コンキンとのインタビュー3

理論から実践へ…

Q:60年代から70年代の間、多くのリバタリアンが急進左派の集団と共闘し、カール・ヘス (63)はブラック・パンサー(64)と民主社会のための学生運動[SDS]のメンバーで、ロスバードはニューヨークの両翼アナキスト・サパー[夕食]・クラブでマレー・ブクチン(65)と共闘しました。このような人々の接触は見事に早々に崩壊しました。なぜですか?

SEK3:非常にことなるケースだね。ロスバードとブクチンは新規の青年の取り合いのために不和になったが、二人はイデオロギー的な違いを際立たせた。ブラックパンサーとSDSは基本的にヘスを残して崩壊したが、ヘスは1969年の大会後も左翼と協力関係であり続け、彼の逝去まで政策研究所 (IPS)(66)に所属していた。だが、1980年代後半に、彼は自身のリバタリアン Libertarian のつてに戻り、(ロスバード、ルフェーブル、ダグ・ケイシー(67)、ジョン・パグスリー(68)、ロバート・ケファート(69)と共に)アゴリスト研究所の理事会の創立者として、1985年に彼を招待した。後に、彼はリバタリアン党の全国新聞の編集者として勤め、(残念ながら)十分に保守派になり、彼が大病をするまで続いた。

Q:自身をリバタリアン Libertarians と述べる人々は、左翼との関わりを持とうとしません。左翼はリバタリアンを相手にしようとしません。あなたの組織が左派リバタリアンの運動 Libertarian Left of Movement とみなすアイデアをどこで得たのでしょうか?

SEK3:ロスバードは以下のことを決意した。(本来のリバタリアン党の急進派で、新リバタリアン連合 [New Libertarian Allinance, NLA] としてリバタリアン党を抜け、カウンター・エコノミーの構築のために即刻地下へ向かった)我々が、マルクス主義の用語を用いて、極左冒険主義と左翼セクト主義だということだ。彼に親しい人は私を運動 Movement のトロツキーだと言った。その文脈で、リバタリアン左派として我々に言及することが、自然だったからだ。

 2つ目に、我々は反原子力、そして反戦的新左翼とのロスバードの1960-1969年連合を続けることに関心があった。我々が再び合法的に存在感を示そうと決めたとき、その連合の残存者に訴えるラベルを用いることは道理にかなっていた。

 3つ目に、非政治的活動に回帰するよう強要されたと感じるような、成功を収めたカウンター・エコノミックな企業を構築したメンバーを我々は必要としなかった。非アゴリストと彼ら自身の協力を堕落させることを厭わない異なる集団であることは明らかだからだ。

 最後に、私はヨーロッパ、オーストラリア、アジアの政治を数年間目を通していて、1978年に、私はフランスである集団に魅了された。

 アメリカの政治連合と異なり、フランスでは、2つの大きな議会連合があったことを思い出すと、それらは非常にイデオロギー的だった。しかし、左翼と中道右派の連合の中に、急進派として知られるフランスのかつての支配政党の構成員たちがいた。連合が古きレッセ・フェール的自由を主張が優勢でないにもかかわらず、彼らは概ね経済に対して自由市場的主張をしていた。急進党(70)は完全に、ド・ゴール主義者(71)とジスカール・デスタン(72)の独立共和党(73)の連合であり続けたが、「左翼」は分裂しており、「左翼の急進派運動 Mouvement des radicaux de gauche, or MRG」として左翼連合(74)に加入した。私はその響きと意味が好きだったので、英文法に多少お辞儀をして、我々の新たな合法活動家集団は、中央アメリカの切迫した戦争を戦う「古い」新左翼の集団に加わるために、左派リバタリアン運動 Movement of Libertarian Left, MLL (75)になった。

Q:左派リバタリアン/アゴリズムと無政府資本主義の主たる違いはなんですか?

SEK3:理論的観点、戦略的観点、左翼的専門用語、右翼用語等に注目すると、いくつかの違いがあるが、公平な質問だね。

 理論的に、自身を無政府資本主義者(客観主義から脱退した、ジャレット・ウルステイン(76)が、1968年に作り出したと、私は思う)と呼ぶ人々は、徹底的にアゴリストと異なるわけではない。両者はアナーキーを望むと主張する(非国家性、そして、ランドから借用され、ロスバードに強化された、正当化された強制の独占としての国家の定義に我々はとても同意した。)しかし、我々がイデオロギーを現実世界(マルクスに影響を受けた者曰く「実際に存在する資本主義(77)」)に適用するとき、我々はいくつかの点で即座に分裂する。

 1つ目かつ最も重要なことだが、アゴリストは企業家を強調し、非国家主義的資本家(イデオロギー的に自覚している必要はなく、資本の保有者の意味)を、比較的、中立的であくせく働かない非イノベーターとして見ており、また親国家的資本家を政治体制における中心的な邪悪として見る。したがって、彼らが誤解され、混同されると我々が考えるときでさえ、我々の「陰謀論」に対する熱意ある展望が掻き立てられる。労働者と農民はどうかと言えば、我々はせいぜい前時代からの厄介な遺風を彼らに見出し、彼らが欠乏した市場の需要によって消滅するとされる日を期待する(したがって、私のフレーズでは、マルクスに影響を受けた人をわざとからかうと、「プロレタリアートの清算。」)ある者は低俗なフレーズでそれを要約できる。「もし国家が1世紀後に廃止されるなら、小惑星でロボットと別荘を持つだろう。」

 「無政府資本主義者」は、イノベーター(企業家)と資本家をごちゃまぜにする傾向があり、マルクスに影響を受けた人と粗野な衆参主義者もそうである。(特にヨーロッパでのオーストリア学派経済学者の漸進的な勝利が、少なくとも我々の主張を深刻に受け止める何人かの新左翼を誘導していた。その主張は、資本家と企業家が、異なる分析を要する非常に異なる階級であり、異なる階級を生み出す(資本家と企業家の観点による)問題に取り組むよう試みる、というものだ。)

 アゴリストは厳格なロスバード主義者であり、私はこのケースにおいて、ロスバード以上にロスバード主義者がロスバードの考えに関していくらかの古い混乱がある、と私は主張するだろう。だが、彼はミーゼスの教えに忠実で、ミーゼスはイノベーター/鞘取り商人と資本保有者(モーゲージ保有者、クーポン集めをする倹約家、無価値な相続人(78)、地主等)間の独創的な区分を作った。市場が大きくネットに移行するにつれて、ますます純粋な企業家精神を宿し、実店舗の「保有者」に勝るようになる。

 しかし、アゴリストが最も激しく「無政府資本主義者」と異なるのは、現代政治と現代防衛の対処についてだ。無資 A-caps [無政府資本主義者の略語](彼らは個々人で差異が多くある)は、通常、(リバタリアン、共和主義者、カナダ新民主党のような民主主義者や社会主義者(79)でさえ)今ある政党との関与があると信じており、極端なケースでは、共産主義と戦うためにペンタゴンとアメリカ国防総省の複合体を支持する。(彼らの言い訳は何だろうか?)国家を多少なりとも廃止するまでだそうだ。君が疑いなく取り上げるように、アゴリストは革命的だ。我々は国家とその支配階級の崩壊なしに市場が勝利するとは考えず、私が『新リバタリアン宣言』で指摘したように、歴史的に、通常彼ら自身を擁護する平和革命に対する無分別な暴力を解き放つことなしに彼らは諦めない。

Q:MLLのマニフェストはパンフレットの『新リバタリアン宣言 [NLM]』でした。どんな反応がありましたか?

SEK3:厳密に言えば、NLMは新リバタリアン連合のマニフェストであって、MLLのマニフェストではない。それは1975年に発刊されたことになっている。しかし、第一版が発刊されるまでに、MLLは組織化されていた。MLLの言及を含み、同じく、広報をしたためだ。

 NLMは驚くべき反応があった。第一刷は1000部印刷され、ヴィクター・コーマン(80)は、滑らかな黒いカバーと金箔レタリングが施された「デラックス」版の印刷を企てた。第二刷1500部は、私とヴィクターの分の10部を除いて、すぐに売り切れた。ハードコアで最も純粋なパンフレットは、経費削減のために高密度に植字されており(本当に小さな本で、印刷費を削減するために小さくて行間が少ない活字を用いた)、非常にイデオロギー的に埋没していた当時のリバタリアン活動家たちだけに向けられたため、大変限られた市場向けで、地下のベストセラーになった。それは議会図書館に登録されることはなく、地上に言及されることさえなかった。レッセ・フェール・ブックスはそれを取り扱うのを拒んだ。トロント、そしてもちろん、ロンドンのクリス・タームのオルタナティブ・ブックス(81)にあるような海外のリバタリアン書店だけが取り扱った。最終的に、レッセ・フェールとサンフランシスコのフリーダム・フォーラム・ブックスがこっそりと売るようになった。

 マレー・ロスバードは即刻、NLMに対する批判的返答を書くのに同意し、ロバート・ルフェーブルは概ね称賛的な返答を書いた。私は、今は無名の「不潔なピエール」ことアーウィン・シュトラウス(82)が、急進的ではないとして、それを批判したのを見つけ、新しいジャーナルである「新リバタリアン連合の戦略 Strategy of New Libertarian Alliance (略称SNLA)」第1号に私の反駁とともに、まとめた。それも大変売れた。我々はいまだに放置されたSNLAの第2号をいくつか持っているが、SLNAは1995年に「アゴリスト・クォータリー」に吸収された。

Q:そのテキストで、あなたは、カウンター・エコノミクスがリバタリアニズムに適合し、政府と戦うのに効率のよい唯一の手段だと提案しました。カウンター・エコノミクスについて、詳しく聞かせてもらえますか?

SEK3:後でカウンター・エコノミーの「インフラ」と呼ばれるもの活発に構築し、促進する意味においてのカウンター・エコノミクスは、リバタリアン社会 LIbertarian Society の成就を保証する唯一の戦略だ。市場が国家の統制下から移行するにつれて、自由社会はそれに応じて発達する。ある点では、市場の多くが国家の制約を受けず、また、私が完全に自由だと思うのは、国家の司法と強制力を含む、何らかの国家の統制の形態への従属がないことで、最も成功した寄生的な社会的存在は、最終的に栄養失調によって消え去るだろう。当然、すべての国家の崩壊が進むにつれて、最終段階で国家が自身を守るべくまとまりのない暴力を伴って無茶なことを行い、アゴリストの盛大な自己防衛が最後の革命となるだろう。

Q:「NLM」の出版から20年が経ちましたが、その目標の達成にさらに近づいたと、あなたは考えていますか?

SEK3:カウンター・エコノミーは西洋社会中で発達し、国家主義的なホワイト・マーケット(83)は、それ自体の機能しない規制や、創造性を台無しにする税略奪で、縮小し、窒息する。レーガンの新保守主義がどんな不合理な名声を得たとしても、東洋では、左翼 nalevo がソビエト国家を打倒した。つまり、限られた理解だと、ほぼ無意識のアゴリズムにもかかわらず、人々に知られている最悪の専制を人々自身が打倒した。しかし、変遷の意識的自覚は成長している。国家がいまだにそれを攻撃しているようなただ一つの武器は、カウンター・エコノミクスに参加するほとんどの人々がそれを罪だと感じることで、まるで彼らが何か悪いものだと感じ、まるで組織的アウトローのギャングが道徳的に優れているかのようだ。これはアイン・ランドが見事に犠牲者の制裁と理解し、呼称した理由だ。自由に地上で語ることのできる間、リバタリアン Libertarian 活動家の任務は、大衆に対してもっともらしく立証することで、特に、インターネットという自由市場アナキストの楽園に繋がったグローバル規模の経済の中で大衆を焚きつける若者に対してだ。また、インターネットは、経済活動の抵抗と不服従が最も道徳的で可能な人間行為であるような場所だ。ウェブサイトだけではなく、芸術、SF小説と今では映画、演劇、そして家庭用コンピューターテクノロジーと容易に理解可能な機器から生まれている新たな形態も含まれる。

Q:近頃、多くのリバタリアンは自由国家財団(84)に進められた新しい戦略を辿ります。彼らは土台からリバタリアン国家を建国したがりました。サイファーパンクはインターネットと暗号文にそのような希望がある。これら自由の達成方法についてどう思いますか?

SEK3:サイファーパンクはカウンター・エコノミーに便利な道具/武器を与えるが、エコノミーにはそれ以上のものがある。自由のための単一の進歩がアナキスト的アゴラを達成することはないが、どれも放棄し、軽んじられるべきではない。ケント・ハスティングス Kent Hastings は以下のことを指摘している。ナノテクノロジーの価値、スペクトル拡散無線、そして小さく無人の空飛ぶ乗り物(用語を失念した)は、ネットプライバシーと、カウンター・エコノミックなインフラの目覚ましい拡大を結びつけた、と。

 私は「自由国家 free country 」活動家に反抗しないが、彼らは、国家がその伝統的な大量破壊兵器を用いて破壊するための簡単な目標をまさに設定しているだけだと思う。彼らは、自身を守る計画のすべてに関する道徳的抑制の確実な水準を有する国家に依存するが、私は彼らが間違っていると思う。そんなものはない。機能的な自由社会の可視的な指針を粉砕するなら、多少の悪評をもろともせず、数百万の臣民を快く犠牲にするだろう。私はこれら、今日の国家主義的環境の自由国家建国の試みをアナルコ・シオニズムと呼ぶ。「約束された渓谷を求めて。」

Q:長期間活動家として、あなたは急進的な若い世代の活動に従事したと、私は確信しています。リバタリアン Libertarian 思想がシアトルやプラハのデモ参加者を獲得する機会があると考えていますか?

SEK3:私は2000年に、ロサンゼルス(後にシアトル、ワシントン、プラハ等)で反アゴリストなアナキストたちに伝道するよりも多く聞いたが、ブラック・ブロック(85)を含む彼らの心は正しい場所にあった。彼らは、超フェミニズム化と他の罪悪感を通じた、旧左翼的アパラチキ(86)に利用されていた。かつてアナキストだったジェロ・ビアフラ(87)が[2000年の]大統領選でラルフ・ネーダー(88)の支持を呼びかけたとき、私は「大統領候補なし(89)」を呼びかけ、ブラック・ブロックのキッズたちと直ちに、かつ熱烈に結束した。彼らは「リバタリアン libertarian 」政党政支持者よりも、大統領候補を支持するアナキストの矛盾を、混乱なく、理解していた。

[以下はPDF下部に記載されていた文言]

著作権は9つの単語で、もしあなたの雑誌やウェブサイトでこのインタビューを使用したいなら、そうしてください。

(訳:前川範行)

(63)Karl Hess は、アメリカのリバタリアン、活動家、ライター。大統領候補バリー・ゴールドウォーターのスピーチライターを経た後、主著● Dear America ●を書いた。また、ロスバードと共に、Libertarian Forum を立ち上げ、ワシントン編集者として従事した。

(64)Black Panthers は、1960年代から1970年代アメリカに存在した政治組織。黒人の解放を目的としていた。

(65)Murray Bookchin は、アメリカのアナキスト。リバタリアン自治体主義 Libertarian Municipalism の提唱者。

(66)Institute for Policy Studies は、1963年に設立された、アメリカのシンクタンク。公民権運動、反戦運動、女性運動、環境運動等に尽力した。

(67)Douglas Robert Casey はアメリカの無政府資本主義者。ケイシー研究所 Casey Rsearch の設立者兼議長。

(68)John Pugsley はアメリカの主意主義的 voluntaryist リバタリアン。出版社 Common Sense Press を設立し、『コモンセンス・エコノミー Common Sense Economy』を出版した。

(69)Robert Kephart は、アメリカのリバタリアン。出版社、ケファート・コミュニケーションズ Kephart Communications, Inc. (KCI)を設立した。多くのリバタリアン組織と運動を支援した。

(70)Parti radical は、1901年設立のフランスの政党。1972年の分裂までは共和党とも呼ばれ、分裂後はヴァロワ急進党とも呼ばれる。当初は左派だったが、徐々に中道化・右傾化した。

(71)Charles André Joseph Marie de Gaulle は、フランス第18代大統領。ド・ゴール主義は、英米から脱却したフランスの独立性を追及する思想を指すことがある。

(72)Valéry Marie René Georges Giscard d’Estaing は、フランス第20代大統領。

(73)Républicains Indépendants は、フランスに存在したリベラル保守政党。

(74)the Union de Gauche, Union de la gauche は、1972年から1977年にかけての、社会党、左翼急進党、フランス共産党の選挙連合を指す。1977年以降も、政党は変わったが選挙連合が結成された。

(75)『リバタリアン』第4号掲載の「リバタリアン左派運動入門」の記事のタイトルは、「左派リバタリアン運動入門」の誤りだったことをお詫びします。

(76)Jarret B. Wollstein は、個人的自由協会の設立者。ライター。

(77)Actually Existing Capilitalism は、資本主義経済が、実際には民間企業と国家との間に、国家介入とパートナーシップがあると主張されるときに使用される言葉。

(78)worthless heirs は、アメリカにおいて、相続権を剥奪された者を指す。

(79)New Democratic Party は、カナダの中道左派・社会民主主義政党。

(80)Victor Koman は、アメリカのSF作家、アゴリスト。

(81)Christopher Ronald Tame は、イギリスのリバタリアン活動家。イギリスのリバタリアン連合の創設者。Altanative Bookshops の設立者。

(82)Erwin S. Strauss は、アメリカの作家、SFファン。

(83)White Market は、Black Market に対置される概念で、国家肯定的な経済活動を指す。

(84)Free Nation Foundation は、1993年から2001年まで活動していたリバタリアン・シンクタンク。Richard O. Hammer の “TAWARD A FREE NATION” によると、政府による侵害が増えている現状に対して、自分たち自身で国を築くべきだ、と主張している (Hammer 1993)。http://freenation.org/toward.html (最終確認:2023/7/8, 1:29)

(85)Black Bloc はデモの戦術の1つ。参加者が黒色の衣装(服・帽子・サングラス等)を着用する抗議活動。参加者の個人(情報)の特定を困難にし、連帯感を高める効果があるとされる。アナキストがよく用いる。

(86)apparatchiki は、ソ連の指導層のうち、党機関出身官僚を指す。テクノクラートに対置されることが多く、アパラチキはイデオロギーの一貫を志す。

(87)Jello Biafra は、アメリカのミュージシャン、活動家。アメリカ緑の党のメンバー。

(88)Ralph Nader は、アメリカの環境保護活動家、作家、弁護士。

(89)Nobody for President は、1976年、80年、84年、88年の大統領選挙のパロディキャンペーン。「誰もない」を大統領候補に氏名したとされる。