サミット廃止小論

2023年5月19日から21日にかけて、広島市でG7サミット(主要国首脳会議)が開催された。通常このサミットは「先進諸国」が重要議題を会議する場として認知されている。多くの非リバタリアンはG7サミットの政治的正当性を認め、各国の調和を歓迎している。 

リバタリアンはこのサミットに対して、明瞭に回答することができる。「サミットを廃止せよ!」と。

自己所有権を基礎に置くリバタリアンは、それが広義の私的所有権であれ狭義の身体所有権であれ、実質的に現行の国家体制が不正であるという点に関して一致できる。当然、国家の連合体に対しても同じことが言える。G7サミットは、その経過においても、サミットの議題においても反自己所有権的である。

まず、経過であるが、サミット実施中、人々の日常生活が直接的に脅かされた。具体的には、駅等の施設のコインロッカーやごみ箱の使用制限(禁止)、交通規制、商業施設・工場の閉鎖等だ。警察(機動隊)に挙げられる剥き出しの暴力によって、人々の自己所有権とそこから演繹される交換行為を禁止、あるいは、自粛を「強要」したのだ。また、なにより、サミット実施の原資は税金である。「課税は強盗」のスローガンの通り、サミットも強盗=課税によって得た貨幣を基に実行されている。

さらに質の悪いことに、サミットの「警護」業務に警察(機動隊)が動員されているのだが、反リバタリアン的サミットに訴えを起こした者に対して彼ら/彼女らは容赦なく弾圧を行った。この弾圧は国家の「法」においても不当な行為(例:明らかに過剰かつ不要な鎮圧行為等)が見受けられる問題もあるが、何より、警察の弾圧行為そのものが警察の組織維持になっている。近年、日本では犯罪件数は政治的党派が「起こした」ものに関係なく減少傾向にある。通常、資本主義的組織では、部署の必要性が減ずると当該部署は人員・資源の削減ないし廃止を積極的に行う誘因があるが、国家機関は直接的に人々から掠め取った税と、何にも紐づけられていない無際限な「日本国銀行券」によって運用されているため、組織を減少・廃止させる誘因が非常に弱い。このため、国家に属する機関は新たな「課題」をでっち上げ、組織維持を図るのが常である。サミットの場合、警察(機動隊)は弾圧を口実に組織維持を図るのだ。暴力そのものである警察(機動隊)にとって、これほど好都合なことはない。国家の「法」すら超越する警察(機動隊)及びその背後にいる政府構成員と協力者が、彼ら/彼女ら自身に背く者を叩けば叩くほど、自らの利益となるのだ。これは不当な暴力の再生産の温床である。

しかし、リバタリアンとその協力者はやられっぱなしではない。権利に実直なリバタリアンは当然として、リバタリアン思想を意識的に受容していない非リバタリアンもこの不当な暴力に疑義を抱くことになるだろう。それは、サミット開催や治安維持による実利の目減りに依拠するかもしれないし、過剰かつ不要な行為が「国民」的美徳に反すると判断するからかもしれない。そこにリバタリアンが虚無に陥る理由はない。人々は課税と規制によってますます貧困になり、個人・共同体の美徳も減ずる。嫌気のさした非リバタリアンがリバタリアンになる好機でもあるのだ。

さて、次にサミットの議題を点検しよう。今回のサミットは彼ら/彼女らのホームページ(https://www.g7hiroshima.go.jp/summit/)によると、背景にコロナ禍とロシアによるウクライナ侵略があり、視点として、法の支配に基づく国際秩序の堅持と、グローバル・サウス(いわゆる南北問題における発展途上国等)への関与の強化、と述べている。さて、リバタリアンはこれらすべてに異議を唱えるほかない。まず、コロナ禍と称して移動禁止とマスクの強要によって人々の自己所有権を侵害するのは論外だし、ロシアとウクライナ両政府の存在そのもの、つまり暴力の独占が戦争を引き起こしており、かつ徴兵・徴用も論外である。先の機動隊の例のように法の支配を国家が守る誘因も理由はない。彼ら/彼女らの云う国際秩序は国家秩序であって、リバタリアン秩序ではない。グローバル・サウスとされる国への政府による支援は、強盗=課税によって得た資金を基にしている時点で反自己所有権的であり、課税=政策スキームによる政府的美徳の輸出であり、自発的なリバタリアン的美徳の輸出ではない。

国家に法の支配が可能かという法哲学的疑問も去ることながら、実務的問題として、国家は法を間接民主制によって運用している。国家において法とは、法に向き合う専門家と、日常の交換行為に生きる人々の産物ではない。議会が「法」を生産するのだ。反リバタリアン哲学者のジェレミー・ベンサムや、ジョン・オースティンら法実証主義者は、法を支配者の道具として洗練化させた。さて、議会は「多数派」――実際には、日本の小選挙区の多くで無投票がどの候補者よりも最多票なので多数派と称するのはおかしい――によって構成されており、彼ら/彼女ら――ほとんど「彼ら」だ――は税消費者として、納税者から日々掠め取っている。そして、反リバタリアン・反自己所有権ルールを制定する。こんな法があってたまるか。当然、リバタリアンが議会を乗っ取ってしまえばこの限りではないが、原理的に、国家とその議会の存在や行為は不正である。国家「法」が形成され続け、国家が連合する限り、法の支配はまず不可能であり、そこには支配の「法」があるのみだ。リバタリアンの理想の1つは、支配の「法」を押し付ける国家廃止であるから、国際という概念も廃止対象である。そうなれば国際秩序も廃止対象である。サミットはその国際秩序――実際には国家支配秩序――を醸成する機会であるから、リバタリアンがサミットに反対するのは当然のことである。サミットを廃止せよ!