関西学生メーデー2026基調提起

 なぜ学生がメーデーをたたかうのか。それは私たち自身がすでに労働の問題のなかに置かれているからです。学費や奨学金、アルバイト、就職活動といった日常生活で、私たちはすでに労働の過程に組み込まれ、そこから逃れられない条件のもとに置かれています。つまり学生であることは労働の外にいるのではなく、その一部として生きていることを意味します。

 いまの大学は、もはや単なる学びの場ではなくなっています。社会に必要とされる労働力を育て、選別し、規律づける場として機能しています。その意味で学生は「これから労働者になる存在」ではなく、すでに労働のなかにいる存在です。

 たとえば学費の問題が挙げられます。本来、社会や企業が必要とする労働力を育てるためのコストは、その恩恵を受ける側が負担すべきものです。しかし現在では、そのコストが学費という形で学生個人に押しつけられています。私たちは、将来働けるようになるために必要とされる「教育」に対して、自分で高額の費用を支払っています。

 それは多くの場合、家庭の負担か、奨学金を借りることによってまかなわれています。奨学金とは、支援というよりは借金という負債として機能しています。返済の負担は卒業後の働き方を強く縛り、どんな条件でも働かざるをえない状況を生み出します。これは労働に入る前の段階から私たちを従わせる仕組みです。単なる「教育費の自己負担」の問題ではなく、働く前からすでに膨大なコストを背負わされ、その負担を回収するために労働へと駆り立てられているのです。

 さらに問題なのは、この負担が選別の機能を持っていることです。高い学費を支払えるかどうかによって進学の機会が左右され、借金を引き受けられるかどうかによって将来の選択肢が制限される。ここではすでに、誰がどのような労働に就くのかが振り分けられています。学費とはもはや「教育の対価」ではありません。労働力として使われるための準備に対して、あらかじめ支払いを強いられる構造です。

 アルバイトでは低賃金で働き、学費や生活費を自分でまかなうために、長時間働かざるをえない状況も珍しくありません。しかしそこで得られる賃金や労働条件は不安定で、シフトの削減や突然の解雇といったリスクも常に付きまとっています。学生は「代わりのきく労働力」として扱われ、その立場の弱さにつけこまれています。学業との両立のために権利を主張しにくい状況で、違法すれすれの働き方が黙認されることも少なくありません。こうした状況のなかで、学生の労働力は安く使われ、使い捨て前提で回されているのが現実です。

 就活やインターンシップにおいても、無償に近い労働や過剰な自己アピールが求められ、企業にとって都合のよい労働力になることが求められています。自分の経験や性格を企業に合わせて語り直すことが求められ、「協調性」や「主体性」といった資本主義に従順な労働者としての規範を内面化させられていきます。ここで行われているのは、単なる準備ではなく、無償あるいは低賃金の労働を引き出しながら、従順な労働力を作り上げていく、搾取のプロセスそのものです。

 大学の内部も同様です。ゼミの研究や実験、教育補助といった活動が、十分な対価なしに成り立っているケースは少なくありません。TAやRAとして働いていても、その労働が正当に評価されているとは言いがたい状況もあります。大学には教員と学生のあいだに強い上下関係があり、評価や進路に大きな影響があるなかで、学生は異議を唱えにくく、従属的な立場に置かれがちです。こうした構造は、学問の自由の問題であると同時に、労働の問題でもあります。

 こうした状況は日本人学生だけの問題ではありません。多くの留学生が、学費や生活費をまかなうために働きながら、在留資格や言語の壁のなかでより不安定で厳しい条件に置かれています。労働時間の制限やビザ更新の問題によって、働き方そのものが制約される一方、実際にはその枠を超えた労働を求められることもあります。外国人であることを理由とした差別や排外主義も、この状況をさらに厳しいものにしています。職場や社会で対等に扱われないこと、権利を主張すれば「国に帰れ」といった圧力にさらされる危険があること自体が、声を上げることを困難にしています。

 情報へのアクセスの難しさや相談先の不足、雇用主との力関係によって、不当な扱いや賃金未払いといった問題が起きても、それに対抗する手段は限られています。問題を訴えること自体がリスクになることもあります。不当な扱いを受けても声を上げにくい状況は、決して見過ごせるものではありません。こうした差別や排外主義と結びついた条件のもとで、より低賃金で従順な労働力が確保され、それが全体の労働条件を押し下げる方向に働いています。

 これらの問題は、それぞれバラバラに存在していません。学費、奨学金、アルバイト、就活、大学の管理。これらはすべて、私たちを従順で安定して使える労働力にしていくひとつの流れにあります。だからこそ、学費値上げに反対することも、奨学金の問題を問うことも、大学自治を守ることも、単なる個別の要求ではありません。それは私たちの生活と労働をめぐるたたかいです。メーデーとは、そうしたたたかいを持ち寄る場です。

 私たちは誰かにお願いするために集まるのではありません。自分たちの置かれている状況を出発点にして、現場から声を上げ、つながりをつくり、状況を変えるためにここにいます。学生も、留学生も、非正規を含む労働者も、無職の人も、それぞれ別々に存在しているわけではありません。同じ階級のなかで分断されながら生きています。

 だからこそ必要なのは、「違い」を理由に切り離すことではありません。立場や条件の違いをそのままに分断され続けることが、この構造を支えています。それぞれが異なる場所に置かれながらも、同じ仕組みのなかで管理され、選別され、使われています。この分断を前提にしたままでは、状況は変わりません。だからこそ私たちは分断を乗り越える関係をつくり直さなければなりません。

 学生メーデーとは「学生のためだけの場」ではありません。生活と労働をめぐる問題を、私たちの手に取り戻すための場です。与えられた枠のなかで要求を並べるのではなく、その枠組みそのものに対して異議を突きつけ、現場から対抗していくための実践です。ここに集まるのは、管理される側として、使われる側として、その関係を拒み、組み替えるためです。

 これは深刻なまでに分断されてきた私たちが、もう一度つながり直し、支配に対抗する力を取り戻すためのたたかいです。ここから分断を断ち切り、対抗する力を私たちの手に取り戻しましょう。


(関西学生メーデー2026実行委員会)