アナーキー・大麻・ユートピア

本稿では大麻批判に応える形で大麻を擁護する。大麻禁止論の根拠は大別して

  1. 大麻の健康への有害性
  2. 精神が錯乱した大麻使用者が他人に危害を加えるのではないかという懸念
  3. 大麻の密売が犯罪組織の資金源になっているなどの社会的影響
  4. 大麻はゲートウェイドラッグの効果を持つ

 というものである。

 しかし、これらの主張は全て失当である。そして大麻の禁止は、非道徳的で、法制史的にも正当性に疑問あるのみならず、逆効果を生じさせ社会に悪影響をもたらす。

大麻使用の道徳的問題

 大麻の使用が健康に悪影響を及ぼすとしても、それは規制すべき根拠にならない。大麻を使用する人は、それまで獲得した大麻に関する知識に基づき、メリットとデメリットを比較して使用している。使用者にとっては、大麻使用の利益は健康への悪影響を上回る「善」なのだ。

 自然権に基礎を置くタイプのリバタリアンが信じるところによれば、全ての個人は自己の身体と自身の労働によって得た財産を所有する権利を有しており(自己所有権)、他人に対して強制力を用いることが許されるのは自己防衛目的の場合だけである(危害原則)。従って、私の身体は私のものであり、他人に危害を加えない限り、自分の健康を害してでも大麻を使用する自由がある。

 大麻禁止論者の中には、大麻を使用する人が一時の快楽に目を奪われて破滅的な選択をするのではないかと危惧し、権力を持った政府が「弱者」を「保護」すべきだと考える人がいる。しかし、パターナリスティックな介入は「余計なお節介」であって、大麻所持者を罰する現行制度は警察による単なる暴力である。大麻「犯罪者」は、身体を拘束されるということに伴う自己所有権の侵害、課税によって大麻「犯罪」の捜査費用等を負担させられるという財産権の侵害、大麻規制による大麻価格の高騰の三重苦を強制されている。

 禁止論者の中には、大麻を「悪」だと見なす人がいる。そのような価値観が絶対的であるかは疑問である。世界的に見ればヒッピーに限らず大麻常用者は多数おり、HIP HOPやJAZZなどの音楽業界や諸外国に文化としても存続している(例、インドのバングラッシー)。どのような生き方が善いかは本人の価値観によるのであって、万人に当てはまる最善の生き方など存在しない。

 大麻の健康への悪影響は過度に誇張されている。精神科医、神経精神薬理学者のデビッド・ジョン・ナット David John Nutt が報告するところよれば、大麻の有害度はタバコやアルコールよりも低いとされている⑴。とすれば、大麻を禁止している大麻取締法は立法事実に欠き、比例原則に反する。そもそも大麻はそれほど悪いものではないし、もし仮に「悪」だとしてもその害悪は小さく、刑罰という手段を用いるのは妥当ではない。

大麻規制の歴史的理解

 大麻規制の歴史的経緯を整理しよう。第一に「大麻課税法」は、人種的摩擦の産物である。第二に、「大麻取締法」はアメリカの「外交圧力」の産物である。第三に、大麻規制は役人や警察官にとって自己利益追求の手段である。第三の点は次節に譲る。

 大麻規制を精力的に研究している社会学者、山本奈生氏によれば

大麻所持が全米で事実上禁止されるのは、1937年の『マリファナ課税法』(Marijuana Tax Act)以後のことであり、禁酒法後の米国にあって、『カラードの珍妙な文化』として伝播した大麻は、プロテスタンティズムの倫理と白人マジョリティの道徳への侵犯から社会問題化された。社会学分野ではしばしば『モラル・ パニック』の一事例として検討される、30年代の大麻をめぐる狂騒はしばらくの間WW2によって沈潜するものの、この時期に制定された大麻規制法は、戦後46年になって『ポツダム省令』として日本に輸入された。これが直後に制定される大麻取締法である。

アンスリンガーは,自らも筆を執って思いつく限りのメディア,すなわち新聞,雑誌,ラジオ,映画産業,児童や教育者向けのパンフレット,三文小説やコミックスなどで,マリファナをあらゆる危険性と結びつけて宣伝がなされるよう操作的に情報を公開し,当該問題を扱うよう推奨した。⑶

 日本と大麻の歴史であるが、「大麻 日本 歴史」と検索した方が早いのでそちらをお勧めする。簡単にまとめると、古くから日本人にとって大麻は身近な存在であり、繊維や医療目的で使われてきた。向精神作用をもつ大麻は「印度大麻草(草チンキ)」として販売されており、しかもそれは政府公認だった。日本の農家や政府の反対にもかかわらずGHQが介入し規制した、という点についてはコンセンサスがある。アメリカは麻薬に関する国際条約の主導的役割を果たし、麻薬戦争による軍事介入などを行なっていたことから帝国主義だと非難されることもある。また、国家神道や天皇、安倍昭恵氏など、日本民族アイデンティティに深く関わるとされる。

大麻規制の弊害

 薬物政策国際委員会(The Global Commission on Drug Policy)によれば、結局のところ「薬物との戦いは、大量投獄、盛んな違法薬物市場、感染症の蔓延、都市暴力、人権侵害など、世界的な開発目標に大きな否定的な意図しない結果をもたらした。」詳しくは註⑷を参照されたい。このような見解とは逆行するように、日本政府は最近、大麻の所持や販売を規制する方針を転換し「大麻使用罪」の創設を検討している⑸。

 大麻の売買が反社会勢力や犯罪組織の資金源になっているという批判は的外れである。リバタリアン経済学者であるウォルター・ブロック Walter Block の指摘⑹によれば、法によるドラッグの規制はその末端価格を高騰させる。社会的に嫌悪されている商品であるドラッグは取り締まりや制裁が強く、密売に際して様々なコストが上乗せされるからである。このような市場の歪みは、ドラッグ中毒者に多額の金銭的負担を強制することになり、ドラッグ規制は犯罪を誘発する。しかもこのような規制は競争制限的であり、ドラッグの質を低下させ人々の健康を損なう――MDMAはその典型である。これに対し、ドラッグの自由化はその末端価格を引き下げる。従って、経済的にはドラッグの密売人が増えると、価格メカニズムにより末端価格が低下し、破滅的な健康被害を防ぎ、治安を改善させ社会に良い影響をもたらす。一方で、警察が売人を捕まえるごとに逆効果が生じ、社会に破滅的な影響を及ぼす。よって「大麻が反社の資金源」などという政府見解はマッチポンプ以外の何ものでもない。

 大麻取締の強化は①警察のインセンティブを歪めおとり捜査など様々な人権侵害を引き起こし②費用・便益の乖離から「共有地の悲劇」を発生させ、凶悪犯罪解決への資源供給が制限される。詳しくは、無政府資本主義者で法哲学者のデイヴィッド・アスキューの議論⑺を参照されたい。

 官僚にとって「統計的指標」は重要な役割を果たし、自らの活動を数値化し「『成功』を証明する生産統計」を公にする強い誘因を持つ――取締りノルマなど。その結果、統計的に数値化できる逮捕率などの政治的基準が重視されるようになる。処理しやすい事件とされにくい事件が存在するので、予算拡大を追求する警察組織全体・昇進を追求する個々の警察官は、より多くの資源を一部の事件に投入する。その結果として、いわゆる「被害者なき犯罪」の取締りや軽微犯罪の逮捕に躍起になる。このような資源の誤配分により、凶悪犯罪――殺人・強姦・強盗――に従事する「費用」が低下し、凶悪犯罪を行うインセンティブを強化する。禁止論者の主張はある意味で的を射ている。大麻禁止は、政府や警察といった反社会的な犯罪者集団の資金源となっているからだ。

 上記批判は現実問題に合致している。例えば、刑事訴訟法学の分野ではおとり捜査の適法性が問題になり、主要な論点となっている。有名な稲葉事件――これは薬物事犯ではないが――も参照されたい⑻。

 大麻禁止は薬物よりも健康に害である。合法ハーブが問題になった時期もあったが、規制すればするほど健康に悪い物質が流用した。また、害の少ない大麻を規制することは、睡眠薬や向精神薬など、その人の好みに合わない薬物の使用を促す。もちろんデパスを好むのも個人の自由である。

 大麻取締法は人々の生活を破壊する。検察官でもあるリバタリアンの法哲学者のバーネット曰く

毎年何万人もの人が、中毒性の物質を所持し販売することを禁じる法を犯したことで投獄される。麻薬の使用と販売を人がどう考えようと、これらの人々の人生が法執行によって破壊されてきたことは否定できない。多数の人が配偶者と家族から引き離され、その子供たちは父親や母親なしで、または政府の係官によって育てられてきた。犯罪者という烙印は、その者たちのまっとうな経歴を終わらせ、雇用への期待を永遠に損なう。⑼

 厚労省や各県の警察のHPで、大麻「犯罪者」の声が公表されている⑽。

 大麻取締法は貧困層にとって差別的である。大麻の密売人は、警察に逮捕されることに伴う監禁や社会的評価の低下と、密売によって得られる金銭的利益とを衡量した結果、そうしているのである。従って、こうした「犯罪」に従事するインセンティブは相対的に、貧困層に働く。密売人は自分が捕まるリスクを低く評価しているかもしれないし、社会的地位が低かったり職がないのかもしれない。大麻自由化は、人々を大麻禁止に伴う警察の暴力から解放し、職をもたらす。

 大麻「犯罪者」を牢屋に入れておくことは、貴重な人材と資源を浪費することになり社会に悪影響を及ぼす。不幸にも「犯罪者」と見做された人々の多くは逮捕前に生産活動に従事しており、そのような人々を罰することは生産活動を阻害することになる。大麻で逮捕された有名人がそれまで普通に仕事をしていたことから分かるように、生産活動への壊滅的な影響はない。仮に大麻の使用によって生産性が下がるとしてもそれは本人の自由であるし、大麻の使用が本人の効用を増加させるという意味で生産的である。

 大麻禁止は人種差別の道具として利用されてきた。アメリカでは大麻の取締は、レイシャル・プロファイリング(人種によって捜査の対象とすること)により、黒人は白人に比べて不公平なまでに投獄される。三振法(前科が2回ある者が3回目の有罪判決を受けた際に終身刑となる法)などと相まって、大麻所持によって無期懲役などという考えられないほどの刑罰が課されることもあった。そして大麻「犯罪者」――その多くは黒人――は刑務所では超低価格な労働者として使用される。大麻が合法化されたとしても、大麻に関する規制は人種差別的に機能する。2017年の調査によると、大麻ビジネス業界では、アフリカ系アメリカ人が経営する企業はわずか4.3%だった(11)。これは、州政府が課す要件や、有色人種が銀行から融資を受けにくいという現実が影響している。仮に全くの規制がなければ、貧困層であっても自宅で栽培し、全国にオンライン販売できる。アメリカの政府(州政府も含む)は、大麻の禁止により有色人種から大麻文化を奪い、投獄しただけではなく、大麻を合法化した現在にあっても、財産や信用のある白人たちに大麻ビジネスで利益を得させている。合法化されていない州では現在も黒人が投獄されている。

 大麻禁止は機会損失をもたらす。大麻使用者は、それが好ましいと考えているからそうしている。幸福感を感じたり、音楽を聴いたり、美味しく食事したり等々。さらに、うつ病、睡眠障害、てんかんなどの症状への医療用の目的で大麻を使用したい人にとっては、医療へアクセスすることを禁止されることを意味する。他の代替手段(抗うつ剤や睡眠薬など)は依存性や離脱症状が問題視されている。大麻が違法でなければ大麻を利用しエンジョイする人は今よりも今より多かっただろうし、現在も大麻を使用している「犯罪者」は高騰した大麻費用を追加の大麻購入に当てたかもしれないし、他の用途に使ったかもしれない。

 さらに、大麻を自由化すれば人々は試行錯誤重ねて更に効果的な使用方法を編み出し、より多くのニーズを満たすようになるだろう。医療用・産業用大麻は言うに及ばず、娯楽用ですらそうである。試行錯誤の例としては、大麻に慣れていない人はしばしば大麻の使用により気分が悪くなる「バッドトリップ」を経験するが、「セット」と「セッティング」という下準備が重要だということが経験的に知られている。自由化すれば、初心者用の商品が開発されたりして(酒で言えば「ほろ酔い」や、タバコで言えば「キャスターホワイト」のような)、他社との差別化が図られるに違いない。そもそも大麻が「犯罪」であると言う事実が、使用者の精神を蝕み「バッドトリップ」へと誘う事例も見受けられ、現在の大麻使用者の利益を害している。

 大麻禁止は国内の貨幣を海外に流出させる。「国民経済」なるものを信仰していない私にとってはどうでも良い話だが、愛国者にとっては国家の弱体化につながる。アヘン戦争を想起せよ。

 もちろん、大麻の利用にはさまざまな危険が伴う。大麻使用中の運転は危険だろうし、体調が悪い人や慣れていない人が使えば「バッドトリップ」を味わうかもしれない。アルコールとは違い、THC含有量は大雑把にしか測定できないだろう。また若い頃からの大麻使用は統合失調症のリスクを高めると報告されている(12)。しかし、やはり大麻を使用するかは個人の判断に委ねられるべきである。

ゲートウェイ理論の不当性

 私は、全てのドラッグの合法化すべきだ、違法・合法の垣根をそもそも無くそうと主張している。よって、大麻と覚醒剤その他の薬物を違法性によって区別しない。そもそも、合法・違法の区別は人為的なものであって、あらゆる物質には良い効果とともに副作用がある――市販の風邪薬でさえそうである。

 仮に、大麻とその他のドラッグを区別するとして、タバコやアルコール、糖類、脂質がゲートウェイドラッグに該当しないという主張は一貫性に欠く。仮に、タバコやアルコールすらも禁止しようとするのであれば、上記で見たような不条理な帰結をもたらすだろう――禁酒法を想起せよ。

 逆に私はこう言いたい。「大麻取締法は人権侵害への『ゲートウェイ』である」と。

遵法責務問題

 全くの悪法である大麻取締法を遵守する必要があるのか?法を遵守する義務など存在しない。自然権を奉ずるリバタリアンにとっては、守られるべき道徳原理は「自己所有権」から演繹され、犯罪とは自己所有権を侵害する行を言う。もっと言えば、私法による水平的解決を志向するリバタリアンにとって、法的には「犯罪」なるものは存在せず、「不法行為」がそれに対応する。従って、リバタリアンにとっては大麻を吸うことも、税金を納めないことも、他人に危害を加えない限りにおいて合法である。そもそも、国家に正当性を認めない無政府資本主義者からすれば、国家の制定法など、ただの文字列か命令、脅迫、もしくは国家信仰の経典でしかなく、刑罰とは単なる暴力である。

 批判者は言う「法を守る義務がないのであれば、統治者と被治者との関係は制裁を介した損得関係でしかない。それでは政府は強盗と同じになってしまうではないか!」この批判者は我々リバタリアンの理解を端的にまとめてくれている。即ち、「課税は窃盗」である。加言すれば、徴税は警察権力の暴力によって裏打ちされており「課税は強盗」である。従って、「政府は犯罪集団」である。

 個人主義的無政府主義者であり憲法学者、政治哲学者、奴隷廃止運動家、起業家でもあるライサンダー・スプーナー Lysander Spooner 曰く

確かに、政府はひとけのない場所で人を待ち伏せし、道路脇から飛びかかり、頭に拳銃を突きつけながら、ポケットを探り金品を奪い取りはしない。しかし、それでもやはり、この強盗はそのような理由から強盗なのである。そして、それはいっそう卑劣でけしからぬことである。
追剥は、自らの行為の責任、危険、犯罪を、自分一人で引き受ける。彼は、あなたの金銭について何か正当な請求権を持っているとか、あなたの利益のために使うつもりだとか、装ったりしない。彼は強盗であること以外を装ったりしない。彼は、自らを『保護者』にすぎぬと称して、完璧に自分の身を守ることができると考えるのぼせた旅人やこの独特な保護システムを評価しないぼんやりとした旅人をただ『保護する』ことができるよう、彼らの意思に反して彼らの金銭を取り上げるのだと称するほど、厚顔ではない。彼は、そのような公言を行うには良識がありすぎるのだ。さらに、あなたの金銭を取り上げた後、彼は立ち去る――あなたがそうして欲しいと望むように。彼は、あなたに提供する『保護』を理由に正当な『主権者』であるふりをして、あなたの意思に反し、路上あなたの後をつけ回したりしない。彼は、あなたに屈従かしずくよう命令したり、あれをするよう要求してこれをするのを禁じたり、それが自分の利益や快楽のためになると知るにつけ、さらなる金銭を奪ったり、あなたが彼の権威に意義を唱えるか要求に抗うかした場合に、反逆者、国賊、国の敵との烙印を押し容赦なくあなたを撃って、あなたを『保護』し続けたりはしない。彼はかかるペテン、侮辱、卑劣な行為を行うほど罪深くあるには、紳士的にすぎるのだ。つまり、彼は、あなたを強奪した上に、彼のカモないし奴隷にしようとはしないのである(13)。

 そして、マレー・ロスバード Murray N. Rothbard の分析(14)によれば、国家は自らの「保護者」としての正当性を人々に確信させるため、イデオロギーの宣伝家を雇う。国家が教育やメディアに様々な補助金を投入したり、規制を設けているのはこのためである。教育の名の下、何度も何度も執拗に子供たちに「ダメ。ゼッタイ。」と刷り込むことで正当性を調達しているのである。

自由へと至る道

 自由へと至る道は市場にある。毎日の消費こそが真の投票である。CBDからTHCまで様々なカンナビノイドが市場によって供給されている――ブラックマーケットも含め。CBDが美容市場に拡大し、多くの人の大麻への偏見を和らげた。医療用大麻は多くの人々のニーズを喚起している。合成カンナビノイド業界は多くの人に大麻の効用を実感させ、大麻規制の不合理さを多くの人々に知らしめた――合成カンナビノイドが良いか悪いかは置いておくが、これはそもそも政府の規制が悪い。より多くの人々が市場に参入すれば、競争により需要が増えるだろう。

 大麻合法化は、国家権力の維持に利用される可能性がある点に注意。薬事法事件や、医薬品ネット販売規制を想起せよ(15)。政府は「過当競争による不良医薬品の危険を防ぎ、薬局等の適正配置を促進し、もって国民を保護する」とか「対面による情報提供の重要性」などと称して規制したが、これは利権に基づく規制であった。合法国であるアメリカでも結局、上記で見たように、様々な規制がかけられ政治的な利権争いと堕している。日本で合法化されても、免許の恣意的な要件によって、今まで大麻を栽培してきた農家や売人は大麻市場から排除される可能性がある。「不良大麻による健康被害を防ぐ」だとか「大麻の使いすぎを防止し、国民の健康を保護する」などと称して、大麻の売買は登録制にされ、個人情報を政府に収集され、個人栽培が規制される可能性もある。段階的な自由化を否定はしないが、特定集団の利益誘導に利用されたり、票田になる可能性がある。我々が望むのは大麻規制の完全な廃止である。

おわりに

 本稿の題「アナーキー・大麻・ユートピア」はお気付きの通り、最小国家論を提唱した哲学者ロバート・ノージック Robert Nozickの主著『アナーキー・国家・ユートピア』のパロディである。

 ノージックは功利主義批判の文脈で、どのような人生でもバーチャルに経験できる機械(経験機械)に繋がれて主観的には全く幸福で満ち足りた世界を生きることを、人々はよしとするだろうか?人間にとって重要なのは「経験」だけなのか?と問う。そしてノージックは、人々は「経験機械」を良しとしないだろう、と考える。

……経験機械に繋がれることは、我々〔の経験〕を人工の現実に限定するが、これは人々が構成しうる以上の深さや重要性を持たない世界である。より深い現実との接触は、その経験の模造は可能だとしても、本当には一切ないのである。このような接触をもち、一段深い意義を探る可能性を、自分自身に残しておきたいと望む人は多い。精神に作用する薬剤をめぐる争いの激しさは、このことを明らかにしている。この種の薬剤を、ある者は単なる局部的な経験機械と看做し、他の者はより深い現実に至る道だと看做す。ある者が経験機械への屈服と同じだと考えるものを、他の者は屈服しないための理由の一つに従っているのだと考えるのだ!(16)

我々が望んでいるのはたぶん,現実に触れながら自分自身を生きる(能動的述語)ことなのである(17)

 私見では、薬物の効用や効果を知り得る限り十分に理解し、その変化を自発的に受け入れるのならば(さらにその変化が短期間・離脱可能であればあるほど)、薬物は「能動的述語」の助けになるだろう。そもそも、私たちはメガネや補聴器などによって感覚(ここでは視覚と聴覚)を変化させたり、車や階段や読書・インターネットにより能力を拡張して生きている。そこに何の違いがあろうか?

(中条やばみ)

参考文献

⑴ 以下はドラッグの有害度を示した図のURL。The Global Commission on Drug Policy, Classification of Psychoactive Substances:When science was left behind, http://www.globalcommissionondrugs.org/wp-content/uploads/2019/06/2019Report_EN_web.pdf, p.22-23. 23/05/10確認。

この図はNutt, David J; King, Leslie A; Phillips, Lawrence D(2010) “Drug harms in the UK: a multicriteria decision analysis”. The Lancet 376 (9752): 1558–1565. doi:10.1016/S0140-6736(10)61462-6の多基準意思決定分析(MCDA)に基づく。

⑵ 山本奈生「紫煙と社会運動 ――現代日本における大麻自由化運動――」p.62、https://www.jstage.jst.go.jp/article/arcs/6/0/6_59/_pdf、同日確認。

⑶ 山本奈生「1930年代米国における大麻規制:ジャズ・モラルパニック・人種差別」https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rpcontents/BS/0044/BS00440L028.pdf、p38、同日確認。

⑷ The Global Commission on Drug Policy, ‘War’ On Drugs, https://exhibition.globalcommissionondrugs.org/、同日確認。

⑸ 厚労省「大麻規制のあり方に関する大麻規制検討小委員会 議論の取りまとめ(案)」p.10、https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000995180.pdf、同日確認。

⑹ Walter Block(1991, 初版1976), Defending the Undefendable :The Pimp, Prostitute, Scab, Slumlord, Libeler, Moneylender,and Other Scapegoats in the Rogue’s Gallery of American Society, Fox & Wilkes. 橘玲訳(2020)『不道徳な経済学』早川書房、pp.100-116参照。

⑺ デイヴィッド・アスキュー『治安・司法の市場化――無政府資本主義について』https://www.jstage.jst.go.jp/article/jalp1953/1994/0/1994_0_37/_pdf/-char/ja、同日確認。参照

⑻ 稲葉事件についてはWiki(https://ja.wikipedia.org/wiki/稲葉事件)がまとまっている。意欲のある方は裁判所の再審決定(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/828/085828_hanrei.pdf)や無罪判決(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/672/086672_hanrei.pdf)を参照されたい。この事件は綾野剛主演の映画「日本で一番悪い奴ら」としてメディア化されているので興味のある方はどうぞ。

⑼ Randy E. Barnett (1998) The Structure of Liberty: Justiceand the Rule of law, Oxford University Press. 嶋津格、森村進監訳(2000)『自由の構造』木鐸社、p.365。

⑽ 厚労省「大麻乱用者による告白」https://www.mhlw.go.jp/bunya/iyakuhin/yakubuturanyou/taima01/chishiki03.html、同上。

(11) Newsweek「マイク・タイソンやJay-Zも…黒人起業家が大麻ビジネスに続々参入の深い訳」https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2021/04/post-96087_2.php、同日確認。

(12) Royal College of Psychiatrists, Cannabis and Mental Health, https://www.rcpsych.ac.uk/mental-health/translations/japanese/cannabis-and-mental-health、同上。

(13) Spooner, Lysander (1973) No Treason: The Constitution ofNo Authority, edited by James J. Martin. Colorado Springs, Colo.: Ralph Myles, p.19.

Murray N. Rothbard (1998, 初版1982), The Ethics of Liberty, New York University Press. 森村進ほか訳(2003)『自由の倫理学』勁草書房、pp.197−198より孫引き。翻訳は森村進による。

(14)『自由の倫理学』p.198-203参照。

(15) 裁判所ウェブサイト、薬事法判決(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51936)、医薬品ネット販売判決(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=82895)、同日確認。

(16) Robert Nozick (1974) Anarchy, State, and Utopia, Basic Books. 嶋津格訳(1994)『アナーキー・国家・ユートピア』木鐸社,p.69.

(17) 前掲3、p.70。