【書評】「自由はどこまで可能か:リバタリアニズム入門」森村進

概要

 本書は、近年「リバタリアニズム(libertarianism)」と呼ばれる思想が盛んに論じられ、社会的にも無視できない勢力を形成するようになってきたことを背景に、リバタリアニズムへの様々な疑問に答え、その全体像を平明な形で述べることを目的としている⑴。  

筆者

 森村進。1995年、東京生まれ。1978年、東京大学法学部卒業。現在、一橋大学院法学研究科教授。法学博士。専攻は法哲学。主な著書に『権利と人格』(創文社)、『財産権の理論』(弘文堂)、『ロック所有論の再生』(有斐閣)、訳書にデレク・パーフィット『理由と人格』(勁草書房)など⑵。

内容

 第1章と第2章

  森村によれば、リバタリアニズムは諸個人の経済的自由と財産権も、精神的・政治的自由も、共に最大限尊重する思想である。他にも、リバタリアニズムを「各人は各人自身の所有者である」という自己所有権のテーゼと同視する説明があるという。コーエンの定義によると、自己所有権テーゼは「各人は自分自身の人身と能力の道徳的に正当な所有者である。それゆえ、各人は他の人々を侵害しない限りで、その能力を自分の好きなように用いる(道徳的な)自由がある」というものになる(森村は別の文章で「自己所有権」は概念であり、「自己所有権テーゼ」は命題であるとして区別している)。

  森村はリバタリアニズムを以下の2つの論点によって分類可能だという。

   「いかなる国家(政府)までを正当とみなすか」について

  • 国家の廃止を主張するアナルコ・キャピタリズム無政府資本主義)、市場アナーキズム
  • 国家の役割を国防・裁判・治安・その他公共財の供給、あるいはその一部だけに限定しようとする最小国家論
  • ある程度の福祉・サービス活動も行う小さな政府を唱える古典的自由主義   

 「諸個人の自由の尊重を正当化する根拠は何か」について

  • 自己所有権に訴えかける自然権論
  • 自由を尊重する社会の方が人々が幸福になるという帰結主義
  • 理性的な人々であればリバタリアンな社会の原則に合意するはずだという契約論  

 第3章では裁判と刑罰の問題を検討し、ADR(代替的紛争解決)を高く評価しつつ、警察や裁判所の民営化も真剣な考慮に値すると述べる。

  第4章ではリバタリアニズムの国家(政府)観、社会観、自由市場観が説明される。森村は特権と権力を持った国家と、個々人の行動の総体である社会とを区別することが重要であると強調する。

  第5章では相続・扶養義務・婚姻制度が検討される。森村は相続税を「正当化しやすい税」であるとして(必要悪的に)擁護する。また婚姻制度を廃止すべきだというリバタリアンの見解や、子供の権利に対する様々な見解が検討される。

  第6章では財政政策・税制が検討され、国債によるインフレは失業の重要な原因であると喝破する。貨幣発行自由化論も紹介される。 

 7章で森村は、形成において自生的な秩序よりも、内容において自由な秩序が望ましいと主張する。

 8章では、リバタリアニズムへのさまざまな疑問に応えつつ、森村独自の見解が展開される。

 書評

 本書が、リバタリアニズムに興味がある人がまず初めに読むべき本であることは間違いない。全体を通してわかりやすい文章で記述されており、1章2章ではリバタリアニズムの基本的な概念が説明され、3章以降では幅広い分野の問題が扱われている。「本書ではこれらの問いに答え、リバタリアニズムの全体像を平明な形で述べたいと思います」という筆者の目的は達成されているといえるだろう。

   また、第8章「リバタリアニズムの未来」の項は、リバタリアンなら読んでおくことをおすすめしたい(もうすでに読んでいる方が多いだろうが)。ラディカルな思想を持つ者の宿命ではあるが、リバタリアンは共感者の少ない孤独な政治的立場にならざるを得ない。ナーブソンの「リバタリアンの敵は、無気力と、国家への愛着と、掛け声の欠如である。」という文言を紹介したり、「リバタリアンは極端だと考えられることを恐れてはならない」「政治と行政に受け入れられようとする現実主義的議論は、いつまでも世論に影響できず、かえってその変化を追認するだけに終わるだろう」などと言って勇気づけてくれる⑶。ロスバードも「自由の倫理学」において同種の主張をしており、ギャリソンの言葉を引用する「理論における段階主義は実践における永続である」⑷。

   一方で、森村氏の自説と、リバタリアン一般の主張とをもう少し明確に区別してもよかったように思う。森村氏自身が日本のリバタリアニズム研究の第一人者であって、読者(特に初学者)は彼の論文からリバタリアニズムを学ぶことが多いだろう。初学者が、森村式リバタリアニズムがリバタリアニズムそのものだと誤解しかねない。

   本書の記述は短くわかりやすいが、説明に物足りない感じがある。200ページちょっとの文庫本だから仕方ないのだが。より詳しくリバタリアニズムについて知りたい方は、本書の参考文献や「リバタリアニズム読本」を読むことをおすすめする。森村氏の思想について知りたい方は、多数の論文が無料で閲覧できるので、ネットで検索するのがおすすめである。特に相続税移民著作権の論説は読みやすいし面白い。


   内容についてであるが、特に第2章の「最大幸福のための臓器移植くじ(wiki)」と「眼球の再配分」の項は、私の哲学的好奇心を刺激した。 

 眼球の再配分とは「両方の眼球が健康な人の中から無作為で、国が選んだ人の片方の眼球を強制的に取り出し、両目とも見えない人に移植する」という仮想の制度である。

  もちろんリバタリアンは「私の体は私のものだ」と反論する。一方で、功利主義者は、これらの制度により多くの人が利益を得るので、また、平等主義者は、これらの制度が(生まれ持った)身体的不平等を是正するので、根本的な反論ができない。「この制度は良くない」という直感を論理的に説明しようとすれば、教義の自己所有権(私の体は私のものだ)を認めざるを得ない。 

 こうした思考実験は、リバタリアンではない人が自己所有権を暗黙のうちに受け入れているということを自覚させてくれる点で、有益だろう。もちろん、いきなりこんな話をしたらドン引きされるだろうから注意されたい。 

  自己奴隷化契約の問題について、森村は「現在の契約者とは別人になってしまった将来の当人の基本的な自由を侵害するものだから、その禁止は正当化できる」⑸としている。これは、人間を人生を通じて統一的な人格だと捉えるのではなく、人間のある時点での人格と、またある時点での人格を別人であると見る考え方に依拠している。全く別人(とまで言えるほど将来の自己)の身体的自由を侵害することになるので、危害原則に抵触し、不正だというのである。

  しかし、将来の自己は現に存在していないのに、侵害を観念することは可能なのだろうか?仮に、私がこれからコンビニに行けば、運命の女性と出会い、結婚し、子を産む未来が確定しているとする。現時点で、私がコンビニに行かないという不作為を選択することは、将来生まれたであろう子供の生命を侵害する行為だと言えるのだろうか?その行為が将来存在するかもしれない存在を侵害するから不正だとは、未来の不確実からして、言えないのではないだろうか?将来の自己は自己奴隷化に納得しているかもしれないし、後悔する前に死んでいるかもしれないし、別の地域に逃げて悠々と暮らしているかもしれない。

  また、森村の根拠から、私はマックス・シュティルナー「唯一者とその所有」を想起した。人格が一瞬一瞬変化するものだとも捉えられるだろうが、森村はどのようにして人格を時間的に区別するのだろうか。「全く別人になってしまった」時なのだろうが、それはどのように確認するのだろうか?ダイエットを決意した次の日にはラーメンを食べているのが、たいていの人間というものである。「私にはこの人しかいない!一生愛します!」と言いつつ1ヶ月で破局するのも、ありふれた話である。

  タバコなどの依存性物質を摂取することも、将来の自分を依存症にし、金銭を浪費させ、健康を害する。これと自己奴隷化契約をどう区別するのか?森村はそれが「基本的な権利」を侵害するかで判断するのだろうが、侵害の重大性で区別するのであれば、権利の利益説に接近するように見える。基本的な権利が自己所有権を指すのであれば、人格の時間的問題を持ち出さずに、「自己所有権は重要だから移転できないのだ」と言っているのと同じではないか?

 個人的には契約を「禁止」するのではなく、契約が「無効」であると解釈し、裁判所がそれを強制執行しないのが妥当であると思う。つまり、両人の合意が存続する場合には、両者がその契約を守ることになるから自己奴隷化契約は履行される。もし、奴隷側がこの契約から逃れたいと考えた場合には、契約の「取り消し」を主張することで自由の身となる。主人側がこれを認めないなら、主人側は人身の自由に対する罪を負うことになる。こうすれば、裁判において、契約が取り消されたか否かを判断する証拠は奴隷側の主張しかありえず、さらに奴隷側は裁判所で契約取消の意思表示をすれば足りる。もっとも、奴隷側が外部の世界との通信手段(訴えの提起)が可能であることが条件だが。

 参考・引用

本文全体を通して森村進「自由はどこまで可能か」を参照した。
  1. 森村進「自由はどこまで可能か」(2001)講談社新書, p3参照.
  2. 前掲1, 袖.
  3. 前掲1, p211-212.
  4. マリー・ロスバード「自由の倫理学」森村進 森村たまき 鳥澤円・訳(2003)勁草書房, p309.
  5. 前掲1, p62.