8.6ヒロシマ大行進

 2023年8月6日、広島県広島市にて大規模なデモが行われた。このデモは以下のような事情がある。つまり、岸田首相率いる日本国政府は、1945年8月6日の原爆投下からの教訓と反省を活かすことなく、核抑止論に迎合している。そのような行いは、戦死者・負傷者・被爆者・その知人や家族らの思いを踏みにじると同時に、新たな犠牲者を生み出す萌芽となるのだ。この着実に迫る国家の拡張と自己所有権の侵害に対抗するために、そして反戦反核のために、リバタリアン同盟はデモに身を投じたのだ。

 なぜ、リバタリアンが活動に身を投じるのか、改めて確認をしよう。自己所有権に依拠するリバタリアンにとって、自己所有権の侵害は不正であり、従って、同意なき財の奪取や暴行は不正なのだ。また、国家による徴税は自己所有権の侵害であり、徴税によって得た財によって新たな暴力を独占し、行使することで更なる自己所有権の侵害を行っている。日本国政府の存在そのものはもちろん、軍備増大や増税は剥き出しの権利侵害なのだ。

 では、リバタリアンはどのように、権利侵害を防ぐのか。様々な方法が考えられるだろう。研究とその成果の流布、SNS・ウェブを利用した広報、減税活動等が考えられる。これらはすべて行うべきものである。しかし、最も重大なものが足りていない。圧力である。教育活動のみでは限界がある。リバタリアンが説得を試みたところで、政府構成員と大資本家は応じない。彼ら/彼女らは国家的徴税と法規制によって市場への新規参入を阻害し、同意によらない財の占有を行う。我々の敵に対して行うべき手段は圧力の行使だ。話し合いによる解決は絶望的である。もし説得によって解決可能であったとしても、それは経済的・政治的な実力が対等なときだけだ。彼ら/彼女らは権利概念なき不正者であり、直接的な暴力と財の占有によって自らの存在と政治的・経済的実力を維持するのだ。

 圧力の行使はリバタリアンにとって伝統的な方法である。アメリカ独立戦争、スペイン内戦、20世紀のスチューデント・パワー、ティーパーティー運動、ダーク・ウェブ、これらすべては説得によるものではない。圧力によるものである。リバタリアンは教育と説得を重んじるが、最終的に敵に対しては圧力を講じるのが常であった。我々が何かをしないことには、リバタリアン社会へは到達しないのだ。それどころか、何もしなければますます彼ら/彼女らの思い通りに変容するのだ。

 上述の事情から、我がリバタリアン同盟は抗議の為にデモを行ったのだ。

(リバタリアン同盟)