「リバタリアン史入門」講演会in広島大学

 本稿は、2026年1月23日に広島大学思想文化ゼミナールさん主催で同学内で開催された講演「リバタリアン史入門」の報告記事です。講演の内容を一部ダイジェストでみなさまに共有します。
思想文化ゼミナールの皆様、大変ありがとうございました。

第一章:導入

 導入では、簡単な自己紹介や、発表の要旨を紹介した。リバタリアン思想は多種多様な思想(家)や運動の産物である。本発表の目的はそれらルーツを紹介することにある。

第二章:社会主義

 この章から、本旨となる。
 まず、「リバタリアン」という言葉の初出が政治思想ではなく、形而上学にあることを紹介した。遅くとも18世紀には、物事が何かしらの要因(例:神、宇宙、経済等)に決定されていると考える決定論の対抗論として自由意志論が存在しており、これをリバタリアニズムと呼んでいた。
 その後、1857年に、ジョセフ・デジャックがプルードンを批判する際に、リベルテール(※リバタリアンの仏語)を政治思想の文脈で用い始めた。通常、プルードンは「アナキズムの父」とされるが、そもそも、プルードン、バクーニン、クロポトキンの三人衆が「アナキズムといえばこの人」としてひとまとめにされたのはクロポトキンの営為によるものであり、3人が思想的内実はバラバラとも言える。ここではプルードンについての詳細な評論は取り扱わないが、「アナキズムの父」でありながら国会議員を務めたり、ミソジニストであったりと、現代のアナキストが好まない要素も内包している。ともかく、プルードンのミソジニー批判によってリバタリアン思想は幕を開けたのだ。
 なお、デジャックは日本では全く知名度がないが、(政治思想としての)リバタリアン思想を誕生させたほかに、フランス革命や国際協会への参加、亡命先のアメリカで取り組んだ機関紙「ル・リベルテール Le Libertaire」の発刊、男女平等論者・奴隷制廃止論者としての功績が挙げられる。
 「ル・リベルテール」はデジャックが発行したもののほかに、フランス語圏で同名の機関紙がいくつか発行されている。また、1969年にマレー・ロスバードらが発行した「ザ・リバタリアン The Libertarian」(※後に「リバタリアン・フォーラム The Libertarian Forum」に改名)、1969年に日本のリベルテールの会が発行した「リベルテール」、そして、リバタリアン協会が2023年に発行した「リバタリアン」に挙げられるように、意図してデジャックの「ル・リベルテール」にあやかったかどうかはともかく、デジャックの営みは後の機関紙名のスタンダードとなった。
 話を発表の本筋に戻すが、19世紀後半になると社会主義者の中で概ね2つの潮流が頭角を現す。1つはマルクスに代表される権威主義者である。この潮流は、国家や政府を活発に用いることや中央集権的な組織構造を好んだ。もう一方は反権威主義者であり、概ねリバタリアンである――当時は「リバタリアン=社会主義者」である。バクーニンに代表される反権威主義派は国家の即時廃止や分権的な組織構造を好んだ。現代では想像しづらいかもしれないが、当時は権威主義派と反権威主義派は拮抗しており、第一インターナショナルは組織内で権謀術数が盛んだった。なお、最終的には権威主義派が政治的に勝利し、スターリン主義体制を迎えるに至る。具体的には、ソビエト政府に対して挑んだクロンシュタットの闘いや、スターリン主義者の襲撃に対抗したスペイン内戦によって、リバタリアンは帝国主義者と闘うと同時に、スターリン主義者との闘争に向かったのだ。
 一方アメリカでは、ベンジャミン・タッカーが英語のlibertarianを19世紀中に用い始めた。デジャックとタッカーの交流や影響は不明だが、フランス語圏のリベルテールが何らかの形で英語圏のリバタリアンに伝播したとされる。タッカー(とその周囲の人物)の思想は、明確に反権威主義的社会主義であり、財の自由な交換関係を好んだ。現代では想像しづらいが、反資本主義でありながら自由市場を肯定したとも言える。実際、現代においてタッカーは市場アナキズムの創始者と認知されることもあり、リバタリアン思想の骨格を築いたとも言える。
 その後、アメリカでは1950年代ごろまでは「リバタリアン=社会主義」だったが、60年代・70年代以降、右派のシンボルへと変化していく。
 余談ながら、日本では、1967年に大澤正道が『アナキズム思想史』(今泉誠文社)にて、アナキズムをリバータリアニズムとして紹介していたり、1969年に「リベルテール」が発刊される等、やはり、「リバタリアン=社会主義」であったようだ。

第三章:右派リバタリアン

 ロバート・ノージックがジョン・ロールズの反論者として著名であったこともあり、日本でのリバタリアニズム研究は分析哲学系政治理論研究、法哲学研究に大きく偏っている。そのため、リバタリアンの史的側面が着目されることはほとんどなく、(ノージックが右派に属するリバタリアンだったということもあり)日本では「リバタリアン=右派リバタリアン」という了解が敷衍している。その意味において、日本の研究者たちの功罪――リバタリアン思想の学術的側面の一部を日本に持ち込んだことと、歴史性を無視した「ノージック以降」主義ともいえる関心の偏り――は計り知れない。
 さて、右派リバタリアンといえば、通常、古典的自由主義、最小国家主義、無政府資本主義の3つが挙げられ、後者2つをまとめてハード・リバタリアンと呼称することもある。現代的には、「(右派)リバタリアン=古典的自由主義」という認識を持つ人が多くなっていることもあり、ますます、リバタリアンとは何かが見えづらくなっている。そこで、まず古典的自由主義がどういうものかを確認しよう。
 古典的自由主義は、本来、自由主義と称されていた。論者によってその内実に揺らぎがあるものの、概ね個人の自由を擁護し、夜警国家を支持する立場だった。19世紀には、反穀物法運動――イギリスにおける穀物の関税に反対する運動――に見られるように、自由貿易を推進する立場から、重商主義者・保護貿易論者・右翼と対立することもあった。若干の転機が見られるようになったのは、19世紀末から20世紀初頭である。ヨーロッパの市民革命が下火になった当時、救貧者に対する福祉を国家が担うべきだとする考えが流行しつつあった。その象徴的な側面が新自由主義――ネオ・リベラリズムではなくニュー・リベラリズム――の流行である。また、アメリカにおいては進歩主義の時代と重なり、ますます、国家の「責務」と裁量が拡大した。さらに、第一次大戦とニューディール政策の時代に突き進み、アメリカの旧来の右翼や自由主義者は連邦政府に対して抵抗に舵を切ったのだった。
 ここで一度脱線して、アメリカ合衆国を紹介しよう。国家としてのアメリカの歴史は、建国以前から黒人奴隷に依拠した経済体制であったアメリカでは、次第に南北で経済的・政治的対立が深まっていく。19世紀中葉、アメリカ国内は、北部(ニューヨーク州など)を中心とする資本家(・労働者)を基盤とする共和党と、南部(アラバマ州など)を中心とする奴隷主・農家を基盤とする民主党が二大潮流であった。もちろん、共和党政治家とその支持者にも奴隷主は存在したし――リンカン大統領など――民主党内にも奴隷制を嫌う人はいたが、概ね、傾向としては以上の通りである。当時のアメリカ経済は国内産業が乏しかったこともあり、イギリスからの輸入品に依存していた。そこで北部の資本家は関税の取り立てと国内産業の充足を目指したのだが、南部の農民は関税なき商品経済の恩恵を受けていたため、関税に反発したのだった。つまり、現在の共和党と民主党のイデオロギー的状況――共和党が小さな政府派であり民主党が大きな政府派――とは異なり、共和党が連邦主義・大きな政府・奴隷制反対の党であり、民主党が州権主義・小さな政府・奴隷制維持の党となる。この対立は19世紀中葉には平和的に解消されず、リンカンが大統領に当選した際に最高潮を迎え、南北戦争の開始に繋がる。北部側が勝利してから数十年後、進歩主義時代を経て、今度は民主党が大きな政府・連邦主義を志向するようになる。このような合衆国の政治状況の変化に異を唱えたのが、旧い右翼たちであった。ニューディール政策によって合衆国の法的慣習や行政的慣習はすっかり様変わりし、ニューディール政策の違憲判決は判事の人事によって合憲へと変わり、それまで類を見なかった公共事業がアメリカ中で巻き起こったのだ。第二次大戦後、右翼内では反共主義が熱を帯び始める。19世紀的スタイルの旧右翼(オールド・ライト)はモンロー主義に代表されるように非干渉主義が基本だったが、共産主義――当時は「共産主義=ソビエト連邦=スターリン体制」であったことに注意――の拡散を防ぐために干渉を是とするように変化していった。60年代になると、(旧右翼たちの目から見れば)自由主義は社会民主主義に、右翼政治は連邦主義・大きな政府に傾倒したと感じられるようになった。
 以上のような政治状況の中で、ディーン・ラッセルが1955年に『フリーマン』誌で「誰がリバタリアンか?Who is a Libertarian? 」を発表する。ラッセルの主張はシンプルである。自由主義・リベラルの意味が変容してしまったので、(旧来の)自由主義者はリバタリアンを名乗ろう!というものである。ラッセルの影響力はともかく、「社民にリベラルの語を盗られたのでリバタリアンを名乗る神話」は古典的自由主義者にとって強固なものであり、70年たった今では「常識」化している――奇妙なことに、リバタリアンという言葉を反権威主義的社会主義者から盗ったことに関しては無頓着なのだが。ともかく、アメリカにおいては、古典的自由主義者とオールド・ライトの「焼き直し」として右派リバタリアンが誕生したのである。
 ただし、右派リバタリアンと言えども現代のそれとは異なり、なかなかにアクティヴであった。ノージックやロスバードの影響もあってか、現在よりもハード・リバタリアンが(右派リバタリアンの中で)多数派の時代であった1960年代~70年代は、直接行動に打って出る者もいた。象徴的なイベントが、1969年の共和党の実質的な青年部である自由を求める青年アメリカ人 Young Americans for Freedom のセントルイス大会で起きた徴兵制反対デモンストレーションである。YAFは右派リバタリアンと保守派の合同体であり、同時代の新左翼団体の民主社会をめざす学生 Students for Democratic Society と対立することもあった。また、1969年はベトナム戦争の時代ということもあって反戦運動が全米的に盛んになっていたために、事件は起きた。大会であるリバタリアンが自身の徴兵制カード――日本語圏でいうところの「赤紙」――を燃やしたのだ。このデモンストレーションが示すように、YAFの内部はリバタリアン派と、ウィリアム・バックリーJr.の思想に近しい新しい右派・保守派に分裂していた――どうやら後者が主流派だったようだ。この「炎上」よって右派リバタリアンはYAFから一掃され、独自の組織と運動を形成していくようになる。
 アメリカ政治は諸外国と比べやや奇妙なことが起こる。その1つが、新左翼・旧右翼連合と、旧左翼・新右翼連合である。通常、新左翼は旧左翼の欺瞞(例:ハンガリー動乱における人民の弾圧や、旧左翼の資本主義に迎合的なスタンス等)を批判することが多く、右翼にも敵対的であるが、アメリカでは新左翼と旧右翼は「シンパシー」があるのだ。というのも、アメリカの旧右翼は反(連邦)政府的であり、既存体制に不満があり、新左翼もまた同様なのである。いわば、旧右翼と新左翼は右派リバタリアンと左派リバタリアンである、あるいはそれに類似しているため思想的隔たりは以外と遠くないのである――もちろん、経済思想については大きな隔たりがある。一方で、旧左翼と新右翼も共通項がある。どちらも国家主義なのだ。いわば、権威主義左派と権威主義右派なのである。実際、ネオコンの第一世代には元トロツキストが複数いたとされる。左翼/右翼の軸ではなくリバタリアン/権威主義者の軸での対立が見られたのが1960年代~70年代アメリカなのだ。左右のリバタリアン――YAFを追い出された右派と、旧左翼の乗っ取りによってSDSが崩壊して居場所がなくなった左派――は1969年頃に合同し、急進リバタリアン同盟を結成している。ただし、すぐに崩壊してしまったようである。
 その後、1971年に(主に右派リバタリアンによる)リバタリアン党が結成されると、左右のリバタリアンは遠い存在になってしまった。また、リバタリアン党内でもハード・リバタリアンとソフト・リバタリアンの対立が見られるようになり、活動家養成所としての党を志向したロスバードと、議会政治団体としての党を志向したエド・クレーンやチャールズ・コークの対立が激化した。1980年の大統領選挙をきっかけに、ロスバードが追放され、とうとうリバタリアン党は議会主義団体になってしった。80年代のアメリカの(右派)リバタリアン運動は散々であり、思想的進歩も運動的進歩も見られなくなった。なお、同時期にノージックは政治への言及を避け始め、純粋な哲学者になった。多くの右派リバタリアンが共和党に回帰するが、アメリカの保守政治は右派リバタリアンの代わりに宗教右派が台頭しつつあり、右派リバタリアンの影響力はますます低下し、学術の世界の中でひっそりと生き永らえるようになったのだ。
 学術においては、ノージックとロスバードの影響ゆえに、当時は自然権が主流である。また、ロスバードらオーストリア学派経済学者の影響ゆえに、右派リバタリアンの多くが同学派の理論を選択している――ミルトン・フリードマンの理論を選択する人は、「リバタリアニズム」ではなく「ネオ・リベラリズム」を好む傾向がある。

第四章:現代

 現代のリバタリアンはどのような存在か。まず、ヨーロッパは19世紀からリバタリアン運動が盛んだったこともあり、リバタリアン社会主義者の運動が(19世紀~スペイン内戦期ほどではないにせよ)目立つ。右派リバタリアンは上述の経緯もあって、ネオリベとの区別がつかなくなってしまっている。学術においては、相変わらずノージック中心主義、分析哲学系政治理論中心主義であり、ヒレル・スタイナーに代表される研究者らが左派リバタリアニズムを探求している。一方、日本では、特に2020年以降、170年遅れでリバタリアン系団体が増加している。
 複数あるが、現代リバタリアンの主たるテーマ・関心は、上述のスタイナー系左派リバタリアニズム探求、階級理論、仮想通貨の3つであろう。
 スタイナーの業績は数あるが、ここでは身体所有権のテーマに絞ろう。ジョン・ロックの所有権 property right概念※を改良したネオ・ロッキアンたちによって自己所有権テーゼが生まれた。主に自己所有権テーゼは身体所有権と労働所有権から成り立つと考えられている。後者は自身の労働の果実はその人自身のものというテーゼだが、スタイナーはこれに異議を唱えた。彼によると、消極的自由としての身体所有権は認められるが、土地などの資源は人類に共有のものであり、消極的自由ベースの身体所有権が取得の根拠にはならないと考えたのだ。よって、スタイナーのテーゼは、全資源を全人類で共有管理する必要があり、現実的には「地球基金」なる事実上の課税と分配が適切だとみなす。
 次は階級理論である。日本ではやはり知られていないが、リバタリアン思想に階級分析を組み込もうとする研究者にロデリック・ロングやシェルドン・リッチマンなどが挙げられる。リッチマン流の理解の一部を紹介すると、課税によって階級が二分化されるという点が要点となる。この考えは、反リバタリアン政治家・国家主義者・奴隷制擁護者の民主党所属の副大統領(当時)のジョン・カルフーンが初発ではないだろうか。カルフーンは南北戦争前後の政治家であり、素朴だが重要な観点を主著の『政治論』に遺している。課税によって税を消費する階級と税を盗られる階級が現れるとカルフーンは考えた――彼は二分化を和らげるために競合的多数決を提案したが、後世のリバタリアンに全く支持されていない。彼の分析はここまでだが、日本では以下のような考えが広まりつつある。階級といえば資本家階級/労働者階級を基礎とするマルクスの理論が有名だが、課税階級/負税階級の優れた点は、労働者による課税権力(例:ソビエト連邦)を批判できる点にある。資本家であれ労働者であれ、課税制度を利用できる立場にあれば、他人の自己所有権を侵害し、専制に至ると説明可能である。
 最後は仮想通貨だ。オーストリア学派を支持するリバタリアンに顕著だが、リバタリアンはとにかく法定貨幣が大嫌いである。ロスバードが『政府は我々の貨幣に何をしてきたのか』で詳述されているが、兌換貨幣が原則だった時代、政府は貨幣価値を切り下げることに熱心だった。例えば、1ドル10オンスの金(ゴールド)と交換レートを、1ドル7オンス、1ドル5オンス、1ドル3オンスという具合で金(ゴールド)の含有量を下げることで、改鋳前の1ドル10オンスの貨幣は1ドル3オンスの貨幣と同じ価値とみなされ、貯蓄が簒奪される。これはインフレーションと同じ仕組みであり、経済に凄まじい悪影響をもたらす。それでも搾取したりない政府は、とうとう金(ゴールド)に依存せずに経済をコントロールできる手段を開発した。それが貨幣の不兌換化と中央銀行による法定貨幣の供給である。最早、現実の経済的価値が何であれ、政府こそが経済の基盤を法定貨幣によって規定することができるのだ。このような仕組みのためにリバタリアンは法定貨幣を嫌うのだが、黙って搾取され続けるわけではなく、いくつかの対抗手段を生み出した。その1つが仮想通貨である。仮想通貨はブロックチェーン技術によって、従来の法定貨幣の管理よりも権力者による統制が及びづらいとされている。ただ、エルサルバドル政府によるビットコインの法定貨幣化や、各国政府によるビットコインの保有など、決して安全と言い切れるものでもない。

※ロックのproperty right は所有権と訳さず、固有権と訳すこともある。

終章:まとめ

 以上のように、リバタリアン思想は社会主義発祥であり、その後アメリカで古典的自由主義者やオールド・ライトが右派リバタリアンとして流入したというのが正確なところである。リバタリアン思想全体が複数の思想群から成り立つだけでなく、マイナーな理論(例:自己所有権テーゼ、オーストリア学派経済学、課税ベースの階級理論等)を扱うことがあるため、多くの人にとって全貌を把握しづらい体系になっている。また、20世紀右派リバタリアンの政治的・学術的影響力は(少なくともリバタリアンの中では)多大であり、「リバタリアニズム=右派リバタリアン思想」という印象づけに一役買っている。
 簡易な概要説明であったが、講演会参加者にリバタリアン史の大まかな流れを理解していただいたと考えている。今後も、同じか類似する内容の講演会を行うことで、リバタリアン思想史の普及を行いたい。

参考文献

お断り:参考文献のリスト化が間に合っておりません。今後記事ページに追記いたしますので、何卒ご了承ください。

(リバタリアン協会)