LGBT理解増進法案が注目を集めている。この法案は、6月13日に衆議院で可決された。参議院を経て21日に成立する見込みだ。与党自民党も当事者団体も本法案に対して反対しており、左右両翼から反対の声が上がっている。ある反対派は「『不当な差別』や『多数派 が安心できる範囲で』という文言は差別を助長する。差別禁止法を作るべきだ」と言い、別の反対派は「トランスジェンダー女性を騙る不審者によって、女性の安心できるスペースが減る」と言う。また別の反対派は「この法案によって利権が増える」と言う。
本稿では、もともと、上記の衆議院可決法案を検討するつもりだったが、別の会派による「性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律案」(以下、本法案)(1)を検討した方がリバタリアンの立場を明確にできると考えるので、こちらについて検討する。リバタリアンは可決案に対しても批判的であることに変わりはない。
本法案の概要
本法案の概要を――リバタリアンの関心に沿って――説明する。本法案によれば、国及び地方公共団体(本稿では以下、政府という)は、この法律の趣旨にのっとり、性的指向又は性自認を理由とする差別(以下、LGBT差別)の解消等の推進に関して必要な施策を策定し、及びこれを実施しなければならない(3条)。行政機関等及び事業者はLGBT差別による社会的障壁を解消するため、施設・設備を改善・整備し、関係職員の研修等に努めなければならない(5条)。学校長はLGBTの理解増進のための研修、普及啓発をし、LGBT差別を解消し、当該差別によって学習環境が害されることのないように必要な措置を講じなければならない(19条)。政府は、LGBT差別等に関する相談に的確に応じ、及び支援団体による支援に係る情報の提供その他の必要な支援を行い、並びにLGBT差別等に関する紛争の防止又は解決を図ることができるよう、必要な体制の整備を図るものとする(20条)。21–22条は、政府が啓発活動を行うよう定めている。政府のLGBT差別に関わる事務は、性的指向・性自認差別解消等支援地域協議会(以下、協議会)を組織することができ(23条1項)、支援団体その他の団体、学識経験者、その他政府が必要と認める者を構成員に加えることができる。内閣府に、性的指向・性自認審議会(以下、審議会)を置き(27条1項)、審議会はLGBT差別を受けた者とその支援に従事する者、学識経験者の中から内閣総理大臣が任命する。
LGBT理解増進法のリバタリアンな理解
確かに、LGBT差別を解消したり、理解を増進するという本法案(建前)は、多くの人にとって「善い」ものかもしれない。しかし、以下で検討するように、それはリバタリアンな権利を侵害するのみならず、知識人や活動家に不当に利益を分配し、差別解消への逆効果を生じさせるだろう。
まず、第一に、本法案は自己所有権の侵害を拡大する。本法案に規定されている施作を実施するために必然的に税金が投入されるからである。「課税は強盗」というリバタリアンの理解に代表されるように、課税は必然的に自己所有権(ここでは主に財産権)を侵害する。また、税金を投入しないとしても、事業者が施設・設備を改善・整備するのであれば、事業者に負担を押し付けることになり、自己所有権を侵害する。
読者の中には「リバタリアンなのにLGBTの自由を尊重しないのか?」と考える人もいるだろう。確かに、リバタリアンは性的指向や性自認に基づく法的区別に反対するが、同様に、政府の介入にも反対する。その理由は、上記のように自己所有権に反するのみならず、以下で検討するように本法案が利権のために用いられ、さらに逆効果を報じさせると考えるからである。
第二に、本法案は知識人や活動家の利権となる可能性が極めて高い。まず、本法案の推進者と受益者を確認しよう。本法案の推進には――LGBT当事者もそうであるが――いわゆる左翼知識人や活動家が関わっている。本法案により利益を得るのは――LGBT当事者もそうであるが――協議会や審議会の役職を得る知識人や活動家である。これを前提とすれば、本法案に関して活動家や知識人は利害関係を有しており、本法案の正当性には疑問が残る――訴訟法において、裁判官の忌避が定められていることを想起せよ。このことを無視して、政策決定に右翼知識人が関わったとされる派遣労働法や、大阪の上海電力問題、「森友・加計・桜問題」を批判するのは首尾一貫性に欠く。
第三に本法案は、LGBT差別の解消という目的が妥当だとしても、その手段に疑問が残る。リバタリアンが政府を信頼しなさすぎるだけかもしれないが、検討する価値はあるだろう。
まず、(例えばLGBT差別に関する)知識や経験は偏在しているため、中央集権的な政府は、その情報を収集し活用することができない。政府を構成する議員は、選挙に当選し収入を維持するため、主に票田(ロビイストや圧力団体、利益団体)により情報を収集することになる。政府の持つ情報は偏っており、従って政策も偏らざるを得ない。同性婚に関して、一夫一妻的規範に回収されたくない同性愛者が存在するように、性的マイノリティの中にも様々な考えを持った人がいる。本法案を推進した人々が性的少数派の利害を代表するとは言い難い。
差別解消を理由に規制を課したり、インセンティブを操作することは当事者を市場から排除する可能性がある。自由市場では、同等の生産性を持つ労働者には同等の賃金を支払うよう経営者に圧力がかかる。ある会社に、生産性が同等の多数派と性的少数派がいたとしよう。本法案によって少数派の雇用に追加の費用が必要になれば、経営者は性的少数派を雇わないか、解雇するインセンティブが生じる。ところで、政府の失敗によって性的少数派が不利益を被っている例は多い。例えば、借地借家法は同性カップルに対して不利に働いている。同法は、貸主に強力な「保護」を与えることで、貸主のリスクを増大させる。賃貸物件の供給数は制限され、家賃・初期費用が高くなり、部屋の多様性がなくなる。加えて、貸主が借主を退去させるためには大きなコストがかかるため、貸主への事前審査は強くなる。女性労働者は平均的に収入が低いので、このことは特に女性同士のカップルにとって大きな負担になる――もちろん男性同士のカップルや、異性愛者も不利益を被る。
次に、本法案は人々を「納税者」と「税消費者」に分断し、性的少数者とそれ以外の人々の対立を生じさせる。税収や予算の拡大は、納税者の負担であると同時に、税消費者の利益になるから、両者は対立せざるを得ない。差別解消のために税金を投入すればするほど、納税者の負担は増大・維持される。従って、租税負担感の強い庶民階級は、自らの生活の不満を性的少数派に向けるようになる。少数派は社会的立場が低く、非難の対象となりやすいからだ。こうして、税負担に苦しむ庶民と、社会規範に苦しむ性的少数派の闘争が始まる。一方で、知識人と活動家は両者から税収入を得る。
平等主義者の間で交わされた論争に「再分配と承認のジレンマ」がある(2)。この問題は、アイデンティティを「承認」することが「再分配」を阻害する一方、「再分配」により差別(誤承認)が生じる問題だと理解できる。例えば「女性は」と言って、性的アイデンティティを「承認」すると、「女性らしい」労働――保育や看護の分野、育休や生理休暇などによる所得の低下――が固定化される。低技能労働者が就くことのできる割の良い夜勤業務の多くは、女性の「保護」を目的とする各規制によって、女性を労働市場から排除している。積極的格差是正によって職を与えたり、所得を分配すると「女ってだけで仕事が云々」とか「生活保護者は云々」「子育て世代は云々」と言って差別が生まれる。
これに対してリバタリアンは、そもそも政府の介入が様々な問題を引き起こすと考える。むしろ、文学や映像作品、その他の表現の自由な交流(表現の自由市場)こそが、人々の協力関係を生み出すのではないだろうか?上記で見たように、利害の対立は当事者に対する反感を生み出す――それが合理的か否かは関係ない。性的少数派の存在が認識され当たり前になるには、純粋に面白い作品や、感動的な作品の普及による方が反発は少ないだろうし、結局は本法案の目的も効果的に達成されるだろう。
差別概念の不明確性
LGBT差別禁止法を制定すべきだと考える人たちがいる。この人たちが言うには、「不当な差別」という文言は「正当な差別」の存在を意味するので不適切とされる。しかし、そもそも差別が何を意味するのか、全く不明確である。とりあえず、差別とは「その人の属性を理由に、異なる取り扱いをすること」とでもしておこう。
人間がある目的を達成するために行為し、行為には取捨選択を伴うのであれば、全ての行為は差別的行為である。例えば、今日の晩御飯を「カレー」にするか「シチュー」にするか迷っている人がいたとしよう。この人がカレーを選択するなら――少なくとも外形的には――価値順位は(カレー>シチュー)となり、カレーとシチューを差別することになる。好きな人と付き合うにせよ(この人>あの人)と言った具合に差別している。「いやいや、カレーかシチューの問題とは全く違う!性的少数者は不利益を被るのだ!」この時点で「『正当な差別(シチュー差別)』と『不当な差別』の区分を認めてしまっているのではないか?」という疑問はさておく。確かに、他人に不利益を生じさせる差別が存在する――同性カップルは異性カップルよりも賃貸契約で不利である等。しかし、それは性的少数者に限らないのではないだろうか?例えば、Aさん(女性)が交際相手として、Bさん(女性)よりも私(男性)を選んだとしよう。Aさんが、Bさんと私の性別の違いに着目して、私を選んだらそれは差別だとして非難されるべきだろうか?Bさんは、私がいなければ、Aさんと交際できたかもしれず、不利益を被っていると言える。Aさんは、こうした不利益から恣意性を排除するため、コイントスで交際相手を決定すべきだったのだろうか?否、Aさんは交際する相手を選択する自由がある。企業採用の場面でもBさんは、私の学歴や能力、見た目、受け答えの仕方と比較され、不採用になり不利益を被るかもしれない。企業は抽選で採用すべきか?このように、不利益の有無は差別を判断する基準とは言えない。
身体性の問題
本法案や修正案に関する世間の関心の一つに「身体的にも主観的にも男性である人が、女性用スペースに侵入するのではないか」という不安がある。法律から(直接的には)そのような帰結がもたらされるわけではないだろうが、実際のところ人間は法に従って行動するわけではない。法を破る人はいるし、本法案を盾に弁明する者も現われるだろう、ということは否定できない。
ここでも自己所有権は役に立つ。トイレや更衣室、公衆浴場などの性的区分を、その所有者に委ねたとしよう。各々の所有者は、自らの施設を顧客に利用してもらうため、利用者のニーズを反映するインセンティブを持つ。さらに、自らの顧客以外を無視できるため、その施設の利用者の情報(顧客の要望)を収集する能力が――政府と比べて――高い。自由市場は、女性用スペース(異性を排除するサービス)を適切に配分するだろう。
(中条やばみ)
注釈
(1) 衆議院「性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律案」https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g20805055.htm 、2023/06/21確認。
(2)平等主義者のナンシー・フレイザーは、「再配分」と「承認」が排他的な択一関係にあると見做すのは誤りで、「再配分か承認か」ではなく「再配分と承認」の両方が必要だという見解を示している。Nancy Fraser, Axel Honneth(2003)UMVERTEILUNG ODER ANERKENNUNG?, Suhrkamp Verlag. 加藤泰史 監訳(2012)『再配分か承認か?』法政大学出版局、pp.9-10参照。