきっかけは、『共産党宣言』と『理想国』を読んだことだった。私はすでに プラトン の腐朽した観念や政治構想を完全に支持してはいないが、しかし彼のある哲学理念だけは今でも大切にしている。それが洞窟の比喩である。
一群の人々が幼少期から洞窟に縛られ、壁だけを見つめさせられている。彼らの背後には火があり、その前で誰かが様々な物体を掲げて歩いている。囚人たちは壁に映る影だけを見て、それを現実だと信じている。やがて一人が鎖を解かれ、初めて振り返って火と実物を見る。彼はまぶしさと困惑を感じるが、次第に理解する――影はただの影であったのだと。さらに彼は洞窟の外へ連れ出され、太陽を見る。苦痛を伴う適応ののち、彼は理解する。太陽は最高の真理を象徴し、外の世界こそがより真実なのであると。
彼は洞窟へ戻り、他の者たちに真実を伝えようとする。しかし他の囚人たちは彼を嘲笑し、さらには殺してしまう可能性さえある。
前半の比喩は、私たちが一つの洞窟から抜け出しても、さらに別の洞窟へと出続けなければならず、そうして初めて現実世界、あるいは「自己」を少しでも覗き見ることができるのだということを示している。自己は決して、ある特定のイデオロギーや定義によって束縛され、その意志を奴隷化されてはならない。マックス・シュティルナー が言ったように、私は創造的無である。私は生まれて最初の一呼吸をした瞬間から世界に抵抗している。私は必然的に、私の意志を奴隷にしようとする「幽霊」たちを狩る。性別であれ民族であれ、あるいは永遠不変のものとして自己の上に君臨しようとするイデオロギー的ラベルであれ、例外ではない。
イデオロギーは自己の道具であるべきだ。それは私が自己を完成させるための小道具であり、自由を求めるときに舞うためのものだ。私の上に君臨し、私を操る恐ろしい幽霊であってはならない。私がイデオロギーを操るのであり、イデオロギーが私を操るのではない。イデオロギーは存在そのものではなく、本質の一形態にすぎない。それは決して「自己」ではなく、永遠に道具である。
今日の演説にも私は非常に喜びを感じた。私はそのすべての見解に賛同しているわけではないが、全体としては私の考えと概ね一致していた。しかし最も私を喜ばせたのは、演説者が「道徳」「正しさ」「正義」といった言葉を並べ立てることもなく、職業政治家のように、新型コロナウイルスに感染した患者の黄色く粘ついた鼻水の泡のように、遠回しにするために大量の無意味で意味不明な「政治的に正しい」言葉を付け加えることもなく、自分の意図と立場を率直に語ったことである。
そこには、自らの思想や理論の鋭さを迎合のために去勢し、常に不自由な偽りの笑みを浮かべている「議会の議員たち」とは違う姿があった。この演説が理論的にどれほど深いかは別として、その率直さは非常に心地よかった。だから私はとても嬉しかった。
(参加者F)
3月6日吉祥寺駅街宣

6日は吉祥寺駅前で街宣しました。この日はこれまでの街宣と異なり人通りがあまりにも多くやや苦戦しましたが、初参加の人も含めて今後の街宣の糧を身をもって学びました。
3月10日仙台駅街宣

10日は仙台駅前で街宣しました。今回は過去最多の6人での開催ということもあってか、ビラの受け取りを含めて通行人の反応が良かったです。また、「リバタリアン」という用語に関心を持つ学生が複数名いました。まだまだ日本全体では浸透していない用語ではありますが、若年層への浸透が伺えます。
翌日は3月11日ということもあり、課税階級の無責任な電力政策や土地収用への批判をいつもよりも多く訴えました。また、今回から、いつものビラに加えて「3月11日原発事故と事件に対する課税階級への抗議声明」も配りました。
3月11日「3・11ふくしま集会 原発事故は終わってない」集会・デモ参加

11日は郡山市内で開催された「3・11ふくしま集会 原発事故は終わってない」の集会とデモに参加しました。
上述の声明文に詳細な記載がありますが、課税階級は強制力と税によって無辜の人々から土地を強奪してきました――そして今もしています。土地収用の問題は、特に道路・水力発電所・空港で争点化されていますが、原発においても同じです。目に見えない放射線による害悪が建設前の段階から懸念されますが、政府は課税によって集めた補助金を原発建設予定地周辺に「ばら撒く」ことで、黙らせてきました。しかし、この「懐柔」は原発の近辺のみで行われ、実際に事故が発生したときに実害が発生するエリアと重複しているとは限りません。福島第一原子力発電所の放射線漏れの影響は福島県を超え、一例として群馬県にも轟いています――いまだにキノコ類の出荷制限が実施されています。また、そもそもこの「懐柔」は補償ではありません。なぜなら、「懐柔」に使われる原資は税金であり、負税階級から強奪したものだからです。課税階級による負税階級への真の補償は税ではなく、自己所有権に依拠した方法で生み出されたものでなければなりません。
結局のところ、課税階級を打倒し、この世から課税と政府を廃止するその日まで搾取と原発事故が終結することはありません。デモはただの散歩ではなく、負税階級の意思表示であり、抵抗であり、結束を示すものです。私たちが参加した意義はそこにあるのです。
3月12日つくば駅街宣

12日はつくば駅前で街宣しました。つくば市のビラの受け取りは他地域と比べて圧倒的に高いです。課税階級への憤りが他地域よりも高いことを表しているのではないでしょうか。
つくば駅近辺の事情(例:気象研究所、筑波大学)を主張したところ、素通りした方が戻ってきてくれたり、「応援している」との声をいただきました。
以上、怒涛の日程でしたが、一歩一歩着実に政府・課税・大学廃止、戦争反対の主張が浸透していると言えます。前述の通り、これは私たちの熱意だけに起因するのではなく、課税階級の横暴が露になり、政治・社会・経済が悪化の一途を辿っていることの反映と言えます。
今後も廃止活動を続けていきますので、リバタリアンのみなさん、そしてまだリバタリアンではないみなさんも一緒にリバタリアン社会をめざしましょう!
(リバタリアン社会をめざす青年学生)
