【書評】「リバタリアニズム」渡辺靖

概要

 本書はリバタリアニズムについて書かれた本であり、筆者はリバタリアニズムを「公権力を極限まで排除し、自由の極大化を目指す立場」で「人工妊娠中絶、同性婚に賛成し、死刑や軍備増強に反対するが(中略)社会保障費の増額や銃規制に反対するなど、従来の左右対立の枠組みでは捉えきれない」(1)と理解している。さらに筆者は日本の今後を考えるにあたって、日本における保守・リベラルをめぐる議論が表層的であり、「リバタリアニズムの考えそのものは過激だが(中略)思考実験しておくのは無益ではない」と評価している(2)。

 本書の目的は、筆者である渡辺靖によれば「拙著はリバタリアニズムの喧伝を企図したものではない。アメリカのリバタリアンの草の根の営為を通して、世界・現実・人生を意味づける際の思考の選択肢を提供」(3)することにある。

 本書の独自性は、筆者が執筆するにあたって「草の根運動としてのリバタリアニズムはこれまでに十分に調査されてこなかった」(4)ことを背景に、アメリカで実地調査を行い、「『ありのまま』の草の根のリバタリアニズムの動向理解」(4)を提供している点である。

筆者

 渡辺靖。1697年生まれ。1997年ハーバード大学大学院博士課程修了。アメリカ研究、文化政策論を専門。

 渡辺氏はリバタリアンを自称していないが、主要参考文献には多くのリバタリアニズム関連文献が挙げられており、その知識は確かなものである。さらに、彼はハーバード大学在籍中にノージックの議論を実際に見て、アメリカでの実地調査で多くのリバタリアンからも意見を聞き、生きた知識を得ている。

内容

 第1章では、アメリカのリバタリアン・コミュニティに焦点があてられる。まず初めに紹介されるのは、フリーステート・プロジェクト(FSP、自由州計画)という、ニューハンプシャー州に2万人が移住することを目標とした計画である(州のモットーは「Live Free or Die」)。同名のNPOが主催するポークフェスリバティ・フォーラムも紹介されている。次にシーステッド構想という、洋上自治都市(国家)の構想が紹介される(シーステディング研究所)。警察や消防以外の業務をすべて民間委託したサンディスプリング市も紹介されている。

 第2章では、現代アメリカにおけるリバタリアニズムの影響に焦点があてられる。スクールランド「のんきなジョナサンの冒険」、アイン・ランド水源」、ヨハイ・ベンクラー「協力が作る社会」(原著表題は「ペンギンとリヴァイアサン」)などの紹介や現地での会話を通じて、リバタリアンの政府や社会、自由に対する認識を解説している。ロン・ポールアイン・ランド協会、Bleeding-heart libertarian(慈悲深きリバタリアン)などの主張の違いに着目し、リバタリアン内部の多様性があることを示している。リーズン研究所やミーゼス研究所、経済教育財団などの解説を通じて、リバタリアニズムがアメリカに影響を与えている様子や、各団体の努力や困難が紹介されている。

 第3章では、リバタリアニズムの思想的系譜と論争に焦点があてられる。まずリバタリアンの一般的な分類(政府規模による分類と、自由の論拠による分類)が紹介され、それらの異なる立場でも共通する特徴が「強制によらない、自発的な協力や取引の基づく社会」や消極的自由を重視する点にあると述べる。リバタリアニズムの源流はヨーロッパにあり、アメリカで隆盛したと述べる。貧困・差別・平和に関するリバタリアンへの批判と反論、コミュニタリアンとの論争やリバタリアン・パターナリズムについても解説されている。

 第4章では、「アメリカ」をめぐるリバタリアンの攻防に焦点があてられる。リバタリアンによるレーガン大統領への否定的な見解、ゴールドウォーター上院議員の外交政策に対するリバタリアン内部での見解の対立が紹介される。リバタリアン党の綱領や刊行物に見られる見解、同党の議員や選挙の得票率、ヒラリー・クリントン陣営(民主党)によるフェイクサイトを用いた誹謗中傷攻撃などが紹介されている。ジョージ・メイソン大学内にあるシンクタンク「マルカタスセンター」「人文学研究所」、同大近くの「司法研究所」などを紹介している。筆者は、組織によらない脱中心化された運動が重要になるかもしれないと示唆する。後半ではトランプ大統領や、権威主義体制への分析・批判が紹介される。

 第5章では、リバタリアニズムの拡散と壁に焦点が当てられる。中国のシンクタンク「天則経済研究所」、香港のリバタリアン系シンクタンクである「獅子山学会」が紹介される。国際的なリバタリアニズム活動をする団体として「アトラス・ネットワーク」「モンペルラン協会」「リバティ・インターナショナル」「リバタリアン党同盟」などが紹介される。リバタリアン色の強いフランシスコ・マロキン大学や、無主地に建国したリベルランド自由共和国などのユニークな試みが紹介される。アイデンティティポリティクスやポピュリズム、マッカーシズム、リベラル国際秩序に基づく批判が大きな政府を招くのではないかとの懸念を紹介する。比較的リバタリアンに親和性の高いミレニアム世代の獲得がリバタリアンの課題であると筆者は述べる。

書評

 この本が素晴らしいのは(筆者の目的通り?)以下の点にある。

  1. リバタリアニズム的な思考枠組みを提供し、政治に対する私たちの認識を深めることができる
  2. リバタリアニズムが我々をワクワクさせ、胸躍らせる思想であることを伝えている
  3. リバタリアン政治運動の状況や豆知識?が興味深い

 1については、リバタリアンではない人に本書を薦める理由である。一般的に、政治を語る際には「左派・右派」とか「保守・リベラル」といった分類を用いることが多い。例えば、保守は愛国心があって国民意識が強く伝統を大事にし、経済政策と軍事費増強で強い国づくりを目指すとされる。また、リベラルは女性・性的少数者・外国人・障がい者・労働者・貧困者を大事にし、市場に積極的に介入し社会福祉が手厚く、外交的には平和主義で軍事費を削減するとされる。

 もしあなたが熱心な保守、もしくはリベラルを自認しているならこの本を読んでほしい。自分の支持する立場に賛成するにも、否定的な立場に反対するにも役に立つはずである。なぜなら、リバタリアニズムはその両方の考え方のある部分には賛成し、またある部分には反対しているからである。

 しかしながら、このどちらにも賛成し難い人は多いのではないか?日本の既存の政党に失望している人は多いのではないか?そもそも伝統を大事にすると言いながら、公共事業や土地開発に莫大な金額を流し込み、地域コミュニティを破壊したのは保守政党ではないのか?自由と平等を謳いながら、ポリコレや市場規制などを主張するリベラル政党は、結局、統制と貧困をもたらす国家社会主義と変わらないではないか?

 このような疑問を持つ人には是非ともこの本を読んでほしい。リバタリアニズムに賛成できなくても良い。この本が提供する政治への視点を獲得すれば、既存の政治・政党に対する考えはかなり違ったものとなるだろう。保守かリベラルか、という狭い視野から解放されることは間違いない。

 2については、リバタリアニズムに賛成しない読者にも、リバタリアニズムの魅力が伝わるのではないだろうか?思想を共にする数万人規模の移住計画、海に浮かぶ人工都市、市のほぼ完全な民営化、、、ユートピア的ではあるが夢のある計画で、我々をワクワクさせてくれる。リバタリアンが描く社会では、人を傷つけない限り、誰もが自由に暮らせる。しあわせを追求しようと思ったら、政府や警察に(頑固でおせっかいな親のように)口出しされ、禁止される社会なんか嫌だろう。

 本書はリバタリアンをもワクワクさせる。リバタリアンの様々なプロジェクト、数多くのリバタリアン系団体・シンクタンク、アメリカでのリバタリアン党の得票数の増加などが紹介され、リバタリアニズムが将来は一般的になるかもしれないと我々に思わせてくれる(楽観的・希望的であろうか?)。

 3については本書をぜひ実際に読んでみてほしい(もちろん1、2についても同様だが)。本書は実地調査に基づいているだけあって、いろんな写真画掲載されている(サンタの帽子を被ったハイエクのパネルも掲載されている!)。また、様々なリバタリアンの意見や、集会(フォーラム)などの空気感も感じられた。まさにありのままの草の根活動を紹介してくれているのだ。

 一方で(筆者の目的通りだが)アメリカの運動に焦点を当てているがゆえに、その射程は限定的なので体系的にリバタリアニズムが学べるものではない。加えて、本書は連載企画の文章を修正して書籍化したものなので、論理的に構成されているわけではなく独特の読みづらさがある(もちろん内容は信頼できるだろう)。また、日本人が本書の知識を活用しようとするのはハードルが高い。アメリカの運動に参加するために英語の能力が要求されたり旅費がかかったりするからである。もっとも、その知識を日本の政治状況・運動に適用することは(頑張れば)可能であろう。

 最後に、本書はコンパクトかつ分かりやすいのに内容はしっかりとしていて素晴らしい、中公新書らしい本だった。筆者の渡辺靖氏や中公新書に感謝の念に堪えない。

引用

  1. 本書カバー袖、中略は投稿者による
  2.  p199-200、中略は投稿者による
  3. p202
  4. p197