「リバタリアン左派運動入門」

【訳者による注釈】
この記事は、サミュエル・エドワード・コンキン3世によって書かれた Movement of the Libertarian Left に掲載された、”Introducing the MOVEMENT OF THE LIBERTARIAN LEFT” という記事の翻訳である。
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自己紹介

リバタリアン左派運動は、急進的なコミットメントのための幅広いリバタリアン運動の一部として組織される。ほとんどのリバタリアングループは教育志向である。一方で、MLL [ Movement of the Libertarian Left] は活動志向だ。それゆえ、教育や「ビジネス」を基礎にするその他のリバタリアングループとは、細胞・戦術・戦略の基礎によって組織されている点で異なる。MLLは――政治的「リバタリアン Libertarian」組織とは違って――目的や手段に対して妥協しない。


「リバタリアン Libertarian 」とは?

この問題に対するあまりにも多くの文献は現在存在し、また、この巨大で複雑にもかかわらず、「リバタリアニズム」と呼ばれる人間関係の原理的な理解のある何かしらの問いに対して、我々は喜んで答えるだろう。

最初に一瞥したとき複雑だと感じるように、リバタリアニズムはある驚くべき単純な前提に依拠する。個人の自由に妥協なくコミットすることだ!これはしばしば「非侵害原則」として論理的に正確に述べられる。つまり、

何人も他者の生命や財産に対して、暴力や強制(暴力の脅し)を起こす権利はない。

リバタリアニズムの複雑さは、人間行為のほぼすべての面に対するこの原理の適用可能性に由来する。リバタリアニズムの有効性はこの単一で、把握が容易で、最優先の規則にから生じ、また、リバタリアニズムの倫理的美徳は以下について何も言わないことにある。それは、あなた自身の人生の個人的行為と、あなた自身の財産の処理についてだ。


なぜ「左派リバタリアン」か?

MLLは左翼の内部でもあり外部でもある。初期の政治期から「左翼」は「反エスタブリッシュメント」を意味していた。一貫したリバタリアンは国家と、国家に寄生する階級である官僚・政治家・補助金を得たビジネスマン・特権を得た労働指導者・軍事的な大衆殺戮者の廃止を願っていた。ほとんどの政治的語彙において、これは我々を左翼に追いやる。それはアナキスト的だからであり、それは我々を極左に位置づける。

いまだに、我々はリバタリアン左派であり、「社会主義」左派ではない。その現在の支持者の規模に関して、社会主義は用語としての左翼を決して独占していないし、しばしば、すべての反エスタブリッシュメントの抵抗運動の少数派だった。今日、社会民主主義と共産主義は世界中の大部分の国々のエスタブリッシュメントである。MLLはすべての国家に反対する。たとえ国家の支配者が自身を(自己矛盾にも)左翼主義者と呼称したとしてもだ。共同体や、労働者(やどんな人々)と結合して生きることを願う人々が、リバタリアン社会でそうすることは自由だ。MLLは経済的に自由市場の主張に立ち、急進的な社会主義者やファシストのように見えるウルトラ・保守主義を構築するほど自由だ。

対外的に、リバタリアン左派のために戦い、内面的にリバタリアン運動の急進化のために戦う。我々は妥協しないアゴリスト――平和的交換と、我々の目標を達成するための自発的交流のみを利用する存在――だ。現在のリバタリアン運動の多くは堕落して、妥協的で、保守主義で、選挙的で、臆病なので腐敗している。MLLは無慈悲にも、政治家を選ぶための政治を廃止し、官僚制を廃止するための官僚を任命し、政府を廃止するために統治する詐欺的な提案をあらわにする。自由市場の独占を試み、アナーキーにおいてエスタブリッシュメントを作り出し、政治的な似非行為によって我々の活動を弱体化させる人々に対して、我々はありとあらゆる手段をもって戦う。

要約すると、我々はリバタリアンで影響的な左派と、リバタリアン左翼を創設するよう従事する。したがって、我々はリバタリアン左派の運動体である。


我々の目標は?

手短に言うと、具体的に、MLLは他の左派とリバタリアングループとともに特定の目標に取り組んでいる。あなたはあなた自身の計画に取り組み、他のMLL活動家に従うよう判断することもできる。あなたは戦術的なユニット(細胞)の中で他のMLLの活動家とともに働き、協力のために1つかより多くの戦術家を受け入れることができる。細胞は地域の戦略家と地域での協力のために提携することができる。大陸的戦略はサミュエル・エドワード・コンキン3世によって、『ニュー・リバタリアン・マニフェスト』に綿密に計画された。

党路線はない。不一致は常に「認められる。」それは、誰かが何らかの提案された計画を拒否し、新しいものを提案することだ。戦略家と戦術家は自身のサービスを売り、最後に売れたときのみ価値がある。指導者はいない。活動の自由は理論における自由から生じる。

中期的に、MLLは、(しばしば「グレー」「ブラック」と呼ばれる地下自由経済である)カウンター・エコノミーの擁護者としてのニュー・リバタリアン・アライアンス(革命的アゴリスト組織)を作っている。各個人が国家主義社会から離脱し、カウンター・エコノミックに向かうほど、国家は「衰退する。」MLLは今ある前アゴリスト組織と革命的アゴリスト組織の接続点だ。中期とは20年以内を指す。

長期的には、カウンター・エコノミー(1)は、最小限の自己防衛が必要な自発的関係に基づいた社会を生み出すために、国家資本主義と国家社会主義を転覆する。また、そのような社会は、通常の市場便益によって処理可能である。この財と価値の自由交換社会はアゴラ(2)である。

政治の死は正当化された強制(国家)の独占を排除する。つまり、国家なき社会はアナーキーである。

我々の長期的な政治的・経済的目標は以下のスローガンに要約される。

  アゴラ・アナーキー・アクション!

我々が各人の自由を最大化する間、我々は国家とその特権階級に反抗するすべての人々の仲間である。これがレジスタンスのあるべき状態ではないだろうか。我々に加わろう!


推薦図書

理論
マレー・N・ロスバード『権力と市場』

戦略
サミュエル・エドワード・コンキン3世『ニュー・リバタリアン・マニフェスト』

見取り図
J. ネイル・シュルマン『夜とともに』

この小冊子は本来、故・サミュエル・エドワード・コンキン3世によってMLLのために書かれ、出版された。この新版は、ワリー・コンガー Wally Conger によって最小限更新され、編集されている。

(訳:前川範行)


注釈

(1)counter-economy はコンキンが発案した概念。国家的な経済システムである establishment-economy に対置する概念で、主に国家を回避した経済を指す。

(2)agora はコンキンが好んだ使った用語・概念。古代ギリシアの市場であるアゴラに由来する。