リバタリアン・ユートピア-2-

無政府な道路

  無政府主義者に対する批判で典型的なものは、無政府社会では「公共財」がうまく供給されないという、いわゆる「市場の失敗」批判である。対して、リバタリアンは、「公共財」なるものは市場で供給される上に、むしろ政府よりも消費者のニーズを反映するので望ましいと主張してきた。例えば、私的に所有された道路は、交通渋滞を改善し、多くの人に経済的利益をもたらす上、治安も改善させるので望ましい、というような議論だ。

 本稿では理論よりも、無政府社会での道路のあり方を素描することに重きを置くので、興味のある読者には脚注に掲載した文献⑴を推奨する。本稿は「無政府社会の中にはこんな制度やシステムが存在するかもしれない」程度の予測に過ぎないことも注意されたい。

無政府社会の有料道路

 無政府社会で道路はどのように供給されるのか?多種多様な方法で供給されるだろうが、典型なものは有料道路である。現在でも、有料の道路や橋、トンネル、ドライブウェイなどが市場で供給されている。このタイプの道路は、料金を支払わない利用者を排除することが可能であり、道路の利用度合いによって価格を調整することができる。そのため市場によって十分に供給されると考えられ、実際されてきた。

 企業は顧客から料金を徴収するために、有料道路の一定の区間ごとに自動料金収受システムや有人の料金所などを設置している。有料道路利用者は、道路から退出する際にET C等で料金を支払う。さらに、地域、曜日、時間帯、車種などで料金が異なる場合もある。これらはリバタリアン社会でも同じだろう。ただ、道路が民営化されれば、料金システムやサービスは市場競争によって一層の多様性を持つだろう。例えば、 GPSシステムを使えば、需要に連動して料金を変動させるpeak lord pricingの効率性がさらに上がる可能性がある。基準の金額(例えば軽自動車は5円/km)をあらかじめ定めておけば、道路の利用状況をリアルタイムで反映した割引金額を利用者に通知することによって、普段は他の移動手段を利用している消費者をも惹きつけることができるかもしれない。このことは観光道路ではさらに当てはまるだろう。料金変動制は道路利用者の過度な集中を分散し、移動の効率性を高め、価格を低く抑える。

 また、国家が所有する道路とは違って、有料道路の通行規制は支払いの対価(サービス)である。従って、道路所有者は自動運転システムを許可することも可能であるし、事故発生状況に合わせて速度制限を設定することができる。各企業家たちは競争相手の成功や失敗から、さまざまな情報を獲得し、我々の予想できないサービスを作り出す。

 複数の企業が道路を所有しているのであれば、道路の乗り換えが大変ではないか?確かに、いくらか取引費用が生じるかもしれない。しかし、我々は高速自動車国道から一般国道、都道福県道、市町村道など、さまざまな事業者の道路を日常的に利用している。同様に、各企業家が提携し利便性を追求するだろうと考えるのはもっともなことである。交通機関の乗り換え輸送は一つのモデルになるかもしれない。例えば、道路会社A・B・Cは同じ料金収受システムを採用し、利用者の利用区間を確定する。X氏の運転する車がA社の道路から入り、B社の道路を経由し、C社の道路から退出したとしよう。C社は区間A〜Cの利用料を X氏から徴収し、 A社とB社に利益を配分する。企業が取引費用をさらに低下させたいならば、月額制や年額制にすることも可能である。

 「道路を利用するだけで料金が必要だなんてとんでもない!」と言う人がいるかもしれない。しかし結局のところ、公営の道路は自動車関連税やガソリン税、その他の税金を支払っており、道路は有料なのである。

「無料の」道路

 では有料ではない道路、つまり「無料の」道路はないのか?あるとすればどのように供給されるのか?。各企業は、自己の利益のため、消費者に「無料の」道路を提供する場合もあれば、比較的小規模のコミュニティが契約して道路を共有化したり、通行権を相互に認める可能性がある。無論、無主物の土地はいくら出入りしようと自由である。

 わざわざ「無料の」と言っているのは、それは結局のところ消費者が道路の利用料を負担することになるからである。例えば、飲食店や小売店の前に面する道路の多くは、消費者の利便のために、店側が費用を負担するかもしれない。しかし、実際にはその店の商品に価格が転嫁されているということもあり得る。また、鉄道会社が管理開発を行うことで、駅付近の土地の通行料は家賃と共益費に含まれるかもしれない。鉄道会社は乗客者数を増やすためビルやショッピングモール、ホテル、マンション、観光地を開発している。また、高速道路網においてサービスエリアが発展したように、道路会社は交通量の多い場所に(もしくは交通量を増加させるために)施設を建設することができる。考えてみれば、集合住宅に住む人たちは、まさに他人の部屋・通路に囲まれているわけであるが、自分の部屋まで辿り着くことができる。なぜかといえば、共用部分などの費用を負担しているから。住民は定期券を買うよりも楽に道路を利用するに違いない。

 コミュニティの例は現行法下でもさまざまである。地域の自治会からヤマギシ会、京都大学熊野寮、前進社、子供の秘密基地などを想起せよ。リバタリアン社会では、互いの同意があれば、財産を共有することが可能である。

 現行の法制度では、通行権として通行地役権や囲繞地通行権が知られている。リバタリアンな理解では「他人の土地を通行する権利」なるものは存在しないが、袋地の所有者は囲繞地の所有者に契約を申し込むことができる。

忘れられた移動手段?

 道路の民営化の話では、主に自動車やアスファルトの道を想像することが多いが、移動手段は多様である。軽く上げても、自動車、電車、バス、タクシー、飛行機、自転車、徒歩、船、ヒッチハイク等々。このことは、交通手段を提供する事業者は絶えず競争にさらされる、ということを意味する。例えばある企業が、迷惑なことに、自身が管理する道路の利用料を著しく引き上げたとしよう。その道路を利用している交通会社は撤退せざるを得ないし、住民は引っ越すかもしれない。通信事業者や地方自治体が現に行なっているように「乗り換え割」を提示する企業も出てくるだろう。道路会社が市場を無視し料金を引き上げるなら、彼らが手にするのは誰も使わない土地である。

日常の交通

 都市部に住んでいる私(中条)は自分の財布や地域の特色などから住む部屋を決定する。私は共益費の対価として、仲介会社から周辺の道路を利用する権利が付帯した賃借権を得る。日常的な利用に関しては、自分の使わない道路の費用を負担せずに済むので私の財布は潤う。職場へ行くにしても既に所有している通行権を利用し、あるいは電車やバスを使い移動する。ある日友人は私を、契約していない道路を利用しなければ行けない場所にある遊園地に誘ってきた。しかし、その遊園地は「近畿道路株式会社」が経営する遊園地で、無料の送迎バスを提供しているので、なんの苦もなく遊園地に到着することができる。また別の日、友人は東京旅行へ誘った。私と友人は、最寄駅から切符を買い(あるいは夜行バスで)東京に赴き、東京のさまざまな交通機関を利用できる3日間フリーパスを購入し、目当てのイベントや美術館、ショッピングを楽しむ。

 このような日常はやや理想的過ぎるかもしれない。しかし、一般に考えられている道路売却のデメリットは誇張されているように思われる。

環境主義者、愛国者、フェミニストと民営化

 非リバタリアンであっても、道路の民営化に賛成することができる。

 例えば、私的に所有された道路は環境に良いかもしれない。なぜなら私的に所有された道路は、資源を効率的に活用できるからである。国家は「公共」事業と称してさまざまな開発を行い、資源を浪費してきた。一方、リバタリアンな社会では、多くの道路は価格メカニズムによって供給されるので、無舗装の道路から街路樹あふれる道路、歩道者専用道路や高速道路など、需要に基づき資源が投入される。税金により道路が整備され、交通機関への価格統制が行われている現在とは違って、各人は移動のコストを自分で負うことになるので、電車やバス、乗合タクシーの活用なども進むだろう。また、自然保護区などもさらに整備されるかもしれない。リバタリアンな社会では土地に対する課税は存在しないから。

 外国人が嫌いなタイプの愛国者は、同質的な仲間を集めて閉鎖的なコミュニティを運営することができる。地域住民が結束して自己所有権を行使し、その地域から「外国人」を排除できるし、「外国人」に福祉を提供する必要もない。

 フェミニストも同様である。男女平等や性的少数者の権利獲得を目指して地域住民で相互に契約できる。有志さえ集まれば、「女の法」や「女の町」すら手にすることができるかもしれない。

(中条やばみ)

参考

⑴帰結主義的な立場から道路の私有財産化を主張するものに『自由のためのメカニズム』、『無政府社会と法の進化』