大勢の人が犠牲となった原爆投下と「戦後」から81年が経過しようとしています。現代の日本に住んでいる人々は「戦後の平和な日本」を表層的に享受し、過去の惨劇を忘却しているのではないでしょうか。その証拠に、事実、19世紀から始まる帝国主義国家による一連の侵略を忘却しているのではないでしょうか。
昨年と同じく、今年も広島市は平和記念式典での各国を「案内」しています。そのため、今まさに無辜の人々を蝕んでいるアメリカ・イスラエル・ロシアのような剥き出しの大量殺戮国家を含んだすべての国・地域に対して式典の文書が送付される見込みとなっています。「原爆犠牲者を慰霊し、世界恒久平和の実現を祈る」ために平和記念式典は実施されるとのことですが、果たして本当にそうなのでしょうか。例えば、日本国政府は式典の「お題目」に表面上同調しつつも、防衛費(軍事費!)増大に熱心であり、在日米軍は沖縄を中心に無辜の人々をいまだに蹂躙し続けています。かつての日本をはじめとする国々が軍事費を増大させ、多くは植民地ないしそれに近しい状態であった地域の無辜の人々を蹂躙した事実と、本質的に何が異なるのでしょうか。そして、「戦後」を生きる私たちは、この事実を忘れ去っているのではないでしょうか。また、犠牲者ひとりひとりに向き合うことなく、「平和を祈る」と宣って過去の惨劇とその責任を忘却しているのではないでしょうか。
私たち人民を侵害する国家の暴力――日本では天皇制の下の国家権力――は「戦後」81年、治安維持法成立101年の間、そして、19世紀に端を発する帝国主義国家間の植民地争奪戦争の間、死滅することなくその力を蓄積しています。一例として、戦争、(経済的徴兵を含む)徴兵、核兵器、課税、規制……以上のような形で人民を常に既に侵害し続けています。そして、諸国家は二度の核攻撃や数多の核実験に懲りず、「核の傘」をもって人民の支配を絶え間なく実行しているのです。諸国家の言い訳は聞くに堪えません。例えば、アメリカ合衆国は「戦後」から今日に至るまで、ヒロシマ・ナガサキへの核攻撃を正当化しています。核攻撃は終戦を早めて更なる犠牲者(特にアメリカ⼈の犠牲者)を減らしたために道徳的だと云うのです。何が道徳的なのでしょうか。数十万人を強制的に地球上から消し去る行為は大量殺戮であって、人倫に適うものではありません。さらに、この1年の間にアメリカはベネズエラのマドゥロ大統領を拉致し、イランを爆撃しており、人々を傷つけることに何の躊躇もありません。しかし、これは単に「アメリカが加害者で日本やその他の国が被害者」ということでもありません。核攻撃よりも前に日本は諸外国を侵略していますし、特に原爆投下時のヒロシマには、朝鮮半島から徴用・徴兵された多くの人々が存在し、原爆によって殺害されるか、被爆する事態となりました。また、「戦後」の日本は戦争放棄の理念虚しく、朝鮮戦争をはじめ、多くの戦争に加担しています。ここで重要なことは、「●●国は良い国/悪い国」という二項対立ではなく、これ以上犠牲者を増やさないために、根本的に国家の暴力を消滅させることなのです。
今を生きる私たちに即座にできることは、国家に対して抗議することです。しかし、当然のことながら、国家の側が黙って見ているわけではありません。「戦前」の治安維持法下では、多くの抗議者や無関係の人々が直接的に弾圧されました。また、「戦後」の我々も無関係ではありません。2023年8月6日に広島市内で反戦を掲げた人々が抗議の廉で2024年に暴力行為等処罰ニ関スル法律(通称、暴処法)を根拠に逮捕されたのです。1926年に制定されたこの法律は治安維持法と並び、労働運動や「戦後」は学生運動にも適用され、国家に抗う者に対して苛烈な弾圧を加えています。そして、現在では平和記念式典にて、法的根拠すらない規制を広島市は行っています。憲法21条(表現の自由)も国家の前では何の効力もありません。国家の制度に頼るのではなく、このような国家の暴力に強く抗議し、それを絶滅させなければ、平和な時代は訪れません。ヒロシマ・ナガサキの痛ましい記憶を基に、現代を生きる私たちが特にヒロシマの地で力強く成すべきことは、まず被爆者・その家族・子孫の方々と連帯することです。そして、紐帯を強め、核兵器廃絶、今世界中で起きている戦争の停戦、諸悪の根源である国家の解体を訴え、実現しなければなりません。
平和を希求するみなさん、一緒に闘いましょう!
スケジュール
7:30~ ビラまき・情宣
9:00~ 式典反対デモへの参加(勝鯉の森集合)
10:30~ 8.6ヒロシマ集会(ひと・まちプラザ会議室A・B)
メールアドレス
86hiroshima2026@proton.me
(8.6ヒロシマ集会実行委員会)
