2024年のアメリカ大統領選挙へ向けて、ビットコイン(BTC)が大きな争点となっている。共和党のトランプ候補は2024年2月にビットコインへの支持を表明し、その後7月にビットコインカンファレンスに登壇すると、ビットコインを準備通貨に加えることを打ち出し、ビットコインは政府の積極的関与という、これまでとは次元の異なるフェーズへ突入している。民主党のバイデン政権は、当初こそビットコインをはじめとする暗号資産に対する規制を強める構えを見せていたものの、トランプ氏の攻勢を受けて、暗号資産に対する立場の再考を問われ始めている。認可には程遠いと考えられていたイーサリアムETFが7月に承認されたのも、民主党政権の暗号資産への態度の変化の表れと見るべきだろう。
市場には「もしトラ」「ほぼトラ」といったようなトランプ氏優勢の見方を受け、ビットコインに対する楽観的な気分が醸成されており、大統領候補の発言に一喜一憂する形でビットコイン価格は上下している。一方で、暗号資産取引所BitMEX創設者のAuthur Hayes(2024)[1]は、トランプ陣営のビットコインに対する支持表明は、単なる選挙戦略に過ぎず、当選後に態度を変化させる可能性を指摘している。もちろん、次期大統領はトランプ氏に決まったわけではなく、バイデン氏よりも左派と見られる民主党のカマラ・ハリス氏が当選する可能性も高まってきている。その場合、暗号資産に対する同氏の政策は、トランプ氏のそれとはまた一風変わったものになるはずだ。
いずれにせよ、2024年のアメリカ大統領選挙が近づくなかで、我々はビットコインと政府との関係はどうあるべきか?という問いを真剣に考えなければならない段階に来ている。そうした種類の問いにもっとも真剣に向き合ってきたのは、やはりオーストリア学派の経済学だろう。そこで本稿では、オーストリア学派の経済学がビットコインをサポートする哲学的な背景をもとに、ビットコインと政府との関係はどうあるべきか?という問いについて考えてみたい。
まず、オーストリア学派の経済学がビットコインをサポートする理由は、私見ではあるが、以下の3つに整理できる。1、ビットコインが自由市場で動くこと。2、ビットコインの発行枚数には上限が定められていること。3、ビットコインは恣意的な中間者によるリスクが小さいこと。これらを一つずつ見ていこう。
1、ビットコインが自由市場で動くこと。ビットコインを支えている仕組みは、極めて自由市場的である。まず、ビットコインを産出するマイナーは、高度な暗号問題への解答を求めて計算資源を投入する猛烈な競争に参加している。また、ビットコインネットワークの利用者は、トランザクション(送金、決済)のために手数料を上乗せするが、ネットワークが混雑している時は、高い手数料を設定することで、マイナーが当該トランザクションを優先的にブロックへ記録するインセンティブを与えることができる。また、ネットワーク外に目を向けると、ビットコインは、365日24時間動き続ける有人、無人の取引所(CEX、DEX)で法定通貨その他と両替できる。株式市場が閉場している時にも暗号資産は売買可能であるため、2024年4月にイスラエルとイランの間の緊張が高まった際には、リスクオフのため暗号資産が優先的に売られるという一幕もあった。このように、ビットコインやそれを取り巻く環境は、自由市場と極めて親和性が高い。一方で、オーストリア学派の経済学には、自由市場を極めて重んずる経済学の思想がある。不況時における政府による市場への介入を積極的に肯定するケインズ主義に対して、オーストリア学派の経済学は市場の自律性を重んじ、政府による市場への介入は、市場メカニズムを歪ませ、資源の適正な配分を妨害し、不況をより深く、より長引かせるだけの結果に終わると指摘する。ミーゼスが開始した社会主義経済計算論争や、ハイエクによる設計主義批判にも見られるように、価格メカニズムを働かせず、一部のエリートが事前に万能に制度を設計できる、つまり自由市場を信頼していない社会主義体制にも批判的である。従って、自由市場を積極的に擁護するオーストリア学派の経済学が、自由市場的なメカニズムを採用しているビットコインをサポートすることに何ら不思議はない。
2、ビットコインの発行枚数には上限が定められていること。ビットコインを「設計」したサトシ・ナカモトは、ビットコインの総供給量、つまり発行枚数の上限を2100万枚に定めた。2024年7月現在で、その9割以上が発行済みで、現在のペースで発行され続けると西暦2140年頃に発行が終了すると見られている。「設計」と鉤括弧で留保をつけたのは、前述したハイエクの設計主義批判の対象にビットコイン自身が該当してしまうのではないかという読者の誤解を懸念したためだが、その批判は当たらない。少し長くなるが、まずこの点について論じてみよう。
第一に、ビットコインのプロトコル(取り決め)に同意していない者は、ビットコインネットワークを使用する必要はない。誰も、ビットコインの使用を強制されてはいない。この点は、国家が国民に、決裁や納税のために使用を強制しているドルや円などの法定通貨とは決定的に異なる。さらに、もしビットコインの仕様があなたのお眼鏡に適わなければ、あなたはビットコインをハードフォークして、あなた独自のブロックチェーンを作ることもできる。2017年に生み出されたビットコインキャッシュ(BCH)はその代表例だ。もっとも、あなたが創造した新しいチェーン、制度が、人々に受容されるかどうかは全くの別問題だ。ハイエクは自生的秩序という概念を提唱した。仲正昌樹(2011)[2]によると、自生的秩序とは、「長い年月をかけて進行してきた「ルール」進化の帰結として生まれてきた秩序」であるという。つまり、完全に人工的、完全に自然的というのではなく、人間の産物ではあるが、必ずしも人間が自覚的に採用しているのではない制度、慣習、伝統などがこれに該当する。誰かが場所を決めたわけではないが何となく人々が集まって成立する自由な市場は、その最たる例だ。ビットコインもまた、最初こそサトシ・ナカモトという人物の産物ではあるものの、15年近くの歳月をかけて多くの人々によって開発され、エコシステムが進化してきた自生的秩序であると言える。もっとも、今日の形のビットコインが、この先も永遠に続くとは言えない。それはビットコインとそれを支える「ルールの進化」に伴って、変化していくに違いない。ともかく、ビットコインは、設計主義の鑑ではなく、それどころかむしろ、自生的秩序というハイエクの概念に極めて合致したものであるとさえ考えられる。
それでは本題に戻り、ビットコインの発行枚数に上限が定められていることが、オーストリア学派の経済学にとって何を意味するのか、考えていきたい。オーストリア学派の経済学は、市場の自律性を重んじる。政府による市場への介入に対しても反対する立場である。現代においては、政府が財政支出のために国債を発行し、その国債を中央銀行が引き受け、通貨を増発することが常態化している。そのような通貨の増発は、政府・中央銀行による恣意的な市場への介入に他ならず、通貨価値の安定を著しく毀損してしまう。一方で、金本位制(ゴールド・スタンダード)においては、中央銀行は発行する兌換紙幣を、ゴールドと交換する義務が生じる。自国からのゴールド流出を防ぐため、政府は規律ある財政を運営する必要に迫られる。従って、通貨価値が安定するとともに、政府・中央銀行による恣意的な市場への介入が抑えられ、市場の自律性が保たれる。このような考えを背景として、オーストリア学派の経済学では、金本位制を積極的に肯定する。
発行枚数に上限が定められているというビットコインの特徴は、通貨の発行量が物理的なゴールドの量によって制約を受ける金本位制を連想させる。Saifadean Ammous(2018)[3]は「ビットコイン・スタンダード」という概念を紹介し、オーストリア学派の経済学の立場から、ビットコインを積極的に擁護した。発行枚数の上限が定められ、政府といえどもその発行を支配できないビットコインがオーストリア学派の経済学に支持されるのは、まさにビットコインが市場の自律性の担保に大きく寄与すると考えられるためである。なお金本位制は歴史的に見て、第一次世界大戦に参戦する欧州各国が国債発行によって戦費を調達するため、金本位制から離脱したのを皮切りに、崩壊へと向かっていった。戦後にインフレが進行し、離脱前の平価水準で金本位制に復帰することが困難となったため、各国は金本位制を放棄し、現代に至る管理通貨制度へと移行していった。このことは、ビットコインと政府との関係を考える上で、重要な示唆を与える。この点については、後段で詳細に検討する。
3、ビットコインは恣意的な中間者によるリスクが小さいこと。現代の決済の多くには、中間者が存在する。例えば、銀行やクレジットカード会社、決済サービス事業者である。これらの中間者は、ある人から別の人への決済を仲介するが、その結果として決済における中間者の権限が増大している。性的なコンテンツの購入に対するクレジットカード会社の介入や、マネロン対策と称した暗号資産取引業者によるトラベルルールの設定は、その表れだろう。決済における中間者の権限が大きいシステムの場合、中間者の恣意的な判断によって、意図した決済が円滑に行えない可能性がある。現金(硬貨、紙幣)のように決済における中間者が存在しないシステムにおいては、こうした中間者リスクを排除することができる。ビットコインにおいては、中間者の役割を果たしているのは、ユーザーのトランザクションを承認しブロックへの記録を担うマイナーと、マイナーが記録したブロックを検証するノードである。マイナーは、マイニング報酬を得るための猛烈な競争に参加しており、他のマイナーとの競争に負けずにマイニング報酬を得る必要から、トランザクションを行うユーザーの意図に反する方向へのインセンティブが働きにくい。また、マイナーやノードは参入障壁が低く多数存在しており、地理的にも分散しているため、単一障害点リスクが小さい。これらの点から、ビットコインは恣意的な中間者によるリスクが小さいと評価することができる。この点につき、オーストリア学派の経済学はどのように考えるか。繰り返しになるが、オーストリア学派の経済学は自由市場の自立性、効率性、透明性を信頼し、中央集権的な規制や干渉の少ない環境を歓迎する。そうした環境が起業家精神やイノベーションを促進するためである。先述したように、現代の決済サービスの多くが中間者による規制を強める一方、ビットコインは仕組みとして恣意的な中間者によって決済上の制約を受ける可能性が低い。まさに、オーストリア学派の経済学が求める貨幣の性質に合致していると言えるだろう。
さて、ここまでオーストリア学派の経済学がビットコインをサポートする哲学的な背景を、3つの理由に分けて見てきた。すなわち、1、ビットコインが自由市場で動くこと。2、ビットコインの発行枚数には上限が定められていること。3、ビットコインは恣意的な中間者によるリスクが小さいこと。の3点である。従って、ビットコインと政府とのあるべき関係を考える際には、オーストリア学派の経済学の立場に基づくならば、これらの理由に示された要素が保持され、毀損されないことが第一義的に重要となる。理由1に即せば、マイナー、ノード、送金者、開発者などからなる自由なエコシステムへ政府が介入しないことや、ビットコインの売買のための市場、暗号資産取引業者への規制を緩和し、売買にかかる課税を取り払うことが重要である。1933年の米国大統領令6102号により米国民のゴールド保有が禁止された歴史を顧みれば、将来的にビットコインの保有が禁止される可能性は否定できない。そのような政府による恣意的な市場への介入には断固として反対すべきである。理由2に即せば、政府がビットコインのエコシステムに圧力を加え、発行枚数の上限を変更するなど、自律的に定められたルールの変更を迫ることは、脅威となる。長期的に見て、何らかの意味で最も「良い」チェーンが市場の働きによって生き残るとしても、短期的にはそのような政府の試みは市場を不必要に撹乱させるだけの結果に終わるだろう。理由3に即せば、マイナーやノードの運営に対する届け出制や許可制を政府が導入することは、政府による検閲を可能とし、政府の意に従う者のみをビットコインネットワークの中間者とすることで、恣意的な中間者によるリスクを高める。今後、マイニングに消費される電力量が益々増大することが予測されるが、政府がマイニングを「電力の安定供給」、ひいては「国家安全保障」に対する挑戦であると、事実の如何に関わらず宣伝し、そのような規制に踏み切ってくる蓋然性は高い。そのような規制に対しては断固反対すべきである。
理由1〜3から自然に導かれる主張は上記の通りであるが、最後に今後の展開によって政府が実施に踏み切る可能性のある政策について、いくつか検討してみたい。本稿では以下の3つの問題について取り上げる。
a、政府によるビットコインの保有、戦略準備化はどうか?
b、ビットコインの法定通貨化はどうか?
c、ビットコイン・スタンダード、つまりビットコイン本位の社会とはどのようなものであるべきか?
a、政府によるビットコインの保有、戦略準備化はどうか?
アメリカ大統領候補のトランプ氏は、2024年7月に登壇したビットコイン・カンファレンスで、政府によるビットコインの保有と、戦略準備化を主張した。産業としてのマイニングを振興し、「アメリカを再び偉大な国にする」ためである。トランプ氏のこうした公約は、ビットコインのさらなる普及という観点ではプラスに働くが、政府によるビットコイン市場への介入という点ではマイナスである。一度買い入れたビットコインを将来的に売却するとなれば、市場には大きな売り圧力が働く。長期的に見て、健全な市場の成長を阻害する可能性がある。一方、トランプ氏は財産権、プライバシー、経済活動の自由、言論の自由、セルフカストディの権利、マイニングの自由を守ると主張している。政府によるビットコインへの関与が強まるなら、これらの諸権利や自由が担保されることは当然であり不可欠である。しかしながら、政府によってこれらの諸権利や自由が未来にわたって維持される保証はどこにもない。ビットコイン、そして権利や自由に不理解な政権が現れれば、いとも簡単に破壊されてしまうだろう。結論としては、政府がビットコインに対して保有や戦略準備化といった形で親和的な姿勢を取ることは、諸権利や自由の担保を最低限必要な条件として擁護できる可能性があるが、基本としては恣意的で移ろいやすい政府にビットコインを委ねることはマイナスに働く公算が大きいと考えられる。
b、ビットコインの法定通貨化はどうか?
ビットコインを既に法定通貨化した国としては、エルサルバドルや中央アフリカが知られている。いずれの国も、米ドルなどの他の通貨が法定通貨として定められている上で、ビットコインをそれに加えるというものである。ビットコインの法定通貨化は、ビットコインのさらなる普及という観点ではプラスに働く。一方で、例えばビットコインのみを法定通貨として、国民にその使用を強制するというようなことを考えると、それは国民が自由に通貨を選好する自由を奪っていることになる。ビットコインは他の法定通貨に比べて例えば通貨価値の安定性が高いといった理由から選好されているのであって、そうした個々人の選好の頭越しに政府が決定を押し付けることは、かえって市場を非効率化させることになる。個々人に比べて政府の動きは緩慢であり、ビットコインが価値を失う際に別の通貨に乗り換えることが禁止されていれば、国民は財産の多くを失うことになる。そして、こうした議論はビットコインに対してだけでなく、既存の法定通貨制度にも投げかけられる。日本円が価値を失う際に別の通貨に乗り換えることができなければ、国民は財産の多くを失うことになる。つまり、ビットコインを法定通貨化することの是非を問う議論は必ず、既存の法定通貨制度の存在に対して深刻な疑問を投げかけることになる。そもそも、通貨の選択を自生的秩序ではなく、人間の理性に委ねるということ自体が誤りなのである。従って、ビットコインを法定通貨化することはどうか?と問われれば、それはビットコインの普及に貢献する限りは認められるが、そもそも法定通貨制度を廃し、自生的秩序に通貨を委ねる方がはるかに健全であると言うことができる。
c、ビットコイン・スタンダード、つまりビットコイン本位の社会とはどのようなものであるべきか?
金本位の社会とは、一定量のゴールドと通貨単位とを結びつけ、経済計算における基準をゴールドとする試みであった。よって、ここではビットコイン・スタンダード、ビットコイン本位の社会というものを、一定量のビットコインを経済計算の基準とする社会であると定義する。ここで重要なのは、「銀行」の存在である。オーストリア学派の経済学は、金本位制を積極的に肯定するが、結局およそ100年前に金本位制の試みが頓挫した原因は、戦争のために肥大化した政府の権力と、ゴールドを一元的に管理していた中央銀行の存在である。中央銀行がゴールドを一元的に管理していたため、政府が兌換紙幣とゴールドとの交換を停止した時、国民にはそれに抵抗し、ゴールドを取り戻す手段が残されていなかった。従って、来たるべきビットコイン・スタンダードの社会を考える際には、次の点が重要になる。つまり、ビットコインをそこに預け、一元的に管理する「銀行」のようなものに頼ることは、金本位制における失敗を再現する可能性が高い。それは今、「銀行」を名乗っていない可能性もある。いずれにせよ、Not your keys, not your coinsという格言が示すように、秘密鍵を自己管理すべきである。ゴールドは物理的に分割して使用する上で不自由があったが、ビットコインは1 satoshi(10の-8乗ビットコイン)まで分割可能であり、取り扱いも変わらない。ビットコイン・スタンダードの社会は、個人、あるいは十分に分散化された主体がビットコインを自己管理することで成立する社会である。
参考文献:
[1]https://cryptohayes.medium.com/hot-chick-429b97a72a41
[2]仲正昌樹『いまこそハイエクに学べ:<戦略>としての思想史』(春秋社、2011)
[3]Saifadean Ammous著、練木照子訳『ビットコイン・スタンダード:お金が変わると世界が変わる』(ミネルヴァ書房、2021)原著の副題は、The Decentralized Alternative to Central Bankingであり、より直接的に中央銀行制度を代替するものとしてビットコインを表現している。
[4]Andrew M. Bailey, Bradley Rettler and Craig Warmke, “Resistance Money:A Philosophical Case for Bitcoin”(Routledge、2024)未邦訳
(K.S.)