『新リバタリアン宣言』①

訳者による前書き

 『新リバタリアン宣言 New Libertarian Manifesto』第二版は、リバタリアン思想家のサミュエル・エドワード・コンキン3世 Samuel Edward Konkin III の主著である。本書は、コンキンの主たる思想である、対抗経済学<1>、ブラック・マーケット、アゴリズムについての著作である。
 コンキンは、急進的なリバタリアンであり、その思想、特に理想理論と経済理論はマレー・ロスバードと意見を同じにする。つまり、無政府資本主義的なリバタリアニズムと、オーストリア経済学がコンキンの依拠する思想である。しかし、コンキンはロスバードと異なる箇所もある。それが、アゴリズムである。リバタリアニズム、そして自由社会をどのように実現するかについて、ロスバードは主著『新しい自由のために For a New Liberty: The Libertarian Manifesto 』にて、多くの階級、特に中流アメリカ人による「圧力」をその中心に据え、リバタリアン党に加入した。さらに、晩年、自由実現のために自由以外の概念――ロスバードにとって、それは共同体・家族・宗教的価値観に基づく文化基盤だった――を不可欠とした(なお晩年のロスバードはリバタリアン党を脱退している。)一方、コンキンは、撤退的に党派政を批判する。彼にとって、党派は反リバタリアン的概念であり、一貫性に欠け、説得力を伴わないからだ。また、「コンキンとのインタビュー」にて書かれているように、自由リバタリアン党に加入したコンキンは、党の中央集権制を破壊しようとした。その意味で彼もまた「L」ではあるが、カウンター(対抗)の「L」である。
 言い訳がましいが、訳出の上で留保しておくと、コンキンは造語癖があり、また、いわゆるアカデミズムの住民ではないため、文章の書き方が「学術英語」ではない。そのため、翻訳は困難を伴った。随時、訳は改良することを事前にお伝えしておく。
 原文は、https://agorism.eu.org/docs/NewLibertarianManifesto.pdfにて閲覧可能である。
 なお、[ ]はコンキンによる注釈であり、<>は訳者による注釈である。
(前川範行)

新リバタリアン宣言

コーマン出版、1983
「正しくないけど、書いてみなよ!」と私に言ってくれたクリス・R・テームに捧げる。
以下のすべての人々に感謝する
・ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
・マレー・N・ロスバード
・ロバート・ルフェーブル
・そして、彼らの源泉となった人々

第一版は1980年10月にアナルコサミスダット出版によって、
第二版は1983年2月にコーマン出版株式会社によって出版された。

印刷:モーニングライズ印刷

目次

序文

I.国家主義:我々の状況

リバタリアニズム対強制。国家の本性。リバタリアニズムの構築と運動の多様性。国家の逆襲:反諸原理。自由への手段と非手段。裏切りと反応、行動、以上。

II.アゴリズム:我々の目標

目的、手段、目的と手段の一貫性。アゴリスト社会の素描。回復理論:賠償、時間の損失、不安コスト;固有の利点。アゴリズムの定義。異論の反論。

III.対抗経済:我々の手段

ミクロな活動とマクロな帰結。アゴリスト:対抗経済とリバタリアンな良心。「既存」経済の目的。着実な(理論的目的に関する)アゴリズムから国家への退行。ブラックとグレー・マーケット:無意識のアゴラ。「第三」、「第二」、「第一」世界の対抗経済の地位と最も下劣な例。北アメリカでの全商業分野の対抗経済、いくつかは特に対抗経済的。対抗経済の普遍性とその根拠。対抗経済と根拠の限界。インテリゲンチャと既存メディアの役割。対抗文化の失敗と成功への鍵。国家主義からアゴリズムへの諸段階と、市場保護のリスク。対抗経済の基本的原理。アゴリズムな対抗経済的半社会の見えざる成長の理由。

IV.革命:我々の戦略

未だ十分に栄えていない自覚的対抗経済、闘争とその支援。戦略なき不十分な闘争性。アゴリズムの成長段階が適切な戦略を決定する。常に適切な戦術。自由を企業する結社としての新リバタリアン連合[New Libertarian alliance, 以下、NLA]。リバタリアンな信条は新リバタリアンの戦術の制約。段階0:ゼロ密度のアゴリスト社会。良心の芽生え。段階1:低密度のアゴリスト社会。急進派と左派リバタリアン。反諸原理との闘い。国家主義の危機の予想。段階2:中密度、小濃縮のアゴリスト社会。アゴリズム的汚染に抑止された国家の逆襲。NLAが持続的になる見込み。革命情勢の加速。段階3:高密度、高濃度のアゴリスト社会。国家主義の恒久的危機。国家の最後の抵抗:革命。戦略は戦術と対抗インテリジェンスの遅滞を含む。(暴力)革命の正しい定義。段階4:アゴリスト社会と国家主義の不純物。国家の崩壊と、NLAの同時的解決。ホーム!

V.行為:我々の戦術

いくつかの戦術の列挙。戦術は文脈に応じて発見され、認められなければならない。活動家=企業家。(当時)我々のものではない場。国家主義左翼の崩壊からの機会。早すぎる党の裏切りからの機会。挑戦のまとめ。新リバタリアンの誓約と活発な最後:アゴラ、アナーキー、アクション!

初版への序文

 新リバタリアニズムの基本形態は、1973年に設立されたリバタリアン党との私の闘いの間に生じ、また、カウンター・エコノミクスは、まず、1974年の2月にロサンゼルスでの自由企業フォーラムで観衆に提唱した。新リバタリアニズムはリバタリアン運動とそのジャーナルの内外、最も顕著なのは『新リバタリアン誌』で、当時からプロパガンダを行っている。

 より重要なこととして、ここでの定められた活動(特に対抗経済)は、1975年以来、著者とその親密な仲間に実践されている。いくつかの新リバタリアンの「アナルコ・ヴィレッジ」は形成され、再形成されている。
 かつて、あなたは、宣言が伝道される前に実践されているそれを読んだことがあっただろうか?私はそうすることを望んだ。
 そして、そうした。

サミュエル・エドワード・コンキン3世、1980年10月。

第二版への序文

 アゴリストの出版物は、自由な市場で最も厳格に判断されるべきである。きっと、『新リバタリアン宣言』の初版が売り切れ、そして、企業家のイデオロギーと共に利益を発見する新鮮な企業家の手に取られる第二版が、読者であるあなたともにあるだろう。私の喜ばしい驚きと、市場の判断によれば、NLMが私の出版物のうち最も成功したものだ。

 理想の実態において、2年間はかなり短い期間だ。にもかかわらず、NLMへの攻撃は左派・中道のリバタリアンの出版物で発生しており、また、学生ネットワーク新聞のようなものは、最新の月のみ「あの風変りなコンキン」への忠誠の転向のことで、常軌を逸した章についてがみがみ言っている。対抗経済学とアゴリズムのエッセイと記事は、非左派(あるいは非アゴリスト的)リバタリアン出版物でかなり多く見られる。
 真に鼓舞する合図は、NLMを取り巻き、配布する南部カリフォルニア地域(そして北アメリカ、またヨーロッパでさえいくらかばら撒かれる)多くの対抗経済的企業家の発生だ。アゴリズム的「産業公園」は第二版が出版されるまでに、オレンジ郡で速やかに凝縮している。
 この継続的な満足感は、ぼんやりと楽しむものではない。それは、対抗経済(第三章、注釈3を見よ)の書き物であり、理論的大著の計画であり、『資本論』が共産主義者のマニフェストであるように、疑いなくアゴリズムのそれと称されるような、NLMに依拠した理論的ジャーナルの2号に対話を続ける著者に影響を受けている。
 私が伝道していることを実践し続け、実践を拡大する限り、私は初版の最後に付け加えるかもしれない。
 そして、わたしはいまだにそうしている。

サミュエル・エドワード・コンキン3世、1983年、2月。

『新リバタリアン宣言』への称賛

「コンキンの著作は歓迎されるべきだ。なぜなら、我々は運動に関して、より多くの多中心主義を必要とするからだ。なぜなら、彼は、考えなしの独りよがりに陥る傾向にある党派政支持者狼狽させるからだ。そして、特に、なぜなら、彼は深く自由について考慮し、リバタリアン運動のスタイルから外れているとされるものを読み書きできるからだ。」
 ――マレー・N・ロスバード博士

「私はコンキンの『宣言』を見るのが喜ばしいし、概して、一貫性、客観性、方法を尊重するその主張に関して、『宣言』を喝采できる…私は、それが「旧左翼」の構成員への強行的な影響力を持っているだろうし、そのような影響力を与えると信じている。」
 ――ロバート・ルフェーブル

国家主義:我々の状況

 我々は、仲間である人間に強制される。彼らは強制しないこと選択する能力があるため、我々の状況がそうである必要はない。強制は、人間の生命と達成感に関して、不要で、非効率で、不道徳である。次のような人たちの近隣の人々がそのような人たちに祈るように、怠惰になることを祈る人々は、多く選択する自由がある。この宣言は別の方法を選択する人々のためのものである。抵抗するためにだ。
 強制と戦うために、それを理解しなければならない。より重要なこととして、対抗することと同じく、取り合うことを理解しなければならない。隠れた反発は、すべての消極的な抵抗の原資の指示に隠れ、機会を分散させる。共通目標の追及は敵対者に注視し、一貫した戦略と戦術の形態を認める。
拡散する強制は、ローカルで直接的な自己防衛に最適に扱われる。市場が保護と回復のための大規模ビジネスを発達させるかもしれないにもかかわらず、暴力に対する手あたり次第の脅威は、犠牲者の考えに深く根差した神秘主義と妄想の根源にただ対処可能で、また、歴史的特異性の大変動点と大戦略、つまり革命を要する。
 強制の組織のように、手あたり次第の犯罪による信じがたいスケールの、抵抗の協調、犯罪と殺人の指示、不道徳の集権化が存在する。それは、暴徒の中の暴徒であり、ギャングの中のギャングであり、陰謀の中の陰謀である。それは、ここ数年[1980年前後]より前の歴史のすべての死者よりも、多くの現代の人々を殺害している。それは、ここ数年より前に作られた富よりも多く富が盗まれている。ここ数年より前のすべての不合理よりも多くの精神が――その生存のために――惑わされている。[それは]我々の敵、国家だ。[2]
 20世紀のみで、戦争はすべての以前の死者よりも多くの人を殺した。税とインフレは以前に生み出されたすべての富よりも多くの富が盗まれている。政治的な嘘、プロバガンダ、そして以上すべての「教育」は、すべての優勢な迷信以上の精神を捻じ曲げている。すべての故意の混乱と不透明化にもかからず、理性の糸は、国家のための強制執行のロープに編み込まれた抵抗の繊維/性質、つまりリバタリアニズムを発達させている。
 国家がその抵抗を分断し、征服する場で、リバタリアニズムは団結し、解放する。国家が曖昧にさせる場で、リバタリアニズムは明瞭にする。国家が隠匿する場で、リバタリアニズムは暴露する。国家が大目にみる場で、リバタリアニズムは責め立てる。
 リバタリアニズムはただ一つの単純な前提から広大な哲学を作り上げる。原初の暴力、あるいはその脅威(強制)は悪(不道徳、邪悪、悪い、極度に非実践的等)で、禁止される。それ以外の何者でもない。[3]
 この点の発達につれて、リバタリアニズムは問題を発見し、解決を定義する。国家対市場だ。市場はすべての自発的な人間行為の合計である。[4]もし誰かが非強制的に行為したならば、その人は市場の一部である。したがって、まさに、経済学はリバタリアニズムの一部となる。
 リバタリアニズムは、非強制に由来する人間の権利を説明する人間の本性を研究する。リバタリアニズムは以下のようなことに追随する。人間(女性、子供、火星人等)が生命とその他の財産――それ以外にない――に対する絶対的な権利を有するということだ。したがって、まさに、客観的な哲学はリバタリアニズムの一部となる。
 リバタリアニズムは以下のことを問う。なぜ、今、社会はリバタリアンなものではなく、国家、その支配階級、その偽装、そして、真実を示すために戦う英雄的な歴史家を発見したのか。
 哲学、特にカウンター・心理学としてトマス・スザス Thomas Szasz <2>につくれられた哲学は、国家の制約と自己束縛の両方からリバタリアン自身を自由にすることを求めるリバタリアンによって擁護される。
 国家の潜在的恐怖を表現し、多くの自由の可能性を推定する技芸的形態を追い求めることで、リバタリアニズムは既に現場でSFを発見した。
 政治的・経済的・哲学的・心理学的・歴史的・芸術的実体から、自由のパルチザンたちは、全体的で、統合的な、彼らの抵抗とその他の場を見つけ、また彼らが良心に気づくにつれて、彼らは一体になった。したがって、まさに、リバタリアンは運動になったのだ。リバタリアン運動は周囲を見まわし、挑戦すべきことを発見した。それは、海の深み乾燥した前哨基地から月面まで、あらゆる土地、人民、部族、国家そして個人の精神のいたるところに、我々の敵である国家が存在することだ。ある者は、国家の現在の支配者を打倒する権力を持ったエリートに対する他の対抗者と直接の連合を求めた。[5]ある者は、国家の代理人と直接の対立を求めた。[6]ある者は、投票にあまり反抗しないことを求める与党の人々との協調を追及した。[7]そして、ある者は、運動の構築と発展を行う大衆の長期に渡る啓蒙を定着させた。[8]どんな場でも、活動家のリバタリアン連合が生じた。[9]
 国家の高級サークルは、彼らの略奪品をもたらさず、反抗の最初の印で彼らの犠牲者へ財産を回復しようとしない。最初の対抗攻撃は、腐敗したインテリ・カーストに既に根付いた反原理から生じる。敗北主義、退避主義、最小国家、協調主義<3>、漸進主義、一元主義と改革主義、これらは、国家主義を「向上させる」国家機関の容認を含む!これらすべての反原理(逸脱、異端、自己破壊的で矛盾した信条等)は、後で扱う。最悪なのは党派政 Partyarchy で、国家主義的手段を通じたリバタリアンの目標を追及する反概念であり、特に政党が最たるものだ。
 「リバタリアン」党は、巣立ちするリバタリアンを飛び立たせない国家の第二のカウンター・アタックであり、まず、バカバカしい自家撞着として[10]、次に、侵略軍としてだ。[11]
 第三の対抗攻撃は、主要なリバタリアン組織(党だけではない)を買収し、他の富豪が資本主義国家のすべてのその他の政党を動かすように、運動を動かすアメリカ合衆国の最も裕福な資本家の一人によって企てられた。[12]
 このような国家主義の対抗攻撃の成功の程度は、腐敗したリバタリアニズムにおいては、「左翼」の運動の断裂と、他の運動の無効化の絶望にたどり着いている。「リバタリアニズム」に芽生える幻滅のように、幻滅はこの新しい問題に答えようとする。国家の外と同じく、国家の中の問題に対してだ。我々はどのようにして、国家とその権力エリートに使役されることを避けるだろうか?つまり、彼らは以下のように問う、我々が自由の経路以上のものがあると知るとき、我々は自由の経路からの逸脱を避けることができるだろうか?市場は多くの製品への経路と製品の消費を持ち合わせ、完全に予測できない。ここ(国家主義)からそこ(自由)へと至る方法を誰かが教えてくれたときでさえ、我々はその最良の方法をどのように知るだろうか?
 既にある者は、他の目標とずっと前に死んだ運動の古い戦略を蒸し返している。新しい経路は実際に求められている。国家への回帰だ。[13]
 不意であれ、計画的であれ、裏切りは続く。その必要はない。
 誰も、自由意志に基づく個人のための自由社会に的確に到達する一連の段階を予想できない一方で、自由を進歩させないものすべてを一撃で排除でき、また、市場の原理の適用は、確固として、旅の領域を緻密に計画する。ひとつの一直線の自由への見取り図であるような、一方的なものはない、もちろん。しかし、自由社会へのリバタリアンの目標へリバタリアンを誘うような、線で埋め尽くされた空間である、見取り図群はあり、その空間は著述可能である。
 一度目標が修正され、経路が発見されると、ここからそこへ行く個人の行為のみが残される。以上すべてから、この宣言はそのような行為を求める。[14]

(続)

脚注

[1]私はこの洞察のために、異なる結論を描くにも関わらず、ロバート・ルフェーブルに恩義を感じている。
[2]ありがとう、アルバート・J・ノック、あのフレーズを。
[3]現代のリバタリアニズムは、絶えず1年、あるいはそれ以上の日を、いかに最近のエディションにもかかわらず、『新しい自由のために』のマレー・ロスバードに最もよく説明される。おすすめのリバタリアニズムの最良の著作は、音楽の全ジャンルの中からおすすめのただ一つの歌を説明するようなものだ。
[4]ありがとう、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス。
[5]急進リバタリアン同盟、1968-71。
[6]1968-72の学生リバタリアン行動運動は、後に、プロトMLLとして蘇った。
[7]1972年に、共和国再建市民 Citizens for Restructured Republic は、革命に幻滅したRLA構成員によって作られた。
[8]個人的自由協会は1969年から存続。ランパート大学(現在消滅)、経済教育財団、自由企業研究所、これらすべては1969年のリバタリアン人口拡大期より前から存在している。
[9]最も重要なこととして、1969-73年のカリフォルニア・リバタリアン同盟。その名はいまだに、会議のスポンサーと、イギリスで生き続けている。
[10]第一の「リバタリアン」党は、1970年にカリフォルニアでガブリエル・アギュラーとエド・バルターによって設立された。メディアへのアクセスを得るための中身のない貝殻としてだ。(ガランボス主義者のアギュラーは断固とした反政治的な人だ。)ノーランの「リバタリアン」党<4>でさえ、その設立1年目はマレー・ロスバードに無視され、軽蔑された。
[11]
結果的に全米的に組織され、1972年に大統領・副大統領選挙でジョン・ホスパースとトニー・ネイサンを擁立した「リバタリアン」党は、コロラドで1971年12月にデイヴィッドとスーザン・ノーランにまず組織された。デイヴィッド・ノーランはマサチューセッツのYAFの構成員で、1967年にYAFと決別し、セントルイスでの1969年のクライマックス<5>を逃した。彼はこの本の初版[1980年]まで保守主義者かつ最小国家主義者であり続けた。
ノーランたちはむしろ潔白であったにもかかわらず、また、他の早期の組織と候補者がしばしばそうであったように、「党の質問」討論がすぐに始まった。新リバタリアン・ノートは1972年の春にリバタリアン党の概念を攻撃し、まさに選挙前にノーランとコンキン間の討論を始めた(NLM第15号)。
1980年の大統領選挙で、ノーランたちはエド・クレーンと彼の候補者であるエド・クラークたちのリバタリアン党の指導者と決別した。クレーンとクラークらは、高度の権力を持ち、多くの財産を持ち、伝統的な票集めと綱領の装飾運動を行った。
[12]
[カンザス州]ウィチタの石油王のチャールズ・G・コークは、彼の親族、財団、研究機関を通じて、1976年から1979年の間、次の組織を、買収、設立、あるいは「買い占めた。」マレー・ロスバードと彼の『リバタリアン・フォーラム』、ロイ・A・チャイルズ編集の(ロバート・ケファート設立の)『リバタリアン・レビュー』、ミルトン・ミューラーによって運営されたリバタリアン社会のための学生運動 Students for a Libertarian Society (SLS)、リバタリアン研究センター(ロスバード学派)とジョー・ペダン、ウィリアムソン・エヴァース編集の『探求』、ケイト―研究所、そして様々なコーク基金・財団・研究所。『新リバタリアン』第1号(1978年2月)で「コクトパス Kochtopus 」と名づけ、それはまず保守的リバタリアンの『理性』誌のエディス・エフロンの出版物に、「アナキスト的」陰謀の申し立てに沿って、攻撃された。左派リバタリアンの運動は、エフロンの反アナキスト的戯言から逃げ出し、運動の一元主義の成長の彼女の重要な暴露に対する彼女への支援を急いで行った。
1979年、コクトパスはロサンゼルス大会で、全国リバタリアン党を統制下に置いた。チャールズの兄弟である、デイヴィッド・コークは、明け透けに50万ドルでVP[副党首]を買収した。
[13]
マレー・ロスバードは79年のリバタリアン党の大会後すぐにコクトパスと手を切り、彼の親密な仲間たちのほとんどが『探求』のウィリアムソン・エヴァースによって追放された。CLS[リバタリアン研究センター]は、コークの財政的支援から打ち切られた。『リバタリアン・フォーラム』はコークを攻撃し始めた。ロスバーと若いジャスティン・レイモンド Justin Raimond は、リバタリアン党の新しい「急進派」を設立した(1972年から1974年の最初のものは、戦術の採用としてのNLAの創始者によって運営され、また内部からの党の破壊の為に運営された。)
ロスバードは、1980年7月のオレンジ郡の急進派のディナーのスピーチで、「コンキンは正しいのか?」と尋ねたにもかかわらず、急進派の戦略は新左翼と新マルクス主義者の戦術を用いたリバタリアン党の改革であった。
[14]
次のエディションはこの註が除かれていると私は願うが、現在の歴史的文脈において、リバタリアニズムは、すなわち、もしかすると若者・白人・よく参照されるコンピューター・コンサルタント・同じくフェミニストの仲間(そして1/2の子供たち)に典型化された北アメリカの最も「進歩し」、啓蒙された要素のためのものではないと指摘することが不可欠だ。
最も自由な市場のみが、苛酷な貧困と自己破壊的な迷信から「第二」、「第三世界」を起こすことができる。製品の基準に批判的に提起され、文化理解に関連した強制的試みは、反発と復元の原因となる。例えば、イランやアフガニスタンだ。ほとんどの場合、国家は自己向上の恣意的抑止に努める。
香港、シンガポール、(以前の)上海の自由港のような、上昇志向の強い人々が殺到する、疑似自由市場は強く企業家を動機づける。信じられないほど高く発展したビルマ[ミャンマー]のブラック・マーケットは、既に、全経済を動かし、ほぼ一夜にして貧困を絶滅させるための貿易の加速と、ネ・ウィン Ne Win <6>と軍を追放するリバタリアンの自覚だけを必要とする。
類似の観測は、発達したブラック・マーケットと、アルメニア・ジョージア・そしてロシアの対抗経済のような、ソビエト占領下の「第二世界」の寛容な半自由市場についても可能である。
[15]
第二版の注。上記の注釈はいまだに、悲しいことに、必要とされる。

訳注

<1>Counter-Economics は、後に本文でコンキンに説明されている通り、経済そのものに対抗するのではなく、あくまでエスタブリッシュメントの経済に対する経済である。なお、訳語に関しては、造語の元になったカウンター・カルチャーが対抗文化と訳されることもあるため、対抗経済(学)とした。
<2>Thomas Szasz (1920-2012)は、アメリカの学者、精神科医。
<3>一般に、collaborationism は、敵対勢力への協力という意味合いがある。ヴィシー・フランスがナチス・ドイツに対して行ったコラボらシオンが有名。
<4>原文は「 “L” P」。政党を伴う文脈の場合、リバタリアンの表記は大文字のLになる。
<5>1969年共和党セントルイス大会のこと。無政府資本主義的なリバタリアンが共和党から追放された大会であり、この大会を機に、20世紀アメリカの(リバタリアン社会主義を除く)リバタリアン運動が始まった。
<6>Ne Win (1910-2002)は、ビルマの独立運動を指導したビルマ社会主義計画党の議長。