ビットコインとその思想

 Bitcoin(以下、ビットコインと表記)と言えば、日本では未だに詐欺の代名詞のように思われている。確かに、より広い意味での暗号資産・仮想通貨のほとんどは、詐欺としか思えないものだ。思想的・信条的にビットコインを支持(信仰?)する人々はビットコイナーやビットコインマキシなどと呼ばれるが、彼らはアルトコイン(ビットコ イン以外の全ての暗号資産・仮想通貨)は全て詐欺だと考 えている。ではなぜ、彼らはビットコインには(至上の)価値があると考えるのか、一般にはまだ知られざるビットコインの「思想」について、本稿では拙筆ながら紹介させて頂きたい。

 思想について語るには、まず歴史を語らなければならない。一般に言われていることとしては、ビットコインは2008年に「サトシ・ナカモト」という匿名の人物が「Cryptography」という暗号学のメーリングリストに「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」と題した論文を投稿したことから始まる。それは事実かもしれないが、ビットコインはそのようなポッと出のテクノロジーではない。暗号技術によって政府や企業などの恣意的な主体から個人の自由やプライバシーを守ることを標榜するサイファーパンクの運動は1980年代後半から強い潮流として存在した。その後約20年にわたり、完全に独立した個人同士がインターネットを利用して、政府や銀行、特定の企業や個人といった第三者を一切信用せずとも決済、資産の移転を行うことが出来る仕組みが何度も提案されてきた。本稿ではビットコインの技術的詳細には一切立ち入らないが、ビットコインはそのような技術的提案の集大成として登場してきたものであり、サイファーパンク運動というリバタリアン思想がその背景にあったのである。

 ビットコインの背景にあるのは、サイファーパンク的なリバタリアン思想だけではない。実は、ミーゼス、ハイエク、ロスバードといったオーストリア学派的なリバタリアン思想も、ビットコインに「関係がある」。この文脈では現在、サトシ・ナカモトの誕生日が1975年4月5日であり、これは1933年4月 5日に実施された米国民の金保有を禁止する大統領令6102号と日付を合わせているという説や、ビットコイン論文の提案がリーマンショックの直後であり、政府による恣意的な銀行救済に反対する意図があるという話が、まことしやかに囁かれている。確かに、オーストリア学派の思想家は、金本位制を支持したり、民間銀行を政府が恣意的に救済するという現在の仕組みそのものが不必要に好況・不況の波の振幅を増大させる原因となっているといった批判を行う。ただ、上述のエピソードを以ってビットコインとオーストリア学派的なリバタリアン思想に関係があると断じることは「都市伝説」の域を出るものではないだろう。

 もっと直接的に、ビットコインとオーストリア学派的なリバタリアン思想には関係がある。まず、ビットコインは発行上限と新規発行に関するルールがプロトコルによって決められており、誰かが恣意的に総量を増やすことはできない(1)。オーストリア学派が金本位制を支持するのは、まさにこの点である。欧米各国は、第一次世界大戦に参戦するための費用を捻出するために、金本位制から離脱して恣意的な貨幣の増発を行った。その結果は、インフレ(通貨価値の下落)を通じた国民からの不当な資産の没収に他ならない。戦争は、国家という恣意的な主体が国民の自由や権利を甚だしく侵害する。オーストリア学派はリバタリアン思想の立場から、まずこの点によって、政府という恣意的な主体が紙幣を刷り増し可能な法定通貨制度に反対し、金本位制を社会の基礎とするように訴えるのである。金本位制は数多の批判に晒されている。オーストリア学派はその批判への応答を行なっているが、筆者の不勉強と紙幅の都合により詳細は割愛する。

 2020年代初頭に世界は、未知の感染症を理由として政府が人々の自由を恣意的に制限する事態を経験した。また日本では、社会保障支出を理由として政府支出が拡大しており、新規国債発行と日銀引受によってこれを担保している。その帰結は、オーストリア学派に言わせれば、政府が市場を歪めインフレによって個人の資産を不当に収奪するということになろう。「自由」を取り戻すための手段として、 読者諸氏もビットコインに「賭けて」みてはいかがだろうか。

(K.S.)

参考

(1)ビットコインネットワーク全体の採掘速度の50%以上を支配する「51%攻撃」や、チェーンをハードフォークさせて「俺のルール」に多くの参加者を従わせるといった方法で新規発行をコントロールすることは不可能ではない。しかし、前者はこれまでに成功したことがなく、後者の例はあるもののビットコイン本体よりも成功した例はない。