2026年3月9日に、仙台市内にて「リバタリアン史入門@仙台」を開催しました。参加者のみなさん、大変ありがとうございました。
今回は、いつもの講演に加えて、太田やくーとさんによる「インドネシア・アナキズムの現在地――日常から立ち上がる実践の可能性」も講演しました。
本稿はその報告記事となります。

インドネシア・アナキズムの現在地──日常から立ち上がる実践の可能性
3月9日、仙台市内においてリバタリアン協会主催の講演イベントが開催された。本イベントでは、まず筆者(太田やくーと)が「インドネシア・アナキズムの現在地」をテーマに報告を行い、日本ではこれまであまり注目されてこなかった東南アジアにおけるアナキズムの実践について共有した。当日はインターネット上で閲覧できる現地の映像を交えながら、路上での実践やコミュニティに根ざした取り組みなど、具体的な事例を中心に報告が行われた。参加者の多くにとってインドネシアの事例は馴染みの薄いものであったが、視覚的・具体的な話を通じて、抽象的な思想としてではなく、現実の社会の中で生きるアナキズムの姿に触れる機会となったように思われる。
会場では、単なる知識の受け取りにとどまらず、参加者それぞれが自身の問題意識と照らし合わせながら考える雰囲気が生まれていたのも印象的であった。質疑応答では、インドネシアという宗教的背景の強い社会においてアナキズムがどのように受容されているのかという問いや、実際の運動においてどのような直接行動が取られているのかといった実践面に関する質問が相次いだ。また、国家や資本に対する抵抗としての側面だけでなく、日常生活の中での関係性の再編という観点からアナキズムをどう捉えるかについても議論が広がり、短い時間ながらも密度の高い対話の場となった。
報告ではまず、なぜインドネシアのアナキズムに注目するのかが示された。1990年代以降、いわゆる「新しいアナキズム」が世界的に広がる中で、従来アナキズムの蓄積があまり見られなかった地域にも実践が生まれており、インドネシアはその重要な事例の一つである。同国では1998年の民主化によってスハルト体制が崩壊し、市民社会の活動空間が拡大したことを背景に、多様な政治思想が流入した。新自由主義的な経済政策や格差の拡大に対する不満の中で、若者を中心に既存政治への不信が高まり、国家や資本に対するオルタナティブとしてアナキズムが受容されていった点が指摘された。その広がり方は、パンク文化やDIY文化と結びついた独特のものであり、音楽やZINE、インフォショップといった文化的実践を媒介にして思想が共有されている。
歴史的背景としては、1965年の9.30事件以降の反共弾圧によって左翼思想が長く抑圧されてきた経緯が確認された。1990年代に入り、経済危機や政治腐敗への不満を背景に学生運動が再活性化し、1998年の民主化へと至る。その過程で一部のアナキストは急進的政治勢力と連携したが、その議会政治への接近に対する失望から、次第に自律的な運動へと軸足を移していった。やがて反ファシストのネットワークが形成され、以降は分散的で非中央集権的な運動が展開されていく。
近年の政治状況としては、2024年の政権交代以降、軍や国家権力の再強化への懸念が広がる中で、大規模な抗議運動が相次いでいる。選挙制度や国軍法改正をめぐる抗議、さらには生活苦や警察暴力に対する不満を背景とした全国的デモが発生し、数千人規模の逮捕が報告されるなど、社会的緊張が高まっている。その中で、急進的な行動を指して「アナルキ anarki」という言葉がメディアや警察によって用いられるようになり、アナキズムは政治的論争の焦点となっている。
実践面では、小規模なコレクティブやネットワークを基盤とした分散型の運動として展開している。路上図書館や無料のZINE配布、ワークショップの開催といった知の共有の試みや、食事提供などの相互扶助の活動が日常的に行われている。また抗議行動においてはブラックブロック戦術が採用されることもあるが、それだけでなく農民運動や先住民の闘争と結びついた地域的実践も重視されている。これらは国家権力の奪取ではなく、日常の中で新しい社会関係を構築する試みとして位置づけられる。
最後に、アジアにおける国境を越えた連帯の可能性についても言及された。SNSや翻訳プロジェクトの発展により、各地の運動や弾圧の状況が迅速に共有されるようになっており、共通の問題に基づく協働の基盤が整いつつある。今後は、情報共有と相互支援のネットワークを強化し、国境-国家の枠組みを越えた自発的な連帯関係をいかに構築していくかが重要な課題となるだろう。
今回の報告を通じて浮かび上がるのは、アナキズムがもはや特定の地域や歴史的文脈に限定された思想ではなく、グローバルな不安定性の中で再び実践として立ち上がりつつあるという点である。インドネシアの事例が示しているのは、国家権力の強化や新自由主義的再編が進む現代において、人びとがそれに対抗するための具体的な回路を日常の中から編み出しているという現実である。
とりわけ重要なのは、アナキズムが単なる抗議や破壊にとどまるものではなく、相互扶助や自律的な空間の創出を通じて、オルタナティブな社会関係を先取り的に実践している点にある。こうした実践は、政治の中心を国家や制度から切り離し、生活の現場へと引き戻す試みでもある。路上図書館や食事提供、文化の形成といった取り組みは、その具体的な現れと言えるだろう。
今後の課題は、こうした分散的で自律的な実践をいかに持続させ、同時により広い連帯へと接続していくかにあるだろう。国家による弾圧やスティグマ化が強まる中で、運動は常に困難に直面する。しかしそれでもなお、人びとが生活の現場から関係性を組み替え、小さな実践を積み重ねていく限り、アナキズムは単なる理念やイデオロギーの範疇を超えて、現実で更新され続ける可能性として存在し続ける。
(太田やくーと)
今後も講演会を開催します。また、開催を希望される方は以下の連絡先までご連絡ください。
contact@institute-for-libertarian.org
(リバタリアン協会)
