リバタリアン・ユートピア-1-

 このコラムでは、考えられうるリバタリアン社会の形態を描く。というのも、そもそもリバタリアン社会の様子をイメージ出来なければ、そのような社会を受け入れようと考える人はいないだからだ。従ってこのコラムでは、理論を検討するよりも、リバタリアン社会の様子を記述し、推測することに重点をおく。もちろん、未来の社会を正確に描くことは不可能である。我々は10年後のPCがどのようなものであるかさえ、正確に推測できないのだから。

 

リバタリアンな法システムとは

 リバタリアンに対するよくある質問に「国家が無ければ、全くの無秩序に陥ってしまうのではないか?」というものがある。我々はもちろん「市場は法を生産し、自生的な秩序が生成するだろう!」と答える。

 では法はどのように供給されるのだろうか?リバタリアン研究者のデイヴィッド・フリードマンによれば「法システムは、本やブラジャーが今日生産されているのと同じように、自由市場で利益を得るために生産されるだろう。自動車が様々なブランド間で競争するのと同じように、法も様々なブランドのあいだで競争する(1)。」また、法哲学者のランディ・バーネットによれば「正義と法の支配にとっての必要な条件と矛盾しないような」、「行動の指針となる個別のコヴェンション群は、コモン・ローの過程で進化⑵」するという。このように、両者は法が市場により供給されると結論づける。

 ではどのような法が存在するのか?法の具体的内容は、法システムの消費者の選好に依存する。例えば多くのリバタリアンが利用する法サービス企業「リバティ・リーガル・サービス(Liberty LegalService, LLS, ※空想上の企業)」においては、極めて自由度の高い法サービスが提供される。LLSはシンプルな法制度、「被害者なき犯罪」の非犯罪化によりコストを削減し、紛争処理手続きを効率化しているため安価にサービスを提供している。

 共産主義者が集う地域では、生産手段の私有化を否定する法律が存在し、多くの企業は敬遠しているが、労働者の自主的な組織が企業を運営している。当該地域では価格メカニズムが存在しないため物価が高く所得も低いが、住民は労働意欲に満ち、概ね満足しているようである。中には、異なる法を採用している企業(資本主義企業)との仲裁のため、そのような企業との取引に関しては中間的な裁判所で処理する取り決めを持つ、橋渡し的な法サービスも存在する。

 潔癖な人々(道徳主義者)は、ドラッグや売買春、ポルノグラフィ、名誉毀損、侮辱などを取り締まる法や、親族法、重い刑罰を好む。中には日本の法律とあまり変わらない法を提供する「(株)日本立法(空想上の企業)」なども存在する。道徳的な規範を提供する企業は、道徳的取り締まりの実効性を確保するため、契約者に対してより多くの個人情報を求める契約を要請しているが、道徳主義者は彼らの理想のためにその負担に応じる。加えて、彼らは道徳的犯罪の捜査費用、逸脱行為に対する精神的苦痛にかかる保険料、その法律を他の自由人に押し付けるための費用等を負担している。

 さて、ではどのように法システムに加入するのか?多くの人は、複数の法サービス企業のサービス内容や、格付け機関、口コミなどから情報を収集する。中には広告モデルによって企業を選ぶ人がいるかもしれない。もちろん無政府資本主義者である私(中条やばみ)は、自由な法体系を望むので、LLSに類似の法サービス企業の中から、自分が住んでいる地域をカバーする企業をチェックする。格付け機関を参考に、裁判官と被告人との間に利益相反があった企業や、他の法サービス会社と訴訟の際に保護してくれない企業を、選択肢から除外する。全国展開している新進気鋭のLLSや、大阪にサービスを集中させた「関西紛争処理株式会社」などの候補から、自分の財布と相談して契約する企業を決定する。あとはWEBの申し込みフォームを埋め、利用規約に合意する。仮に、契約した後に不満があれば、通信サービスと同じように、他の企業に乗り換えるだけである。

 では、そのような法システムにおいて、自由は担保されるのか?市場で供給される法は、各人が自分の重視する点に費用を負担することによって調整される。例えば仮に、リバタリアン社会に大麻愛好家がいたとしよう。大麻違法国である日本でのストリート価格は5000円/g程度、大麻合法国であるカナダでは500円/gである。彼らは大麻を常用するために、それらの差額と自衛のための追加費用を合理的に負担することができる。仮に、追加費用が仮に5000円/g、年平均100g使用する常用者が日本に20万人いたとして、彼らは総額で1000億円を大麻規制のために負担させられている。一方で、仮に1億人の人々が大麻規制に賛成していたとしても、彼らは1人あたり1000円負担しなければ、大麻解禁派の不満を抑えられない。もっとも、現実にはもっと必要だろうが。このような市場メカニズムを前提とすれば、人々は他人を強制するコストを各人の責任で負担することになり、法制度は大部分の地域で自由なものへと変わっていくと考えられる。中央集権的な政府の立法政策に影響を与えるよりも、市場の同じ価値観の消費者をあてにして、各人は容易に自分に合った法を獲得することができる。

 我々は他人の自由を尊重するあまり、快適な暮らしができなくなるのではないか?もちろんそんなことはない。非侵害原則によれば、各人は他人に危害を加えない限り自由に行動する権利を有する。仮に最も自由な法を提供する企業と契約していたとしても、あなたは自己所有権を盾に、あなたの所有地において特定の行為を禁じることができる。あなたが大麻やタバコの匂いに悩まされたくなければ、あなたの家を禁煙にするとか、禁煙の店に行くとか、住民の合意によって喫煙を禁じているマンションや交通機関、道路を利用できる。大麻喫煙者は自宅や、各地に点在するコーヒーショップ、大阪でいえばミナミ等の寛容な地域での喫煙を好むようになる。あなたがレストランの経営者で、売買春が店のイメージを毀損すると考えるのであれば、自己所有権に基づき周辺道路において売買春を禁じている管理会社からテナントを借りることもできる。あなたがヌーディストであれば、あなたの所有する土地や、企業によって管理された ヌーディスト・ビーチに金銭を支払って、自身を解放することも可 能である。このように、一定程度の需要があれば、あなたの望む生 活スタイルに合致する法は市場によって提供される。 以上のように、市場では様々な法が生産されると考えられている。 全国一律の画一的で時代遅れな法と、市場の競争によって消費者の ニーズに適した法のどちらが望ましいか?もちろん後者であると、 私は考える。(中条やばみ)

参考

 ⑴Freidman, David(1989)The Machinery of Liberty, Open Court Publishing Company. 森村進ら訳(2003)『自由のためのメカニズ ム』勁草書房、p.144。

 ⑵Barnnet, Randy E. (1998) The Structure of Liberty: Justice and the Rule of Law, Oxford University Press. 嶋津格訳(2000) 『自由の構造』木鐸社、p.134、p.169。