全ての課税に反対

 「すべての増税に反対」というスローガンが存在する。文字通り、これはすべての増税に反対する意志を表明したもので、大きな政府である日本国政府がこれ以上大きくならないように意気込むものだと言えよう。

 財務省によると、日本の国民負担率(租税負担率と社会保険負担率を足し合わせたもの)は46.8%であり、財政赤字を加えた負担率は53.9%である。単純な負担割合だけを比較しても、OECD加盟国中、負担率は上から22位だ(1)。つまり、あなたが働いて得た賃金のおよそ半分が直接的に政府に盗られ、頼んでもいないのに政治家、役人、そして利権団体の懐に入る。

 政府からすれば、あなたは「いいカモ」であり、半永久的な資金源である。19世紀アメリカの政治家ジョン・カルフーン John C.Calhaun は、人々を納税者 Tax Payer と税消費者 Tax Eater に分類した。前者は、文字通り税を納める人であり、後者は税を得る人である。議員、公務員、利権団体、そしてそれらに追随する人々は疑いなく後者であり、それ以外の多くの人々は前者である。税消費者は政府という制度・暴力を用いて納税者から財(潜在的・将来的な財も含む)を蝕む。レント・シーキングや過剰・過少供給の問題もさることながら、課税は人権侵害である。なぜか。人間には自己所有権があり、課税はそれに反するからだ。

 自己所有権は狭義の身体所有権と、広義の私的所有権に分かれる。前者は「自分の身体は自分のものであり、当人の許可なしに侵害されない」権利であり、後者は「自分の労働の成果物は自分のものであり、当人の許可なしに侵害されない」権利である。左派リバタリアンは前者のみを、右派リバタリアンは両方を権利だと主張する。課税は当人の許可なしに暴力的に財を収奪する行為なので私的所有権を侵害するのは当然として、ほとんどの場合、身体所有権も侵害する。というのも、課税は労働の成果物である財を没収するだけではなく、課税を拒否することで納税拒否者の身体を拘束するからだ。この点について異議がある人は、堂々と納税を拒否したときに理解できるだろう。日本では、脱税は懲役刑か罰金刑である。「法外」な罰金を支払えない場合、労役場に留置される。よって、実質的に、課税とは非納税者の身体を拘束する行為であり、自己所有権を侵害するのだ。

 また、同時にあなたは政府関係者に言わせると「愚か者」であり、政府政策(に加え「公共」政策)によって、あなたを「正しい」道へと導かねばならないと考えている。このパターナリズムは随所で見られる。公教育、社会保険、年金など。しかし、政府関係者は全知全能でなければ、善良な市民でもない。私腹を肥やすのはもちろん、「本当に人々をより良い状況にしたい」と考えたとしても、上手くいかない。そもそも政府政策の原資たる税が不正の産物であるほか、政府が管理する情報は「誤った」偏りがある。利権団体や圧力団体の情報は比較的入手が容易であり、彼ら/彼女らとの取引においては、ある程度正確だろう。それは投票のバーターになるからだ。では、それら団体に与しない多くの人々の情報はどうだろうか。役所や地方議員とコネクションがある人々の情報は、それ以外の人々と比べ過大に評価されるが、無関係の人々の情報はせいぜい国勢調査か世論調査が関の山である。社会に広く分散している情報は、日常的な交換によって知り得るのであって、政府が実施する施策によって集約される情報は極僅かである。残念なことに、ほとんどの場合、人間は対象となる行為に関する情報なしに上手く物事を進められない。あなたが友達にプレゼントするとき、何を選ぶだろうか。あなたが取引先と交渉するとき、何を用意するだろうか。これらは日常的な交換によって知り得る。しかし、政府政策は一方的な押しつけが大半であり、以心伝心するのは政治家・官僚・利益団体の三者だけだろう。役人が「あなたのため」に何かをするとき、政治家でも官僚でも利益団体でもないあなたは眼中にない。知りようがないのだ。よって、多くの人々は、政府にとって、便利な財布か、はたまた抵抗者であるかのどちらかだ。

 さて、上述のことを受け入れたとしても、市場の失敗を理由にして、政府政策を推進させたい人もいるだろう。これは理由になっていない。市場の失敗があるように政府の失敗も避けられない。市場の失敗を克服するために政府が登場するエピソードは基本的に破綻している。人間は無謬ではいられない。なぜ、市場だけが失敗して、政府は失敗しないのか。その上、政府の失敗の質の悪さは、失敗時の責任の所在にも違いがある。市場の失敗の場合、主に投資者・企業家が自身の財を失うことで彼ら/彼女ら自身が責任をとり、あるいは消費者が衝動買いした結果一時的にモノの価格が変動することで消費者自身が責任をとる。政府の失敗の場合、税金によって補填される。税金は数多くの人々から強奪したものだから、結局のところ、多くの場合無関係の人々が「責任」をとることになるのだ。失敗した政治家や役人は多少名誉や昇進に影響するかもしれないが、多くの納税者の負担に比べれば微々たるものである。

 減税を望む人々は「すべての増税に反対」するが、リバタリアンは「すべての課税に反対」する。それは無政府資本主義であれ、リバタリアン社会主義であれ関係ない。繰り返すが課税は人権侵害であり、また、人々の生活をより良いものにしない。ただ、リバタリアンは「すべての増税に反対」の意見に賛同できる。不正を止めるために、これ以上の課税はお断りだからだ。

 すべての課税に反対!

(前川範行)

(1)財務省「令和5年度の国民負担率を公表します」
https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/futanritsu/20230221.html