『新リバタリアン宣言』④

革命:我々の戦略

 我々の条件は分析されており、我々が気づいた目標であるメカニズムは理解されており、また、一連の経路は緻密に計画されている。我々が単に対抗経済的な存在になるなら、我々はリバタリアン社会に到達するだろう。実際、これはほとんどの人々にとって十分であり、また、十分に期待される。新リバタリアンは、リバタリアンな対抗経済の実践者を非難さしてはない。彼らはアゴリストであり、いずれそこに到達するだろう。

 しかし、そのような単純なアゴリストは、国家主義社会からアゴリスト社会へ運動を加速させるような、特別な企業家が貢献することを願うかもしれない。そして、経済的崩壊の先頭に立ち、多くの戦争を蓄積するような、増大するインフレーションに気づくことで、その他はインフレについてなされる何かを欲するだろう。最終的に、アゴリスト的部分社会を打倒し、リバタリアンを誤った経路に誘惑する国家の反撃と戦わなければならない。この任務が新リバタリアンの活動家の領域であるのは明らかだ。[1]

 繰り返すが、可能な限り自由に生を営み、他者と通じ合うことのみを願う人々にとって、対抗経済的リバタリアニズムは十分である。それ以上のことは必要ない。

 しかし、アゴラ[広場]の新規構成員募集を専門とし、国家が原因の厄災に対処し、内外で国家主義者と戦う英雄的企業家を、どのような形であれ支持したい人々にとって、「価値あることをしている」人々を、空回りしている人々や、より自由を達成するために実際には逆効果(例:反革命)な人々から選別される必要がある。また、この本の著者のような人々、つまり、自由のために燃え上がり、自分自身の人生をかけて捧げたい人々にとって、戦略は必要不可欠だ。そのとき、従うべきものは新リバタリアン戦略だ。[2]

 対抗経済が国家の残滓に対する防衛にとって十分に大きな保護機関のシンジケートを生み出すまで、国家に対する実際の防衛は不可能だということを、新リバタリアン活動家は念頭に置き続けなければならない。これは、国家主義からアゴリズムへ通ずる第三と第四の段階の間の「段階移行」でのみ生じるだろう(第3章。)

 国家主義からアゴリズムへの各段階は異なる戦略を要する。戦術は各段階内で異なるだろう。すべての段階で適用されるいくつかの規則がある。

 すべての状況下で、誰かが新規構成員を探し、教育する。対抗経済行為を考慮する、よくある混乱した知人がいたら、彼らに対抗経済行為を奨励しよう。もし彼らが十分に知的で、あなたに聞き返えそうとしないなら、複雑なリスクを説明し、期待を取り戻そう。何より、あなたが彼らに知らせることができる範囲の実例によって、彼らを教育しよう。

 すべてのあなたが知るような、リバタリアニズムの理論的差異を明言するが実践避ける「本の虫のリバタリアン」は、彼らが伝道することを実践するよう奨励されるべきだ。彼らが行為しないことを嘲笑し、対抗経済への第一歩となる不完全な段階を称賛しよう。彼らの能力と経験によって信頼が高まるにつれて、彼らとの交流をますます深めよう。

 既にあなたが出会う対抗経済の中でそれらは、あなたが保持するもの、つまり、あなたが自責の念に対して自由かつ幸福であり続ける神秘的な信念のリバタリアン哲学に「参加させる」ことができる。もしそれらが利益の欠如を装うのであれば、リバタリアン哲学を無頓着にも取り落とす。それらがより好奇心をそそり、学ぶ意欲があるようになるにつれて、熱狂的になる。

 実例と主張によってアゴリズムを増殖させよう。国家主義と逸脱への敵意を示し、アゴリスト的行為と国家の後退での熱意と楽しみを示すような情熱的反応を統制し、計画せよ。これら諸戦術のほとんどは機械的作業だが、あなたは自身でいくつかのことを洗練するよう確認できる。

 最後に、あなたの活動と他の新リバタリアン活動家を協調せよ。この点において、我々は集団戦術と組織の必要性にたどり着く。

 ビジネス、パートナーシップ、ジョイント・ストック・カンパニー[3]の市場構造は、組織が必要不可欠で望ましいものだと、多くの立派なリバタリアンは主張する。もしかすると、個人的付き合いや社交のための節約かもしれない。ある考えにおいて、すべての構造は市場に適合し、アゴリズムに一致しなければならない点において、彼らは正しい。違う考えでは、彼らは、従属を超えた形態の考慮と創造の欠如において誤りがある。

 アゴリスト社会では、労働の分割と各労働者・資本家・企業家の自尊心は、おそらく伝統的商業組織を排除するだろう。特に、そのような組織は企業ヒエラルキーであり、国家の模倣であって、市場ではない。ほとんどの企業が独立契約者、コンサルタント、そしてその他の企業の結社となるだろう。多くは、まさにひとつの企業家と、そのサービス、コンピューター、供給者と消費者となるかもしれない。この運用形態は既に存在し、西洋経済のより自由な部分の中で成長している。

 したがって、リバタリアンな活動を専門化し、協調し、実行する目的のための自由な企業家の結社は、市場の侵害がなく、十分に最適かもしれない。目的のための独立単位の共同対処と解散に関する伝統的名称は同盟だった。したがって、新リバタリアン活動家の基礎的組織は、新リバタリアン同盟 New Libertarian Alliance だ。[4]

 (複数の)NLAの組織は単純で、政治的組織、まして権威的組織に転化するのは避けねばならない。事務員以上に、必要とされるのは戦術家(戦術的計画能力のある地区統括者)と、戦略家(戦略的思考能力のある地方統括者)だ。新リバタリアンの連合は戦術家や戦略家に従属するのではなく、むしろ、彼らの主張や専門的意見を「買う」のだ。よりより計画を提供する者は先任の計画者を置き換え得る。戦術と戦略は、首尾一貫したアゴリストの流儀で他の価値あるものに似た連合によって、「売り買い」されるべきだ。

 これらのラベルが軍事的歴史から借用され、戦闘形態に該当するにもかかわらず、国家の執行人との実際の対立が、十分な強度の保護機関シンジケートの市場での誕生を待たねばならないことを忘れてはならない。他の事柄は時期尚早だ。[5]

 地球規模の戦略、大陸規模の戦略、そして、NLAが最適に追及する地区戦術とは何か?繰り返すが、アゴラから(あるいはアゴラへ)国家主義から4段階を見てみよう。第一から第三段階は、実に人為的分類である。唐突な変化が第一段階から第二、第三へと生じることはない。見ていくにつれて、アゴラの本性によってそれが必要ないにもかかわらず、むしろ、激動が国家の本性によって引き起こされるだろう。実際、すべての暴力、[社会的]不穏、不安定、そして秩序の崩壊は国家によって引き起こされ、新リバタリアンによって先導されることはない。

 自由の英雄になるのは、あなたであることに十分注意せよ。いかに「リバタリアン」風の結末が見られるかもしれないにかかわらず、何らかの暴力行為を引き起こすことは決してない。そうすることは、あなた自身を国家主義者に引き下ろしてしまう。この法則に期待するところない。あなたが原理的に首尾一貫していても、そうでなかったとしてもだ。新リバタリアンは原理的に一貫し、原理的に一貫していない者は新リバタリアンではない。[6]

 しかし新リバタリアン的分析を用いることで、ある者が国家主義者の侵略の勃発のようなものを予想可能で、暴露によってそれを阻止し、被害者を守り、教育する気にさせることができる。ある者が、リバタリアン集団による献身の有望な結果を予想可能で、裏切りと厄災を防ぎ、誰かの洞察に対する尊重と潜在的新参者から新リバタリアンのそれを勝ち取ることも可能だ。国家を森林火災にしよう。NLAは、国家を燃やし、防火帯をつくり、そして変化の風が国家に影響を及ぼし、最後に、火花が飛び散るであろう場で消化する方法を知る、煙を屠る者である。

 この考えを基に、四段階のアゴラへの移行を分類し、各段階の適切な戦略を概略しよう。

段階0:零密度のアゴリスト社会

 この人類史のほとんどを占める段階では、アゴリスト社会は存在せず、対抗経済について考え、実践するリバタリアンないし前リバタリアンが散乱しているだけである。幾人かがこの宣言を読み、適用したいと願う時点で、次の段階に移行している。段階0での成し得ることは、良心の緩慢な進化、発展の成否、多くの苛立たしい二分法のみである。

 段階0の状況での最初のアゴリストである、あなたが仲間をつくるまで、あなたの戦略は、対抗経済的に生きるあなた自身と同様の仲間を増やすのみだ。あなたが(構成員が抑圧からの救済を求めて盲目的に言った場所である)政治活動から構成員を誘導し、リバタリアンな代替案を宣伝するために、教育、出版、新規勧誘、そしてもしかするといくらかの政治キャンペーン(例:「誰でもないに投票」、「該当者なし」、「投票のボイコット」、「投票するな、チームを励ますだけだ!」等)に注力するのが、組織の最良の形態であるリバタリアンの同盟だ。あるリバタリアンの同盟が、全会一致に合意し、固執する争点の立場に立つかもしれない。ほとんどの明瞭なリバタリアンな立場のみが採用され、あなたは逸脱の立場を常に拒否するだろう。常に「ハードコア(一貫)」の主張への傾向を奨励し、「ソフトコア(不一貫)」のそれを嘲笑せよ。

段階1:低密度のアゴリスト社会

 最初の対抗経済的リバタリアンはこの段階に発生し、リバタリアンな運動の最初の深刻な分裂が起きる。極少数のリバタリアンはとても一貫しているため、逸脱が蔓延し、活動を圧倒する傾向にあるだろう。アナルコ・シオニズム(約束された自由の地からの逃走)から政治的日和見日主義へと「自由を一刻も早く手に入れる」要綱は、性急さをそそのかし、不完全な情報に傾かせるだろう。もし、自由が個人によって個人を育む以外に理由がないのであれば、すべては失敗するだろう。大衆の転向は不可能だ。ひとつの期待例外がある。集団対して攻撃する国家主義者による急進化だ。たとえそうだとしても、それは、企業家が無作為かいっそう悪くまき散らし、権力なき国家主義に流動するよりも、一貫してリバタリアンの語に光をあてるために、急進化は迫害された集団に十分に情報を与える自由な企業家を必要とする。この国家主義の危機は自生的で予想可能だが、道徳的で一貫したリバタリアンによっては引き起こされ得ない。

 最初の新リバタリアンの戦略は、国家を強化し、アナキストのエネルギーを無駄に浪費する反原理と闘うことだ。一般的戦略の概略は前に適用した。リバタリアンを対抗経済にさせ、対抗経済の実践者をリバタリアンにさせるためにアゴリストを最大限活発にさせることだ。

 最初期の新リバタリアンは、「急進派<22.>」、ジンジャー・グループ<23>、あるいは、通常、「リバタリアン左派」派閥のような既存の組織やクラブ内で活動するかもしれない。NLAはここでは時期尚早だ。というのも、まだ自己持続的ではないからだ。

 うまく作られ得るものは――新規募集のために最も役立つとされるどのようなラベルでも――リバタリアン左派運動 a Movement of the Libertarian Left だ。その運動はそれ自体変化する「革新の堅さ」の諸個人の雑多なカバンではあるが、彼らは新リバタリアンの理想に向かって動いている。MLL内の組織でさえ重きを置くべきではない。ほとんどの新リバタリアンは、協調し、計画するのに最大限適切だろう。つまり、最も高いアゴリズムの理解と実践と、行為のための最も偉大な情熱のそれは、本質的に明白な源だろう。企業家が熟知したコンサルタントと成すように、各々の新リバタリアンの連合のような各々のリバタリアン左派運動の実践者は、彼/彼女自身の外部資源を費やし、戦術家・戦略家の助言と計画を受け入れるか否かを決定する。幾何かの疑似政治的な公の装いは、公開討論やメディアへの接触を活用する必要があるかもしれない。また、疑似政治的用語に市場組織を翻訳し、立ち返ることなしに、ほとんどの人々はその組織を理解しないだろう。

 この時点で、段階1の後半と、十分に機能するMLLのために、これらハードコアで献身的な「幹部 cadre 」は、国家によって実に限界的行為を妨げるために、半分転向した準リバタリアンの広大な集団を動揺させるテコの作用を認めるかもしれない。これは、高出費かつ「すぐに利益を得られる」が、長期的な利得は低く、あまり用いられるべきではない。(それについては後述。基本的には、戦争とリバタリアンの大量絶命を食い止めること。)

 上記すべての活動を通じて、リバタリアンを急進化させ、NLAを進化させる。それしかない。

段階2:中密度で、小規模に凝集したアゴリスト社会

 この時点で、国家主義者はアゴリズムに注意を向ける。以前のリバタリアンが、(イノベーションや価格設定よりも投票や弾丸に興じる一連の反市場「競争」である)他の損害に対するある支配的機能によって操作され得る一方で、彼らは、脅威として認められ始めるだろう。大量虐殺(大量逮捕)は、それが起こりそうにもないが、発生するかもしれない。思い出してほしいが、ほとんどのアゴリストは社会の片隅に埋め込まれ、彼らを結びつけることは、部分的に転向したリバタリアンと対抗経済の実践者である。この段階に到達するために、社会全体がある程度アゴリストによって汚染されている。したがって、大規模構成から国家を抑止する社会の残部の共感が発生し、またそれに期待するために、最初のアゴリストの「ゲットー<24>」や地区が今や可能となる。[7]

 地上だろうが地下だろうが、これらの共同体は、今や新リバタリアン同盟を持続可能にし、

国家主義的居住に対するアゴリスト的居住の優越性を宣伝し、またおそらく、「異なる方法」でその寛容を主張するすべての機会を活用することで、NLAは国家主義社会に対するアゴラの代弁者として機能する。[8]

 この段階では、アゴリスト社会は、大衆の国家主義的退行に対して脆弱だ。したがって、見えるか否かにかかわらず、アゴリストは、少なくとも、残りの大衆の中にあるリバタリアンな良心の現在の水準を持続させる高いインセンティヴがある。(誰がNLAかを決定するひとつの手段はこの段階にある)このNLAによってほぼ専門的になされることで、NLAは自らを持続させ、自らの任務をこなす。しかし、アゴリストの部分社会を「防衛する」ことに加えて、NLAは次の進歩的段階へと加速させる方向に機能するだろう。

段階3:高密度で、大規模に凝集したアゴリスト社会

 この段階では、国家は、あのマルクス主義者のシナリオにやや類似する一連の終末的危機に向かうが、異なる原因によるもので、この事例では現実的なそれだ。幸運にも、衝撃の可能性は、国家の資源をひったくることと、対抗経済の成長による国家の権威の消耗によって劇的に衰えている。

 実際、経済の資源が国家とアゴラで等しくなるにつれて、国家は危機に突き動かされる。戦争と、没落と粉砕による激しいインフレーションは、国家がその権威を回復しようとするにつれて、永続的なものになる。演繹的な反撃によるアゴラの腐敗によるその衰退を反転させることは可能である。なぜなら、NLAの第一の任務は明らかだからだ。それは、思想の純粋と警戒を維持することだ。この段階では、NLAはラベルとその多くの古い形態のどちらも、最早保持しないかもしれない。最も動機づけられた新リバタリアンは、芽を出したアゴリスト的保護・仲裁機関のため、そしてついには保護企業シンジケートの指導者として、研究開発の供給に向かうだろう。

 今や状況は革命に向かっているが、いまだに反転可能である。[9] 繰り返すが、新リバタリアンは、この点に対して利益を維持し、防衛する前線にあり、また、次の段階を見越している。

 (今やほぼ進歩的要素の集団的用語である)NLAは、言葉と偉業の両方によって、その産業とそのイノベーションの企業家精神の発揮のために、保護と防衛の最適法を発見し、発展させることで過程を加速するだろう。

 この3から4へ移行する段階で、我々は、支配階級がすべての過去の国家の犯罪を正そうとする勢力を弾圧するために、国家の支配階級によって、最後の暴力を解き放つ。国家の知識人は、その権威が地に落ち、損失することを認める。物事は今や決して反転しない。NLAは、性急な気づき、あるいは、この気づきに対する性急な行為を妨げなければならない。これがNLAの最後の戦略目標である。

 国家がその最後の抑圧の波を解き放ち、またうまく制約されたとき、これは革命となる。一度でも、最早国家が略奪し、また国家の寄生的階級から支払えないことが現実に起こると、執行者は自身により多く支払う側に転向し、国家は早々に何であれ後方の領域にある国家主義の袋に収縮するだろう。[10]

段階4:国家の不純物が混じるアゴリスト社会

 国家の崩壊は業務を完了することでのみ起こる。保険・保護企業は国家から防衛することがないと判断したため、保護機関の連合シンジケートは競争に負け、NLAはその支持を失い解散する。

 逮捕された国家主義者は賠償費用を支払い、もし彼らが借金を返済にするのに十分長く生きているなら、生産的企業家として再統合される。(彼らの「訓練」は、借金を減らすにつれて、自動的に行われる。)

 ただいま(第2章)!新リバタリアンは標準的な普通の人生として当然視され、我々は人類が直面する他の問題に取り組む。

(SEK3, 訳:前川範行)

脚注

[1]

 パイロ・エゴン Pyro Egon のような多くのアゴリストはこの点に対して新リバタリアンたちに挑んでいる。彼らにとっては、これまでの宣言は全般的な計画であり、これ以上の「活動」は「運動」であり、不可避的に国家主義へと引き戻される。

[2]

 新リバタリアンの戦略はリバタリアン左派運動の新聞であり、偶然ではない。

[3]

 だが、国家によってつくられ、特権に授かる仮想の「個人」である「企業」ではない。補助金と関税を含むいくつかの特権は、特別税率、有限責任、規制や免許の免除、そして司法紛争の法的利益である。確かに、それらはいくつかの問題を抱えるが、法人化されていないホワイト・マーケットのビジネスとは比較にならない。

[4]

 最初の新リバタリアン同盟が、多くの点で時期尚早だったが、1974年に筆者よって、[アメリカ・]リバタリアン党からの引き抜き、他の運動の活動家や少数の対抗経済の実践者によって結成された。市場はこのビジネスでの成長の準備が整っていないことを証明し、現在までNLAは市場づくりにエネルギーのほとんどを費やした。

 新リバタリアンの何かしらの結束は、「公的承認」なしに、自分たちを新リバタリアン同盟と名乗るだろう。ほとんどは、他のNLA集団と自分たちを確実に協調させたいと願い、通常の戦略に関して合意しようとするだろう。戦術が連合ごとに異なる条件であるかもしれないにもかかわらずだ。

[5]

 このNLA組織の方法は、実践で断続的に継続するロング・ビーチ支部でうまく機能している。地方単位の戦略は実践によって十分に「統合され」ないが、他のNLA集団が、断続的にその理論を発展させ、機能させるようコミットした連合の高い水準を持続させることはない。

 軍隊に関して言えば、ネストル・マフノ<25>が必要になったときや必要だと思われたときに、少数の将校と、一兵卒たちを充足する義勇兵から成り立つような方法で軍隊を運営したことに注意しなければならない。彼に対して大陸の最大限の資源を備えて勝ち誇った赤軍の国家主義者たちの物量によって打倒されるまで、彼は1918年から20年のウクライナで赤軍と白軍とうまく戦った。

[6]

 メンバーシップや信用性はNLAでは必要とされないか望まれない。もちろん、誰かが、人々のリストを獲得し、計画し、また、コミュニケーションをメールで行うことでそのリストを作成するかもしれない。しかし、そのリストについて神聖視されたり特別に扱われることはない。それらは単に、ある戦略家や戦術家の判断である。

 誰もNLAから追放され得ない。誰しも新リバタリアンか、あるいは、誰かの行為にあてがわれた証拠に依拠しないかだ。その他すべての連合は彼ら自身によって判断されなければならない。あなたを新リバタリアンとして受け入れるすべての人は、あなたと同盟関係にある。あなたを拒む人々はそうではない。あなたがそのような人たちと同盟関係にあったとしてもだ。

[7]

 アゴリスト共同体の早すぎる発生は、国家による暴力的抑圧につながる。歴史的条件が限界点に達し、運命づけられた人々を警告し、教育するとき、NLAは救済可能な人々を守らなければならない。

[8]

 高次サークルの一方の派閥に対して、アゴリストの存在が他の派閥よりも自らの利益になると指摘することは、いまだに新リバタリアンの道徳の範囲内である。国家主義者が略奪と殺戮に関して援助されることはなく、また、単なる腐敗した抑圧者の成果のための腐敗した資源と、他の消費者に抗する国家主義者とを結び合わせる一方で、端的に現存し営業しているありふれたビジネスによって、アゴリスト活動家は他の消費者に抗する国家主義集団よりも比較的不利だと、新リバタリアンは感づくだろう。

 支配集団を偽る戦術の経験則は、もし誰かが以下の社会サークルに訪れるとして、もっと重要な仕事…私的論争についてのメディアの暴露と通常の出版に依拠する余分の声明以上に、資源が支配集団に捧げられることはないと確認することだ。

 この戦術は、アゴリスト社会が非常に脅威に晒されている場合、失敗する。そのとき、すべての国家主義の派閥は、ちんけな金を守るために団結する。

[9]

 ある地方が高くアゴリスト的で、その他の大多数は原始的だったとしよう。資源はこの早期のアゴリスト社会を破壊する国家によって転換され、(したがって脆弱な)アゴラに集中するかもしれない。これは段階2以降であてはまる。

[10]

 国家主義者が終末に近づくのが見えたとき、国家が平和的に崩壊するかもしれないと、何人かは言うだろう。もし国家主義者が市場の代替案ゆえに強制力に頼らず、とても穏当なら、彼らは国家主義者ではない。革命は、何かしらの人間行為が行われるのと同じくらい不可避だ。

訳注

<22>

 ここでの radical caucuses は、組織内の急進派のことを示しているが、radical caucus は自由リバタリアン党内にも存在した。具体的には、コンキンが在籍したものや、1979年に存在したコンキンとは無関係の同名のものである。

<23>

 ginger group は、組織内で(多くの場合)少数から成る急進派、積極派のこと。

<24>

 ghetto は、ある特定の集団が住まう地域のこと。歴史的には、ヨーロッパにてユダヤ人が強制的に居住させられた地区を起源とする。

<25>

 Нестор Махно は、ロシア内戦期のアナキスト革命家。白軍との戦闘後、赤軍との闘いに突入し、敗れた。その後、パリに亡命した。