2024年12月2日正午頃、京都大学熊野寮自治会(以下、寮自治会)名義で、寮祭企画「時計台占拠」が行われた。京都大学熊野寮は、京都大学内に存在する自治寮であり、多くの管理寮と異なりその運営は寮生各人の自治によって担われている。熊野寮祭は、毎年11月末~12月初旬頃に10日間開催される寮自治会のお祭りである。
2023年の寮祭企画「総長室突入」に引き続き、京都大学当局(以下、当局)に対して自治会の主張を訴えることを趣旨としている。当局はこれまでに、自治会との団体交渉の中止や、寮祭を諫める趣旨の告示を行い、関係性は悪化の一途をたどっている。さらに2022年の「総長室突入」にて、学生を扇動し喧騒を激化させた疑い(1)によって、新たに5名の学生を処分(2カ月停学1名、1カ月停学4名)した。処分による停学は苛酷な処分であり、停学期間中は学費の納入や学内の出入り禁止を強制される。また、休学中の者は休学が解除され、学費を納入しなければならない。仮に、1年間の停学となった場合は、学費を満額納入する必要があり、「罰金」としての側面は暴行罪に匹敵するものとなる。もっとも、刑罰とは異なり、無期停学の場合、処分期間があらかじめ定められていないため暴行罪よりも重い制裁が科され得る。なお、一部の処分者は、京都大学当局の告訴により、2025年2月8日に威力業務妨害の疑いで逮捕されている(※「取材:2022年「総長室突入」の学生懲戒処分と京都大学熊野寮への家宅捜索」を参照。)
一連の逮捕は日本国政府による政治弾圧であり、政府に歯向かう者をその不当な権力と強制力によって抑圧していると言える。また、政府自身が憲法を無視・軽視する明白な事例となっている。日本国憲法第23条「学問の自由」のうち、「大学の自治」はまるで機能しておらず、憲法によって政府を制約するという立憲主義の思想は空虚なものとなっている。
今回の「時計台占拠」は、2021年以来となる時計台(京都大学吉田キャンパス)の占拠を志すものだ。現在こそ時計台は「メモリアル」的建造物となっているが、往時は総長室が時計台に設置されていたこともあり、時計台の占拠は当局の占拠を意味していた。時計台占拠の手順は、まず地平から梯子を時計台に掛け、梯子から時計台屋上に移動し、屋上からアジテーションをする、政治的主張のなされた幕を垂らすといったものだ。過去には、時計台への登頂は「おもしろ」企画として学生がカジュアルに登り、教職員はそれを見守るスタイルであったが、ここ数年は当局によって時計台への登頂が禁止されており、時計台占拠は一層政治的象徴――キャンパス解放・意思決定奪取・当局の打倒等の諸意義――としての側面が増大したと言える。最後に(政治的行動としての)時計台占拠が行われたのは2021年であり、このときも寮祭企画として行われた。その前年の2020年の「時計台占拠」では、複数の学生が処分される結果となった。
近年の京都大学の情勢として、学生の政治的行動が催される場合は、当局があらかじめ警察(それも機動隊であることが多い)を大学構内に導入し、大学当局/警察の2つの国家権力によって学生の行動を阻止することが常態化している。最早、20世紀に存在した「学問の自由」は存在せず、キャンパスは国家権力(大学当局と警察)が自身の実力を示威・執行する場となっており、今回の「時計台占拠」についても警察(機動隊)が構内に約120人ほど動員された。
また、集まった学生の総数は300~400人とされ、政府構成員・学生ら数百人が政治的闘争に身を投じるキャンパスは、異様な光景と熱気に包まれた。
インタビュー
- Aさん
――なぜ参加しましたか。
「今までに学生の自由が奪われていて、このままだと学生の声が消されてどんどん抑圧される状況を聞いていて、ガサ(2)でも同じことを感じた。時計台占拠のような大きな行動を起こすことが有効だと思った。」
――実際に参加して何を思いましたか。
「警察と職員が同じ側にいるのがびっくり。(その場に自分はいなかったが)警察と職員が暴力的に寮生を引き離したが、おかしいと思う。学生が座っているだけで何もしていないのに、無理やり引っ張るのはどうなのか。ダメだと思う。時計台に登ろうとしたときも、職員が「危ない」と言っているが押し倒そうとしてきて、本当に安全にその場を治めたいと思っているのかかなり疑問。職員に本当に学生がケガしないことを望んでいるかを問いただしたら「そうだ」と言っていたが、ガサで救急搬送された寮生や負傷した寮生が多数発生していること(3)に対してどう思うのかとさらに問いただすと、黙り込んだ。学生の安全を含めて、何も考えずに弾圧しているのだと思った。なお、警察官に同じことを問いただすと黙り込んで返事がなかった。」
――改めて大学当局に物申したいことは。
「窓口交渉に行っても厚生課(4)が適当に返事をするだけで、現場である寮のことをまったく考えていない。大学当局自身のことだけでなく、もっと寮のことも考えて欲しい。」
――警察に対しては。
「あまりにも多すぎる人数で押しかけて、暴れて帰るのはやめて欲しい。」
- Bさん(文学部2回生)
――なぜ参加しましたか。
「(時計台占拠は)大学での学生の自由な活動の象徴的な行為だと思っている。やってみたかった。昔はなかったが、最近は警察が(大学構内に)導入されており、対抗しないと同じ事が続けられなくなると思ったから。入寮する前から時計台占拠は行われていたイメージがあり、実際に京大に入ってみて、そういったことができなくなっているのを知ってやるべきだという気持ちが高まった。それは時計台占拠に限らず、タテカンの話もそうだし(5)、タテカンは京大入学前は「おもしろいものがあるらしい」ぐらいの認識だったが、意識的にやっていかないと消えてしまうという印象。農学部自治会の新歓パンフレットに掲載されていた文章に、京大生で京大の自由な活動が面白いと言っている人でも、ツイッターにあげて面白がっているだけの人もいるが、そういう人がタテカンに規制がなされると「終わっちゃったね」で終わってしまう。自由なことができる京大にいるというフリーライドをしているだけ。自分で(そういったことを)残すことができていない。なので残そうと思った。高いところが怖いので、自分自身が登るつもりはなかった。」
――実際に参加してどう思ったか
「ガサで警察からの弾圧はよくあるが、実際に職員に身体を持っていかれる経験をして、物理的接触で弾圧をしてくる存在になっていると感じている。いくらか、恐怖心と憤りを感じた。警察に対しては、逮捕のリスクがいくらかあるのは怖いし、職員よりも恐怖心を感じる。その分、警察の方が大学入構を含めて、憤りを感じる。具体的には、2021年、2022年総長室突入のときは、京大新聞以外のメディアでも報道されていたが、今回は、取り上げられていない。がっつり警察も動員されていたが、大学に警察が入るのはそもそもおかしい、社会的認識が薄くなっている。寮生以外の参加者、京大以外の参加者もいる中で、「一般学生は下がっていたください」はおかしい。前線にはいなかった寮生にも「一般学生は下がってください」について、その言説は分断行為だと述べる人もいた。寮生寮外生の区別をしようとしているが、大学内の活動の規制がなされているわけだし、寮生以外の人がかかわってくることもある(例:サークル)。活動に対して、弾圧するときに「一般学生は下がってください」という対応は、寮外生もおかしいと感じた方がいいと思った。」
- Cさん(京都大学1回生)
――なぜ参加しましたか。
「自分は学生運動が盛んな熊野寮に住んでいるため、大学当局に対する抗議行動に関心があった。また、梯子を掛けて時計台にのぼってみたかった。小中高と、教職員との人間関係で良い思いをしてこなかった。学校に対しての反発に親和性があった。」
――参加してみたどうだったか
「参加する学生、傍観する学生、妨害する職員・警察の人数があまりにも多く、何百人もいたことに加え、寮自治会が提起している抗議のための理論が私個人が作ったものではなかったので、参加中は他人事のような感じだった。ただ、何百人もの学生が組織して計画を緻密に練って実行しようとする行為はかなり誇れるものだと感じた。物理的な衝突が大きかったので、梯子にのぼる行為以上に、職員と学生の押し合いにケガのリスクがあったと思う。」
(リバタリアン協会)
注釈
(1)京都大学新聞2024年10月1日「熊野寮祭 5学生に停学処分 「総長室突入」にて学生を「扇動」」https://www.kyoto-up.org/archives/9876 閲覧日2025年3月2日を参照。
(2)ガサとは警察による家宅捜索のこと。ここでは、熊野寮に対してなされた家宅捜索を指す。
(3)2024年に発生した熊野寮に対する家宅捜索では、警察官が寮生に暴力を行使し、多数の寮生が負傷した。また、一部の寮生が頭部を負傷し救急搬送される事態が発生した。この寮生以外にも、多くの寮生が負傷し、寮の物品・器具等が破損される事態となった。
(4)窓口交渉とは、熊野寮と大学当局の窓口での交渉のこと。寮から当局に対する要請を伝える場である。多くの場合、京都大学厚生課が当局側として寮の意見等の窓口となっている。
(5)タテカンとは立て看板のことで、多くの場合学生によって大学内に設置されるものを指す。京都大学に限らず全国的に政治的主張や宣伝のツールとして用いられているが、近年は大学当局による独断によってタテカンの設置が規制されることも多い。京都大学吉田南キャンパスでは設置場所が指定されており、指定外の場に設置すると警告書の貼り付けや、タテカンの撤去が行われている。また、2018年及び2020年に京都大学職員組合の立て看の強制撤去をめぐり、同職員組合が京都大学法人と京都市を相手に訴訟を起こした(2025年2月19日現在、係争中)。
