国家なき社会を展望する上で、森林に関する問題は極めて重要であると言わなければならない。とりわけ、「国土」の約7割を森林が占め、その森林のうちの約3割が国有林である日本列島ではなおさらである(1)。森林の持つ外部経済性や公共財としての側面、森林のコモンズ的な管理など、森林をリバタリアニズムやアナキズムに絡めて論じるのであれば、いくらでも論点を挙げ、長大なリストを作成することができるだろう。そしてそのリストのごく下の方には、ひっそりと「森林保険」という論点が眠っているはずである。
一般的定義を述べるなら、森林保険とは、森林がなんらかの災害(2)によってその経済的価値を減じたり、失ったりした時のための保険である、といえる。林野庁は「森林保険は、森林に火災、気象災及び噴火災が発生したときに経済的損失を補てんすることで、林業の再生産が阻害されることを防止するとともに、林業経営の安定化を図ることを目的とする森林保険法に基づく公的保険制度」としている(3)が、これはあくまで森林保険法に基づく制度を指したものである。民間の森林を対象とした損害保険商品は別個に存在するため(後述)、一概に森林保険を公的保険制度と位置付けることは必ずしも適切ではない。
本稿では、まず日本の森林保険の(主に制度的な)歴史を簡単に振り返り、次に森林保険をリバタリアン見地から考える(つまり、効率的な森林保険市場形成を展望する)ための糸口となるような論点を提示する。本稿は筆者鍬形による既存文献の内容・論点整理といった趣が強い個人的な研究ノートであり、論文として論証文の体をなしていないことをあらかじめお断りしておく。
まずは日本の森林保険の歴史を外観するにあたって参考になりそうな文献は、森林保険協会編の『森林国営保険制度史(三〇周年記念)』(林野庁、1968年)や、根立昭治『森林保険制度史論』(日本経済評論社、1993年)だが、筆者はいずれの文献の入手にも成功していない。インターネット上で入手が容易なものとしては、『林業経済』No.622・623(2000年8月・9月)に連載された「我が国における民営森林火災保険の動向(I・II)」という研究ノートがある。日本における森林保険の制度的研究は少なく、容易に入手できるのはほぼこれだけといっても過言ではない。以降、森林保険の歴史について簡単に述べるが、その記述は基本的にこの文献に沿ったものとする(4・5・6)。
そもそも、日本の森林保険は、1916年、幼齢林の火災に対する補償を充実させることで林業への参入を促進することを目的に、その必要性が川島滝蔵によって訴えられたことに始まった。しかし、民営の損害保険会社によって1920年以降始まった森林火災保険事業は、当初の目的をよく達成したとはいえなかった。というのも、幼齢林は火災の危険性が高く、また保険料率が高くなりがちだったことにより、幼齢林対象の民間森林保険への加入率は低い水準にとどまっていたのである。こうした状況の中で、当初の目的を達成するために1937年に始まったのが国営森林保険であった。
戦後すぐは復興用木材・燃料材伐採などの社会情勢的な背景や林野の耕作地拡大などもあって森林火災が多発し、民営森林保険の損害率が高くなったので、保険料率も高くなったこともあり、加入率に伸びは見られなかった。その後、1951〜52年に国営森林保険と民営森林保険の料金や区分の体系の統一が図られた。この時期には森林火災も減って損害率も低くなり、保険料率も下がり、加入率は大きく上がった。また、1956年には全森連による森林災害共済も始まっている(7)。
1961年、森林保険のカバーする領域が、国営森林保険の方では火災以外の諸災害にも広がった一方、民営森林保険ではそうならなかったため、両者の損害率、保険料率の乖離が発生し、国営・民営協調路線が崩れた。このことに始まり、以後80年に至るまで段階的に(最初は料金体系に差が生じたのみであったが、やがて両者の差異は等級区分などに広がっていった)現在の民営森林保険が確立していった。
その後、1981年以降からこの文献の書かれた2000年ごろに至るまで、林業の不振などによって保険加入者は一貫して減少傾向にあった。しかし、低い森林火災の発生率によって損害率などが低く抑えられていること、一般森林所有者の加入が少ない一方で紙・パルプ業者などの特定層が加入していることにより経営は持続しているという。一方、森林災害共済は、加入森林の林齢の偏りがたたり、相次ぐ風雪害によって経営が不安定化していった。こうした中で、1994年、国営保険と共済は、双方の負担を1:1とした森林共済セット保険による一本化を図ったが、結局2001年には共済契約の新規引受停止に至った(8)。1996年以降、数回に渡って行われた損害保険業界の自由化・規制緩和への方向転換は、森林保険の経営環境に少なからぬ影響を与えた。2015年、国営森林保険はその事業を政府から国立研究開発法人・森林総合研究所に移管、森林保険センターが設置された(9)。2016年時点での(旧国営)森林保険の市場規模は18.1億円、加入率は9%程度にとどまっており、民営森林保険の市場規模はその約10分の1である(10)。また、2025年の資料によると、2020年から2024年にかけて(旧国営)森林保険の加入率は減少傾向にあり、2024年時点で6.5%となっており、2016年からさらに縮小傾向にある(11)。近年の民営森林保険については市場規模・加入率ともにデータはないが、2016年時点での業界構造と(旧国営)森林保険の加入率低下から類推するに、少なくとも大きく成長してはいないと考えるのが自然だろう。
以上の歴史的経緯を踏まえると、森林保険は純粋な保険商品というより、政府の政策的思惑(幼齢林の担保力向上による林業振興)の影響を強く受けながら成立し、現在に至るまでその影響と不可分に継続してきた制度/商品ということができる。また、前述の通り、民営森林保険の規模は、(旧国営)森林保険と比べるとごく小さい状況にある(といっても、そのことの根拠となる文献が書かれたのは約8年も前のことだが)。この状況は政府系機関による独占であり、リバタリアンが理想とするであろう効率的な保険市場からは程遠い。そればかりか、森林保険の加入者そのものが危機的なまでに少ないという状態にある。このような歴史的経緯と現状から、いかにして国家なき効率的保険市場を展望すればよいだろうか。
日本ではこのような見地からの研究はあまり見られないが(12)、国外では効率的な森林保険市場の形成について、部分的ではあれど検討した文献が複数ある。ある文献(13)では、災害後の無条件の公的援助(Policy programs involving unconditional support after disaster)が保険料への支払い意思額(WTP)を減ずるとする一方で、保険料への補助がWTPを上昇させるとしており、一概に政府の介入を否定していない。複数の森林保険に関する英語文献について検討したレビュー論文(14)では、前述の文献に言及した上で、「より一般的には、これらの(森林保険に関する)文献は、それが条件付きであろうとなかろうと、公的援助が(森林)所有者の保険加入を阻害することを示している。 彼ら(論文の筆者ら)は「チャリティー・ハザード」の問題を林業に敷衍しているのである。」と指摘している。ここでいう「チャリティー・ハザード」は「災害に対する公的援助に期待することによって、災害に備える保険への加入が阻害される傾向」として定義される、範囲を森林保険に限定しない一般的な概念である(15)。日本にも火災などの森林災害に政府が財政的支援をもって対応することがあるため、これらの議論を日本の森林保険業界にも敷衍できる可能性がある。
以下に主要な論点をまとめた。
・日本の森林保険は、政府の政策的思惑(幼齢林の担保力向上による林業振興)の影響を強く受けながら成立し、現在に至るまでその影響と不可分に継続してきた制度/商品ということができる。
・日本の旧国営森林保険への加入率は低く、近年低下傾向にある。
・日本の森林保険市場の状態は、少なくとも2016年時点では、旧国営の森林保険による独占といえる。
・森林保険の普及には、政府による災害に対する公的援助が悪影響を、政府による保険料への補助がよい影響を及ぼす可能性がある。
森林保険市場が政府系機関による独占状態にあることは一つの問題ではあるが、それ以前に、森林保険への加入者が過少であることが、保険が保険として機能することの足枷となっているのではないだろうか。保険加入者を増やすための方策については上述の通りだが、仮に保険料への補助を行うとして、その原資は税金であるから、これはリバタリアン的には認められないことになる。効率性(保険市場形成)と公正性(自己所有権の擁護、課税廃止)のバランスを考慮しながら、リバタリアン的に最適な解決策を模索していくことが重要だろう。また、そういったことを考えていくには、日本での森林保険に関するWTPの分析など、未開拓の分野での実証的分析も進める必要がある。
各種技術の向上により、かつては困難だった森林災害のリスク評価についてもさらなる進歩が期待され、また、気候変動による災害の多発が予想されるなかで、持続可能性の観点からも、効率的な森林保険市場形成はますます重要な課題となっていくだろう。今後、さらなる研究が待たれる分野である。
(鍬形毅)
注および引用文献
(1)「国有林とは?:林野庁」 https://www.rinya.maff.go.jp/j/kokuyu_rinya/welcome/what.html (林野庁HP)、2026年7月13日閲覧。
(2)かつては火災のみだったが、現在はその領域が拡大している。詳しくは本文該当部を参照。
(3)「森林保険制度の概要:林野庁」 https://www.rinya.maff.go.jp/j/keikaku/hoken/gaiyou.html (林野庁HP)、2026年7月13日閲覧。
(4)興梠 克久, 我が国における民営森林火災保険の動向(I)(研究ノート), 林業経済, 2000, 53 巻, 8 号, p. 15-30
(5)興梠 克久, 我が国における民営森林火災保険の動向(II)(研究ノート), 林業経済, 2000, 53 巻, 9 号, p. 18-30
(6)以上の文献では、2000年時点までの歴史・動向について論じられている。それ以降(じつに26年にも及ぶ期間になるわけだが!)の動向や、あるいは2000年以前であっても上の文献で触れられていないような事柄については、適宜他の文献や公的機関の公開情報を参照した。詳細は「注および引用文献」の該当する項を参照。
(7)興梠 克久, 転換期の森林保険, 山林, 2018, 1613号, p. 18-26
(8)同上
(9)「国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林保険センター/森林保険制度の目的・沿革」 https://www.ffpri.go.jp/fic/s/mokuteki.html (森林保険センターHP)、2026年7月13日閲覧。のちに「国立研究開発法人森林総合研究所 森林保険センター」から「国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林保険センター」へ名称変更。
(10)(7)に同じ。
(11)「令和6年度森林保険センターの業務実績について」 https://www.ffpri.go.jp/fic/s/documents/gyoumuzisseki_r6.pdf (森林研究・整備機構HP)、2026年7月14日閲覧。
(12)制度としての森林保険への加入者増を志向した分析については(7)を参照。
(13)Philipp A. Sauter, Torsten B. Möllmann, Friederike Anastassiadis, Oliver Mußhoff, Bernhard Möhring, To insure or not to insure? Analysis of foresters’ willingness-to-pay for fire and storm insurance, Forest Policy and Economics, Volume 73, 2016, p. 78-89
(14)Brunette, M.; Couture, S. Forest Insurance for Natural Events: An Overview by Economists. Forests 2023, 14, 289
(15)同上
