リバタリアン・ユートピア-3-:知的独占

はじめに

 リバタリアンな社会がどのようなものかを想像できなければ、リバタリアニズムに賛同することは難しいだろう。従って、本稿では理論よりも、リバタリアンな社会に存在し得る社会(小市場)の記述に重点を置く。「もしかしたら、こういう社会もあるかもしれない」程度に考えていただければ幸いである。本稿では「知的財産権」——以下では「知的独占」という——について想像するつもりである。

 リバタリアンは基本的に「知的独占」について懐疑的である。何故なら、他人のアイデアや作品を模倣しようと、なんら自己所有権を侵害しないからである。私が漢字を使おうが、ボタンを服につけようが、中国人も、ボタンを開発した誰かの子孫もなんの損害も受けない。むしろ——私の理解によれば——「知的独占」は、政府による独占権の付与であり、企業間の競争、知識の共有、技術的・文化的協働を阻害し、イノベーションや人々の交流を阻害する(1)。

 著作権や特許は①アイデアのコピーを販売する権利、②他人がそのコピーをいかに利用するかコントロールする権利で構成される。前者はモノ(原稿、CDや機械など)を売ったりする普通の財産権である。しかし、後者は「知的独占者」以外の人が作品(アイデアのコピー)をコピーしたり、それで儲けたりすることを禁じている。

反実仮想

 本稿では「知的独占」の害悪について詳述せず、反実仮想を用いることとする。即ち、「知的独占」がもたらすディストピアを思い描くことにより、その害悪を簡単に指摘することにしよう。

 まず、ウェブに特許が存在したらどうだろうか?仮に、ワールドワイドウェブ(WorldWideWeb)やリンク機能、HTML等について、ティム・バーナーズ=リーがその技術について特許を取得していたら?彼は莫大なライセンス料を得られたかもしれない。もっとも、そうなっていれば様々なブラウザ(SafariやCromeなど)は誕生しなかったかもしれないし、情報の流通は遥かに乏しいものになっていただろうし、広告だらけになっていたかもしれない。また、少数の権力者が、暴力やカネに物を言わせて恣意的な情報を流していたかもしれない。

 次に、メディア広告について考えてみよう。広告主から広告料を集め、低価格で新聞や放送を流したりするビジネスモデルについて特許が取得されていたらどうだろうか?その特許を有する企業か個人は莫大な富を得ただろう。例えば「反実仮想新聞」がその特許を持っていたとしよう。他のメディアは高い購読料かつ少数部の新聞を販売したり、有料で放送を流せる。同業他社は「反実仮想新聞」にライセンス料を支払って広告主を集めることもできる。そうなれば「反実仮想新聞」は他社より有利な地位を独占し、政府と手を組み、恣意的な情報を流しただろう。その規模は世界最大手の広告会社であるGoogleを超えるだろう。

知的独占なしの社会

 知的財産権がなければクリエイターの生活が成り立たないと考える人もいる⑵。しかし、「知的独占」がなくとも収入を得ることができるし、実際そうしている人々や業界が今もあるし、実際つい最近までそのような権利など存在しなかった。これはインターネット・AIが発展しても同じことである。

 創作者には先行優位性がある。創作者は、作品を誰かに直接売っても良いし、業者に委託して販売することもできる。例えば漫画家Xがいたとしよう。出版社なりプラットフォーマーは、今までのXの実績——過去の売上だったり、フォロワーだったりする——を勘案して、販売数、ダウンロード数、ビュー数などから得られる売上を予測する。Xの書いた漫画1話の予測される利潤が100円×1万部=100万円だったとしたら、買い手は0〜50万円くらいは支払ってもいいと考えるかもしれない。そして、創作者は一番良い条件の相手に売る。買い手が出版社であれば、その漫画を印刷し販売し、プラットフォーマーであれば、その話を公開する。もちろん同業他社はその漫画を無断転載したり販売できる。しかし、最初の出版社は「公認」のお墨付きをもらった上、先行者利益を得る。最初の出版社は「オリジナル」というプレミア価格分高く、早く、多く売ることが期待できる。創作物はセリにかけられるかもしれない。

 第一の買い手(編集者・プラットフォーマー・消費者)は、創作者に必ず対価を支払う必要がある。何故なら、創作物の「オリジナル」を世界で唯一所有しているのは創作者だから。第二の買い手(商品の購入者・海賊達)は、第一の買い手に対価を支払う必要がある。何故なら、その創作物の「コピー」(商品)を所有しているのは第一の買い手のみだから。同様に、第3、第4、5、6…。後続の参入者が得られる利益はゼロに近づいていく。ついには、あまり作品に興味のない消費者は、友人に頼んで見せてもらうなり、広告を視聴することでその作品を楽しむことができる。一方で、作品のファンはより早く、広告なしで楽しむため、更には作者の応援の意味も込めて相対的に高い対価を支払う。スポンサーやパトロンになれば、創作者の合意の下、ある程度作品制作に介入することもできる。もっと言えば、多くの創作者は、自己の作品・発明についてインサイダー情報を持つことになるだろうから、株を買っておけば十分利益を得られる⑶。もちろん投資は自己責任だが、その作品・発明が素晴らしいのならば儲かるだろう。

 さらに創作者自体が希少な存在である。サイン入りの商品や初回限定版、ファングッズ(円盤や書籍、Tシャツ等々)、ライブパフォーマンスなどにより追加の利益を得られる。自己の創作物の中に、実在する企業のロゴや製品を登場させることで広告料を稼ぐこともできる。

 「知的独占」のない社会において、多くの創作者は「無料で」大量のコンテンツを供給するだろう——現在と同様。それは、仕事を受注するための実績・ポートフォリオ作りかもしれないし、自作コンテンツの普及による長期的利益(有料商品の需要拡大やフォロワー獲得、自身のブランド化)が目的かもしれないし、広告で収益を上げているかもしれない。あるいはマネタイズに興味がないのかもしれない。

 「知的独占」なしの社会の良いところは、著作権管理団体だとか特許管理団体、知財法律家などに費やされていた資源や人材が有効活用され、創作者へ利益が配分されるだろうという点である。人々の収入が減るか増えるかは、その人の能力次第であるが。現行制度下では「知的独占」によって一部の製薬会社やバイオ化学メーカーが莫大な利益を上げる一方、法廷闘争やロビー活動に多額の資金を投入している。「技術開発のための研究費が高い」という建前とは裏腹に損益分岐点をはるかに上回る利益を出し、政府と協力し「知的独占」によって人々の権利を侵害している⑷。

思考実験

 私は、超高性能の計算能力を持ったコンピューターが、そこそこのピクセル数のイラストを記述し尽くしたらどうなるだろうか?という思考実験を行ったことがある。つまり、超高性能の機械もしくはその制作者が、その発明以降に世に出るすべてのイラストに対して「それもう既に私が描きました」と主張できたらどうか?AIイラストの登場によって、似たような状況が起こるかもしれない。MediBangPaintやAviutil、Brender、MMDなどのフリーソフト登場によって創作者の新規参入はますます増えている⑸。技術習得のための講座や解説動画も増えているし、見て技術を盗む(リバースエンジニアリング)も容易になっている。イラスト等の創作物は今までより大量に量産され増殖し、創作者はますます「知的独占」によってがんじがらめになることが予測される。

おわりに

 機関誌『リバタリアン』の記事は全て著作権を放棄している。あなたは、これをコピーして他人に配るもよし、卒論のネタにしてもよし、販売してもよし、私のクレジットを削除するもよし、なんでもして良い——「知的独占」を行使し我々を妨害したり、詐欺行為を行わない限り。

参考文献

Michele Boldrin, David K. Levine, AGAINST INTELLECTUAL MONOPOLY, 2008, Cambridge University Press. 山形浩生ら訳『〈反〉知的独占』(2010)NTT出版株式会社。

本稿は上の書籍を主に参照している。私の発想と彼らの発想がごちゃ混ぜになっており、もはや、ここの記述は彼らのアイデアで〜ここは私のアイデアで〜と区別するのは難しいので、特に注釈はつけていない。彼らも許してくれるだろう。

 ちなみに、原文と翻訳文はネット上で無料公開されている。かなり面白いし、研究が充実しているのでおすすめする。

原文:http://www.dklevine.com/general/intellectual/against.htm、2023/5/10確認。http://micheleboldrin.com/ 、サーバー応答なし。

翻訳:YMAGATA Hiroo「ボルドリン&レヴァイン『〈反〉知的独占』サポートページ」https://cruel.org/books/monopoly/, 2023/5/10確認。

またWikiも詳しい。Wikipedia「著作権の歴史」https://ja.wikipedia.org/wiki/著作権の歴史、2023/05/10確認。

⑴読者の中には「資本主義者なのに知的財産権に反対なの?」と思 われる方がいるかもしれない。しかし、「知的独占」は政府による 独占権の付与であって「国家資本主義」とか「国家社会主義」的な ものである。それはリバタリアン(無政府資本主義、最小国家論) な権利ではないと私は考える。古典的自由主義の森村進や、トマス・ ジェファーソンも知的財産権に反対している。

 森村進「知的財産権に関するリバタリアンの議論」。

 私は『〈反〉知的独占』p.4を読んで初めて知ったのだが、エドマン ド・バークも「知的独占」に反対だったらしい。

⑵これは実体験なのだが、「知的独占」を廃止すべきだと言うと、「知的独占」の支持者の中にはかなり感情的になって人格否定してくる人がいる——もちろん少数であるが。ちなみにその人は海賊版のアダルトコンテンツを楽しんでいた。ところで、海賊行為が跋扈するYouTubeや漫画ロウ、アダルトサイトは「知的独占」のない市場の手本になり得る。

⑶Yさんが虹色に発光する革新的ダイオードを発明したとしよう。現行制度下ではこの発明は企業に取られ、Yさんは特に儲けられない——技術者軽視である。しかし、リバタリアンな社会では、Yさんは企業に対して自己の発明を高値で買い取らせることができる。何故なら、企業は特許権を持たないので、Yさんは他の企業にその技術を流出させることができるから。企業はYさんを囲い込むため、自社株で対価を支払ったり、給与に対価を転嫁することで効果的に情報流出を防ぐ。

⑷日本が、種苗法や、TPPによる著作権の拡大をアメリカに押し付けられている現状は、リバタリアンにとって最悪だ。

⑸ちなみにBrenderなどのオープンソースのフリーウェアは「知的独占」なしの良い例で、寄付によって成り立っている。誰でも改造して販売することができ、追加機能が有志によって開発され、有料・無料に関わらず販売されている。