Z世代はリバタリアン的階級である

編集より

 本稿は、東京大学のリバタリアン系学生新聞「レアリスト」第6号からの転載である。〔〕は編集による注釈。以下、本文。
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 2026年、〔東京大学にて〕初修外国語の希望を一つに絞って提出する方式が廃止された。地域・文化の研究や、特定の言語が強い学問領域を目指す新入学者にとっては一大事だ。そして二五年度の入学生は、リークによって発覚した授業料値上げ計画を受験直前の九月に決定、強行された。教養学部と大学本部で舞台は違えど、共通するのは「教授陣さえ知らないところで話が進み、議論不在のまま『決定』された」こと。今年の前期課程生は、大学を順調に覆うトップダウンの波の、生身の人間への皺寄せの渦中にいる。

自由……っぽく見える。

 大陸が線で分割され、領域ごとに塗り分けられた世界地図。よく見るデザインだが、不気味な点が二つある。⑴実際にはない線の存在。⑵単色で一様に塗りつぶされた各領域の内部。本当の世界(物理)は、「標高」に従って彩られた地図帳のアレに近いはずだ。本当の世界(社会)は、地球を覆う人間関係の網目のはずだ。
 先の「よく見るデザイン」はあまりに強力だ。本当の世界(物理も社会も)をいとも簡単に〝変形〟してしまう。人間には通行できない不自然な断崖絶壁(国境の壁)。経済社会ネットワークの断絶(帝国主義下のブロック経済・大陸中国の通信遮断)。先に「世界」が「規定」され、人間はその枠組みを潜脱しないかぎりで、自由っぽく見えるものを享受する。

Z世代は知る。自動的に。

 先に「世界」を「規定」することを好む者がいる。世界を規定して優越感に浸ろうというわけでは必ずしもないだろうが、二言目には「決定事項ですので」と口にし、その通りに事が進むことを期待(強制といったほうがよいか)する「階級」がある。
 国は大学に、運営費交付金の減額や卓越助成金の選考中止をちらつかせ、「国益」に沿った上からの学部学科再編や「ガバナンス」(≒監視・制御)強化を促す。ある教員は、目先の「成果」を説明しづらい縦断研究(特定の被験者などを何十年にもわたって調査するような研究)は必要なのに、研究費が取りづらくなったと話す。
 大学は資金の流れを「決定」し、学生はより多くの授業料を払う。親の所得が高いのに学費を払ってくれない家庭の「学生(になりたかった人)」は、静かにキャンパスから消えている(この点、大学当局は対策を検討すると言っていたのに、棚に上げて学費も上げた神経を疑う……)。放置すれば、われわれはトップダウンに擦り潰されることになるだろう。
 兼業をすると確定申告は急に面倒になる。税制には「単一所属」「内と外」「『副』業はゲテモノ」の精神が息づく。Z世代のわれわれからすれば甚だ迷惑だが、上から定めるのだから、ある意味では必然だ。「決定事項ですので」

Z世代が解体する。自発的に。

 われわれZ世代は人間関係が希薄になったとかいわれるが、そうではない。「内と外」の価値観では「単一所属」「内輪ノリ」「エクスクルーシブ」を「結束」と呼んだ。「内と外」的な「結束」感では、われわれはバラバラに見えるかもしれない。しかしZ世代は「複数所属」「知り合いの知り合い」の世界のネイティヴなのだ。世界の近くは近くとして、遠くは遠くとして、まるっとゆるっとつながっている。
 同じ問題を図形的に解くか計算式で解くかで展開が異なる場合がある。同じ世界を見ていても世界「像」が異なれば、⑴は解けても⑵が急に解けなかったり、所与の枠組みに沿う「自由っぽいもの」を享受できても不意に自由がきかなくなったりする。Z世代の世界像は自由と相性抜群。トップダウンは「自由っぽいもの」を「設計」できるが自由と相性が悪い。リバタリアン社会に導くのはわれらZ世代なる階級である。

(楠田大奈)