[編集註]
本稿は Center for Stateless Society (C4SS) 掲載の “LeftLibertarianism: Its Past, Its Present, Its Prospects” https
://c4ss.org/content/28323 の翻訳である。
ロデリック・ロング
阿奈城なき訳
本稿(原題:Left-Libertarianism: Its Past, Its Present, Its Prospects)は、2014年9月8日から10日にかけて英国・マンチェスターで開催されたMANCEPT 2014でのワークショップ「リバタリアン哲学の現状(The Current State of Libertarian Philosophy)」の発表のために受理された論文の要旨/プロポーザルである
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ここ十年で、一般に「左派リバタリアニズム」と呼ばれる思想形態がリバタリアン界隈でますます目立つようになり、また議論されるようになってきており、実際に激しい批判を呼んでいる[1]。この左派リバタリアニズムの形態を、自己所有権(リバタリアンの側面)と自然資源の共有権(「左派」の側面)を組み合わせたピーター・ヴァレンタイン、ヒレル・スタイナー、マイケル・オーツカと関連づけた左派リバタリアニズムの立場と混同してはならない。より広範なリバタリアン運動のなかでは、「左派リバタリアニズム」は通常、ヴァレンタイン=スタイナー=オーツカの立場を指すのではなく、a)自由化された市場[i]、私有財産、自由放任主義(レッセフェール)へのラディカルな――ほとんどの場合、実際には無政府主義的(アナーキスティック)な――コミットメント、b)階級分析を志向して、階級性の強い職場、企業の支配、甚だしい経済的不平等は、国家統制主義と同類のものであり、また国家統制主義によって(特に、有利な企業が規模の経済の便益を享受でき、規模の不経済の費用を社会に負担させることの可能な規制によって)広くなされうる悪であるとして否定し、水平的な組織と労働者の自己管理を支持するもの、c)家父長制と女性嫌悪(ミソジニー)、白人至上主義、異性愛規範と同性愛嫌悪(ホモフォビア)、シスセクシズム[ii]、健常者優位主義(エイブリズム)といった社会的な特権の諸形態は、これもまた国家統制主義と同類のものであり、そして国家統制主義と互助関係にある悪であるとして闘うことへの関心、を組み合わせた運動のことを言う。軍国主義やナショナリズムへの反対、環境主義や国境開放の支持もまたその一部である。
この運動は、自らの左派リバタリアンという標語を、ヴァレンタインらが用いる比較的最近の言い方からではなく、ロイ・チャイルズ、カール・ヘス、マレー・ロスバード、カール・オグルスビー、サミュエル・コンキンといった人物の活動を通じて1960年代から70年代にかけて起こった自由市場リバタリアニズムと新左翼の間でのほんの束の和解から生じた「リバタリアン左派」から取っている。しかし、そのルーツは1960年代から70年代の左派リバタリアニズムにあるものの、目下の形態での左派リバタリアニズムは、ケヴィン・A・カーソン[2]、ゲイリー・シャルティエ[3]、チャールズ・W・ジョンソン[4]などの文筆家が貢献して現在の特色ある形となり、代表的なものとしてはリバタリアン左派連合(Alliance of the Libertarian Left)や無国籍社会センター(Center for a Stateless Society)といった組織のほか、Rad Geek People’s Daily、Invisible Molotovのようなウェブサイトがある。
今日の左派リバタリアンは、一方では社会的アナーキストから、他方ではアナルコ・キャピタリストから着想を得ている(ただし、これら2つの着想の源となる立場はそれぞれ、左派リバタリアニズムは自らの隠れ蓑であるとして斥けるきらいがある)。しかし、左派リバタリアンは、スティーヴン・パール・アンドリューズ、ヴォルテリーン・デ・クレイア、ウィリアム・B・グリーン、エズラ・ヘイウッド、トーマス・ホジスキン、ライサンダー・スプーナー、ベンジャミン・タッカー、ジョサイア・ウォーレンといった19世紀の個人主義的アナーキストの自由市場支持、反資本主義、反特権の立場に最も近い。(これらの思想家の多くは、自由市場に傾倒したにもかかわらず、資本主義的な特権に反対するため、自らは「社会主義者」であると考えていた。アンドリューズ、グリーン、スプーナー、ウォーレンに関しては、マルクス主義者が御しがたいこれらの個人主義者をすべて追い出す以前は第一インターナショナルのアメリカ支部のメンバーでさえあった)。さらには、クリス・マシュー・シャバラ[5]からもインスピレーションを受けている。シャバラの研究は、カール・マルクス、フリードリヒ・ハイエク、アイン・ランドという思いがけない3人組の間の親和性をつきとめ、政治的・経済的・文化的な現象の間にある体系立った弁証法的なつながりが重要であると強調している。ただし、シャバラの左翼思想とリバタリアニズムは、いずれも左派リバタリアンから支持されている見解よりも傾向としては穏健である。
左派リバタリアニズムをブリーディング・ハート・リバタリアニズム(BHL)[iii]と混同すべきでない。BHLとして、リバタリアニズムの自由市場へのコミットメントと左派の社会正義への関心との融合を表す限りでは、左派リバタリアニズムはBHLの部分集合とみなされるかもしれない。しかし、左派リバタリアンは、左翼思想においてもリバタリアニズムにおいても、BHL支持者を自認する人々の大多数よりもラディカルな傾向がある。(著名なBHLブログの主要な投稿者15人のうち、ここで議論している意味での左派リバタリアンは2人だけだ[iv]。)大半のBHL支持者は、リバタリアンへのコミットメントと左翼へのコミットメントを、少なくともある程度は互いに穏健にさせ合うものと考えているようなのだ。それに対して、左派リバタリアンは、リバタリアンへのコミットメントと左翼へのコミットメントを、主として互いに強め合うものと考えがちである。
例えば、多くのBHL支持者は最低所得保障法を支持することでリバタリアニズムを穏健にしているが、左派リバタリアンはそうした法律を支配階級が貧困層に規律を課すための道具とみなす傾向がある[6]。同様に、多くのBHL支持者は貧困にあえぐ労働者にとって「一番マシな選択肢」である搾取工場を擁護することで左翼思想を穏健にしているのに対し、左派リバタリアンは搾取工場を禁止することが労働者を害するという点ではBHLに同意するものの、搾取工場を称揚するのではなく、むしろ貧困にあえぐ労働者から搾取工場よりも良い選択肢を制度的に奪う社会的・政治的な構造を弱体化させようと努めるだろう。左派リバタリアンは、既存の経済制度が政府の介入によって不平等と特権の方向に大きく歪んでいるとみる性向が、BHL支持者の多数派よりも強い。関連して、左派リバタリアンは労働運動や労働組合をより強く支持する傾向がある。また、ほとんどのBHL支持者は政治的プロセスを通じた制度改革を支持しているが、左派リバタリアンはロビイングや選挙政治を重視せず、草の根の組織化を支持する傾向がある。BHLの主要な目的がハイエクとロールズの融合であるとすれば、左派リバタリアンの主要な目的はマレー・ロスバードとデヴィッド・グレーバーの融合であると言えるかもしれない。
左派リバタリアニズムとしばしば関連づけられる概念に「厚いリバタリアニズム」[7]というものがある。これは、リバタリアンの諸原則が論理的に含意するものではないが、それでも妥当なリバタリアンの主張の一部となるような形で概念的あるいは因果的にリバタリアンの諸原則と深く関わっているような特定の価値へのコミットメントがあるという考え方だ。例えば、これらの付加的なコミットメントのなかには、リバタリアニズムの最も妥当な弁論の一部であったり、それによって示唆されたりするものもあれば、リバタリアニズムの諸原則を適用する代替的な方法を選択するため、もしくはリバタリアン的な社会秩序を実現可能なものにしたり持続可能なものにしたりするために必要なものもある。以上のことは、ほとんどの厚いリバタリアニズム支持者にとって、こうしたコミットメントを拒否する人々をリバタリアンとはみなしていないということを意味するわけではなく、そうした人々のリバタリアニズムが完全には実現されていないことを意味している。
厚いリバタリアニズムは左派リバタリアニズムと入れ替えることができない。というのも、リバタリアニズムを実装するためには、例えば階級的に上位にある人々への服従という社会秩序が必要だと考える人々(そう、そのようなリバタリアンは存在するのだ!)は、厚いリバタリアンだが左派リバタリアンではないだろうから。しかし、ほとんどの左派リバタリアンは、フェミニズム、反レイシズム、労働者ラディカリズムといった「左翼」の価値観は、概念的にも因果的にもリバタリアンの原則と密接な関係にあるとみなしているのである。
この論文では、左派リバタリアニズムの起源をたどり、運動内部における現在地を述べ、そのアプローチが、左派でないリバタリアニズムやリバタリアンでない左翼思想よりも(厚みにおいて)優れていることを論じる。
(訳:阿奈城なき)
原註
[1]より広範なリバタリアン運動のなかでの左派リバタリアニズムへの批判の例――丁重で思慮深いものもあれば、激しく敵対するものもある――については以下を参照。
http://mises.org/journals/jls/20_1/20_1_5.pdf
http://mises.org/journals/jls/22_1/22_1_8.pdf
http://www.lewrockwell.com/2014/05/dan-sanchez/the-perils-of-thick-thinking
http://therightstuff.biz/2013/09/09/exercises-in-degeneration-the-c4ss-experience
http://www.christophercantwell.com/2014/03/18/left-libertarians-worse-racists
[2]Studies in Mutualist Political Economy, 2nd ed. (BookSurge, 2007);?Organization Theory: A Libertarian Perspective?(BookSurge, 2008);?The Homebrew Industrial Revolution: A Low-Overhead Manifesto?(BookSurge, 2010).
[3]The Conscience of an Anarchist: Why It’s Time to Say Good-Bye to the State and Build a Free Society?(Cobden Press, 2011);?Anarchy and Legal Order: Law and Politics for a Stateless Society?(Cambridge, 2012);?Radicalizing Rawls: Global Justice and the Foundations of International Law?(Palgrave Macmillan, 2014); ed., with Charles W. Johnson,?Markets Not Capitalism: Individualist Anarchism Against Bosses, Inequality, Corporate Power, and Structural Poverty?(Minor Compositions, 2011).
[4]“Liberty, Equality, Solidarity: Toward a Dialectical Anarchism,” in Roderick T. Long and Tibor R. Machan, eds.,?Anarchism/Minarchism: Is a Government Part of a Free Country??(Ashgate, 2008), pp 155-288; cf. his co-edited volume?Markets Not Capitalism?in the previous note.
[5]Marx, Hayek, and Utopia?(State University of New York Press, 1995);?Total Freedom: Toward a Dialectical Libertarianism?(Penn State University Press, 2000);?Ayn Rand: The Russian Radical, 2nd ed. (Penn State University Press, 2013).
[6]例えば、http://c4ss.org/content/25618を参照。
[7]この句の典拠については、http://radgeek.com/gt/2008/10/03/libertarianism_throughを参照。
訳註
[i]ウィリアム・ギリスは、「自由市場(free market)」という表現はそれが既存のものであるかのように聞こえるために、コーポラティズムや資本の不当な蓄積が個人間の自由な結びつきと競争の自然な結果であるという作り話が受け入れられてしまうと指摘し、代わりに「自由化された市場(a freed market)」と言うことを提唱している。(William Gillis, The Freed Market, 2007 (http://www.panarchy.org/gillis/freedmarket.html))
[ii]ジュリア・セラーノによる定義では、シスセクシズム(cissexism)とは「トランスジェンダーの人々の性自認や性表現を、(トランスでない)シスジェンダーの人々の性自認や性表現よりも正当でないとみなす性差別の諸形態」のことである。(Julia Serano, Excluded: Making Feminist and Queer Movements More Inclusive (Seal Press, 2013), 45.)
[iii]マット・ズウォリンスキーは、BHLを「不正義を矯め、慈善行為に携わり、相互扶助をはぐくみ、自由市場が栄えるよう促すことによって経済的に不利な状況にある人々のニーズにこたえることは、実際問題としても道徳的に考えても重要であると信じるリバタリアン」としつつも、BHLとは何かについてはBHLブログへの投稿者の間でも「現実的で本質的な意見の相違がある」とし、BHLは「練り上げられた教義というより研究プログラム」であると述べている。(Matt Zwolinski, About us, 2011 (https://bleedingheartlibertarians.com/about-us/); Matt Zwolinski, Bleeding Heart Libertarianism, 2011 (https://bleedingheartlibertarians.com/2011/03/bleeding-heart-libertarianism/))
[iv]2023年7月現在、BHLブログの主要な投稿者は17人である。