ガーシー騒動に見る「暴露」

ガーシー国際手配の概要

 東谷義和氏(以下、ガーシー)は、ギャンブルの資金を集めるため、さまざまな芸能人の名前を無断で利用し詐欺を行い、YouTuberにより詐欺行為を告発され、ドバイへ逃亡した。その後、YouTubeやInstagram上にて、複数の著名人の私的な生活の様子を告発している。 2022年にNHK党から参議院議員に当選するも、一度も登院せず翌年除名処分となった。

 議員除名後、暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)や威力業務妨害などの疑いで、警察は逮捕状を請求した。海外に滞在するガーシー氏が任意の出頭要請に応じず、告訴した著名人らへの脅迫も続いていることから逮捕の必要があると判断し、日本国警察当局は国際刑事警察機構(ICPO)に国際手配を要請した。

警察による表現弾圧

 前提として、私はガーシー氏を支持しているわけではない。加えて、ガーシー氏の「暴露」の内容が真実であるか、私にはわからない。私の関心は、ガーシー氏の「暴露」内容が真実であるか否かとは関係なく、「暴露」そのものにある。何故なら、リバタリアンな理解によれば、「暴露」とは単に、自己所有権に基づく行為に過ぎず、その内容の真偽は関係ないからだ。問題なのは、そうした行為を「脅迫」、「名誉毀損」などと大衆を焚きつけて言論弾圧し、人々の自由を侵害する国家権力の存在にある。

 ガーシー氏の報道の際、「脅迫」という語がしばしば用いられているが、それが意味するところは明らかではない。日本国における法的な意味では、脅迫とは害悪を告知する行為を言う。例えば「ぶん殴ってやる!」「秘密をバラしてやる!」と相手に対して言うなどが該当する。脅迫に関するリバタリアンな理解では、発言の内容が暴力や財産の侵害を伴う場合、こうした行為は正当化できない。脅迫している人はまさに犯行予告をしているのだから、被害者は相当な範囲内で正当防衛することも考えられる。一方、発言の内容が名誉を傷つける場合などは、リバタリアンの理解では犯罪にはならない。

 さて、ガーシー氏は身体や財産への侵害を告知したのだろうか?答えは否である。ただ、脅迫の内容が単に他人の名誉に害を加える旨を告知する場合については、名誉毀損の告知となんら変わらないので次節で扱う。

名誉毀損は犯罪ではない

 名誉毀損とは「犯罪」と呼ぶにふさわしいほど「悪い」ことなのだろうか?確かに、批判されたり、虚偽の情報によって自己の評判が傷つくのは嫌なことである。しかし、リバタリアンな理解では名誉毀損は犯罪にならない。何故なら、名声や名誉は明らかに被中傷者の所有物ではないので、その所有者たりえないからである。他人に対する評判は、各人の思考の中に存在する。あなたが他人の脳を所有できないのと同様に、あなたは他人の評判を所有することはできない。それゆえ、他人の思考の中で自己の評判が侵害されたところで、あなたは他人の脳内について訴訟を提起する権限を持たない。名誉毀損は、非暴力的な方法、すなわち対向言論によって解決されるべき、と言うのがリバタリアンな理解である(表現の自由市場)。

 さらに、名誉毀損と称して人々の言論を制限することは、さまざまな問題を引き起こす。

 第一に、名誉毀損の禁止は、言論活動に対する規制である。名誉毀損の禁止はまさに「ある人が別の人に自分の考えを伝えたり……影響を及ぼそうと試みたり……することを禁じようとしているのである。」⑴

 第二に、規制の範囲が漠然としている。リバタリアンは、他人の意志は所有できないとして、「名誉」に保護法益を認めない。しかし仮に「名誉」が保護法益だったとして、「名誉」とは何なのだろうか?「未成年淫行」をしていないという「名誉」が存在するのだろうか?また、「公益目的」とは何だろうか?ガーシー氏が自身の暴露について一言「公共の電波を独占的に利用するテレビ業界への批判であって、公共目的の批判である」と言えばどうなのか?

 第三に、名誉毀損により「被害」を受ける、すなわち利益を得るのは誰だろうか?答えはもちろん、不利益な批判を黙殺したい人々や、社会的地位のある人々である。マレー・ロスバード Murray Rothbard はこの点に関して、名誉毀損罪を批判する。「この状況は貧しい人々にとって差別的である。何故なら貧しい人々の方が、中傷者に対し訴訟を起こす可能性が低いから。…更に、現在のシステムは貧乏な人々を別の意味でも差別している。つまり、多額の金のかかる名誉毀損訴訟を起こされる恐れから、彼らは裕福な人々に関する、真実だが名誉毀損的な知識を配布する可能性が低いからである。この意味で彼らの言論は制限されている。」⑵

 第四に、名誉毀損などによる知識の伝達は、社会的制裁(ネガティブ・サンクション)としての効果があり、人々の利益になる。例えば、小児性愛者で強制性交等の前科がある教師がいたとしよう。特に児童に対する性犯罪は世間の関心が高いと考えられるので、彼の前科情報は世間に素早く伝達する。これによって、各教育機関や保護者は、児童の安全に関する情報を得ることができる。また、養育費不支払問題についても同様である。リバタリアンな社会では「親の子供に対する権利」なるものは存在せず、従って、養育費を支払う義務は存在しない。しかし、養育費が欲しい一方の親は、離婚相手が養育費を支払わないという情報を公開し、社会的に圧力をかけることができる。もちろん、現在の日本国の法制度において、これらは犯罪と見做されうる。

 最後に、名誉毀損を違法にすることで、大衆はメディアを信用しやすくなる。名誉毀損が違法である現行法下において、虚偽の名誉毀損情報を流布することはリスクを伴う。それゆえ、多くの人たちはメディアに権威を認めるようになる「メディアがこの情報が流布してるということは、この情報は真実なのだろう。」リバタリアンな社会では、誰もが合法的に虚偽の名誉毀損情報を流布できるため、多くの人々は情報源を重視するようになるだろう。

 結局のところ、名誉毀損罪の目的は「他人に対し自己の評判を強制すること」にあり、権力者が、自己の評判を強制する費用を社会一般に転嫁させたり、一般人の表現を萎縮させ、情報の活用を阻害する

国家とメディアの癒着関係

メディアの話が出たので、国家とメディアの関係について軽く触れよう。国家は電波法や放送法などを通じて、メディアの掌握を図っている。具体的には、国家は「電波の公平且つ能率的な利用を確保することによつて、公共の福祉を増進する」と称して、電波を各事業者に割り当てている。しかし、国家は電波を効率的に利用することができない。「波取り記者」という語があるように、官僚は消費者ではなく、ロビイスト等の既得権者の意見を制度に反映させるからだ。国家は各事業者に特権を付与しているのである。国家はメディアに対して影響力を持ち、事業者は広告費により莫大な収入を得る、という協力関係を結んでいるのだ。このような制度で成り立つテレビ・新聞業界が 「政治的に公平」な報道をすると期待するのは無理である。国家が莫大な電波広告料をメディアに独占させること自体リバタリアンの批判対象であるが、リバタリアンでなくともさまざまな問題点を指摘することができる。例えば、ジェンダー論者がよく言う「メディアによる性搾取」問題などは、国家が付与した権力や権威によって増長していると理解することも可能である。

(中条やばみ)

 ⑴ Walter Block(1991, 初版1976), Defending the Undefendable : The Pimp, Prostitute, Scab, Slumlord, Libeler, Moneylender, and Other Scapegoats in theRogue’s Gallery of American Society, Fox & Wilkes. 橘玲訳(2020)『不道徳な経済学』早川書房、p.130。

 ⑵Murray N. Rothbard(1998), The Ethics of Liberty,New York University Press. 森村進ら訳(2003)『自由の倫理学』勁草書房、p.151。