Rothbard’s Time On The Left の勉強会

 2023年9月18日に、リバタリアン・サークルのディスコード・サーバーで、Rothbard’s Time On The Left の勉強会を開催した。参加者は、延べ8人程度であった。

 Rothbard’s Time On The Left は、ルイジアナ大学で歴史学を専攻している John Payne が執筆した論文で、その内容は、マレー・ロスバードが自覚的に左翼に傾倒していた頃の思想と時代背景を綴ったものである。

 日本で膾炙しているロスバードのイメージと言えば、ハード・リバタリアン、次いで晩年に右派ポピュリストになったという程度のものだろう。しかし、多くの人のイメージと異なり、彼は若い頃、共和党と新右翼に愛想を尽かし、反ベトナム戦争・反体制の観点から民主党と新左翼に接近したのだ。通常、(自称)リバタリアンは新左翼と彼ら/彼女らが有する概念に反することが多く、保守主義者や大資本家に迎合する考えを持つ傾向があると言えるだろう。しかし、それが本当にリバタリアン社会へ接近する方法なのだろうか。新左翼との共闘は有効だったのだろうか。現代において、そのような主題を考える際に、この論文は非常に有意義である。

 大まかな論文の構成は、①ロスバードと、ウィリアム・バックリーJr.率いる新右翼的『ナショナル・レビュー』との決別、②ロスバードの新左翼への接近、③民主社会のための学生運動 SDS の興隆と派閥争いによる退廃、④SDSと自由のための青年アメリカ人 YAF 内のリバタリアンによる急進リバタリアン同盟の第1回大会と瓦解、⑤筆者によるまとめ、となっている。

 論文の詳細は、原本を読むか、私に聞きにくるか、リバタリアン・サークル等で同じ勉強会の開催を主張するか等によって、ここ以外の場で知ってもらうとして、私なりの論文の要点を述べたい。まず、リバタリアンにとって、旧左翼と新右翼は敵である。具体的には、スターリン主義者と帝国主義者だ。彼ら/彼女らは、自分たちが関与する組織から両翼のアナキスト・反体制派を追放し、国家主義的方法――国家の拡大――によって、アナキストとリバタリアンの運動を滅茶苦茶にした。彼ら/彼女らにとって重要なことは、自由意志ではなく、国家なのだ。

 次に、リバタリアンと保守主義者の相性の悪さだ。保守主義は、既存の体制や慣習に依拠し、それらが破綻する直前に新しい体制と慣習を受け入れる思想だ。これを、今現在(そして当時)にあてはめると、政府と大資本家を肯定する思想となる。しかも、この旧右翼的保守であればまだしも、新右翼的なそれ、つまりネオコンは、他国に干渉することを是としている。単なる保守主義は、他の思想に追随することから分かるように、政治的負け組となるように宿命づけられているし、新右翼的保守は、国家主義そのものであるから、いずれにせよリバタリアン思想とは相容れない。リバタリアン保守主義なる概念がアメリカでは存在するが、結局のところ、バリー・ゴールドウォーターは、もはや清々しいまでの大敗北を喫し、彼ら/彼女らは融合主義★の崩壊と共にネオコンとネオリベに回収されてしまった。議会主義は人間を堕落させる。政府は人間を悪質なものへ変えてしまう。当初は、反体制的な思想を持っていた人も、「妥協」と議会での「お作法」を遵守するために、国家主義者へと改変させられてしまう。その意味で、リバタリアンは、非議会主義的な仲間を見つける必要がある。それが、1970年前後の新左翼と旧右翼の反戦闘争なのだ。

 結局、20世紀アメリカの新左翼と旧右翼は、数年で崩れ去った。Payne が述べているように、両者は究極的目標について同意している訳ではなく、現状に対する反抗という点で消極的に合致しているに過ぎない。新左翼内の闘争と、保守的リバタリアンと急進的リバタリアンの断裂も敗因である。では、どうすればよいのか。1つは、新左翼と旧右翼の統一理論を打ち立てることだが、これは、かなり難儀するだろう。それ以外だと、反スターリン主義と反帝国主義を明確に提唱する組織を作ることだろう。政府に回収されることがあってはならない。

 今後も勉強会を開催する予定なので、是非、非リバタリアンの方も参加していただきたい。

(前川範行)

 

★融合主義は、アメリカ政治(主に共和党)において、(道徳的)伝統主義、リバタリアニズム、反共主義の融合体である。20世紀共和党を支えた概念集合体だが、リバタリアニズムの脱落と、宗教右派の台頭によって、そのパワーバランスは変化している。