『新リバタリアン宣言』⑤

『新リバタリアン宣言』⑤

行為!我々の戦術

 これまでの章で、ついでの形でいくつかの戦術を議論した。急進的リバタリアンとMLL[リバタリアン左派運動 Movement of Libertarian Left ] が建設的だと分かった少数の人は、主要な代替案によって発火した破局と、まだ急進的ではない集団の膨張を含む。強制(あるいは逸脱)と、目に見える抵抗と拒絶の対立。友人間の日々の個人的セールスマンシップ。情報と財を交換する夕食会として、また、前アゴラとして支援し、行為するようなリバタリアン社会集団。そして、もちろん、アゴリストの主張を交えた出版、演説、フィクションの創作[1]そして、多くの形態での教育的活動、例えば、教師、ビジネス・コンサルタント、エンターテイナー、修正主義的歴史家、アゴリスト的経済学者等。

 うまくいく戦術は発見され、利用され、伝達されるときのみ可能となる。ある時代で類似する条件を効率よく知覚し、戦術が機能した他の状況を見分ける人々がそれを利用するだろう。だがそれは、リスクでしかない。それこそが活動することであり、市場を推測し、需要を満たす企業家精神の一種である。誰かがよい推測を成すことに関してより良くなるだろう。それは、成功的な企業家をつくることだ。それが適用可能なら、フォン・ミーゼスの人間行為のすべてだ。

 試され、機能したものを見つけるために、コミュニケーションは必須である。もしあなたがこのページにたどり着いて納得し、抵抗を支持する願望と、強制に抗う鮮烈な必要性を欲するのであれば、あなたは今あるMLLかNLAへの用意があり、それは我々が今いる場(第4章)の段階次第である。あなた自身を自由にせよ。活発に。

 我々はどの段階にいるのか?1980年10月(初版)では、地球上のほとんどが段階0だった。ブリテン島、オーストラリア、そしてカナダは着実と段階1に向かっている。北アメリカは段階1だ。今日のリバタリアンの最も高く集中している南カリフォルニアは、段階2の初期の兆候にある。この情況の想定は覆られない。実際のアゴリスト社会――アナルコ・ヴィレッジ――の萌芽は実現可能な部分社会を凝集している。

 リバタリアン左派運動は、同盟内の機関や細胞のような、少数の点在している核があるカリフォルニアにのみ存在する。以前に示した新リバタリアン同盟は早期に発見され、また、NLAは客観的条件が自身を持続させるまで胚(あるいは細胞核)のままだ。

 MLLはそのために排除された機能を有する。外見上、「左翼」の世界規模の崩壊[2]は、国家による手におえない被害者を、郷土愛を用いて再びごまかす戦争へと猛進する存在である国家の競合的諸区分に対する制約を弱めている。反帝国主義、反戦、反徴兵運動と、新鮮で、活気づいており、イデオロギー的支援の放棄されたリーダーシップの確保は、リバタリアンが左派になる機会となっている。MLLは党派政と、この卓越のための一元論的要素と対決しなければならない。[3]

 とめどないインフレの瀬戸際から、不景気と回復へのアメリカの富豪階級の急傾斜は、かなり荒々しい振れ幅においても、かなり多くの無頓着なビジネスマンをパニックに陥れ、急進的で革命的な選択肢を考えるための安定性を修復する保守的確信を超えた上記のビジネスマンたちの良心を高揚させている。リバタリアン左派のみが「イデオロギー的」、非実践的主張に対して上記の企業家に説き伏せることができる。その中に我々の機会がある。

 本質的に、「リバタリアン」党は、1980年のアメリカ大統領選挙での危機に達した。クレーンとクラークの騒々しい日和見主義による、党派政に固有の国家主義の時期尚早な暴露は、左翼の反発だけでなく、右翼と中道の反発をもなんとか生み出した。[4]多数派の離脱は毎日繰り広げられた。[5]

 デンバー大会(1981年8月)でのコクトパスの追放と、非急進的な後衛を鎮める改革主義的要素の失敗は、アメリカ・リバタリアン党を劇的に挫かせ、MLLと反党派教育と対抗経済的活動家によって目を覚ました数千の新人を生み出すだろう。

 マニュアルとインスピレーションとしてのマニフェストをもって、新リバタリアンの戦略家と戦術家は、直面した条件と適合する新リバタリアン戦略と戦術を研究、開発、修正、実行するだろう。多くの作業が必要とされるが、諸計画は、非日常的作業が以下のものを提供する結果をもたらす。政治、課税、徴兵、経済的厄災、非自発的貧困、そして最終戦争での戦禍の大量殺戮の終焉であり、我々の敵である国家に対抗する社会だ。

 対抗経済は、国家主義的制約を放棄する人々のために、即時の満足感を与える。リバタリアニズムは、考えられる代替案以上に自己解放と個人的やりがいとともに満足感をたどる実践家を褒めたたえる。だが、新リバタリアンだけが、人間の本性を変えることなしに、道徳的で王的な人生の方法へと社会の改革を提示する。ユートピアは法規されるかもしれない。少なくとも、人類がある社会に適合する以上に、社会が人類に適合するように改造する方法についてのおぼろげな考えが我々にはある。どのような、より称えられる挑戦が提示されるだろうか。

 今、あなたが新リバタリアンへの道を選択するのであれば、我々の「3つのA」の誓いと鬨の声、あるいはそれに似たものである我々へと加わり、また、あなた自身をきちんと「3つのA」へと一新することを、あなたは望むかもしれない。

 我々は自由の効力を目撃し、複雑な自発的交換の入り組んだ美学に大喜びする。我々はその価値を最大化するために、極限が他の自我の権利を守ることがなければ、各自のエゴの権利を需要する。我々は無束縛の市場の時代、人間性の本質的で適切な条件、豊富な富、終末ないし限界なき目標、そして、すべてのための自己決定的手段を宣言する。それがアゴラ Agora だ。

 我々は、我々を原因として拘束するすべての人々に挑む。我々の足枷を粉砕する我々自身に対する攻勢の論証の失敗によってだ。我々は、何かしらに対して襲い掛かるすべてに正義をもたらしさえする。我々は、彼らの正しい条件への反発を耐え忍んでいるすべてを元ある状態に戻す。そして、我々は、我々の手段と社会、侵害者と正義の裏切者に対する保護者によって、時代の怪物である強制の似非正当化独占を、永久に葬り去る。つまり、我々は国家を粉砕する。これがアナーキー Anarchy だ。

 我々は、一貫した道徳性によってのみ制約された個人的極限に対して意志を行使する。我々は、我々に物質的に立ち向かうすべてと闘い、我々の意志を蝕むであろう反原理に対抗する。我々は、国家が粉砕され、人道性がそのアゴリストの地へ到達するまで、劣った資源であるか否かにかかわらず、そうした状況のままではない。今、正義と永遠の自由へのたゆまぬ願望への興奮とともに、我々は勝利する。アクション Action !

 アゴラ、アナーキー、アクション!

サミュエル・エドワード・コンキンⅢ

1980年10月12日、ロングビーチのアナルコ・ヴィレッジにて。

脚注

[1]

 例えば、J.ネイル・シュルマン(『クラウン』誌1979年、『エース』誌1982年)の『夜とともに』と、発表予定の続編。

[2]

 レオナルド・リッジョ(26)のような修正主義的歴史家たちが指摘したように、左翼は元々、原リバタリアンだった。フランス議会で、自由市場の擁護者のフレデリック・バスティア(27)は、ピエール=ジョセフ・プルードン(28)に次ぐ位置にあった。今日のマルクス主義者でさえ、アナキストを「極左」分子と言及する。リバタリアンとマルクス主義者分子は、第一インターナショナル(29)の終焉までおおよそ同じだった。マルクス主義者とその裏切り者の模倣者は、1890年代から優勢になり、ついには、2つのマルクス主義国家間の「不可能な」戦争である、中国によるベトナム侵攻と、ソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻、そしてチェコスロバキアの侵略のような新左翼の崩壊とともに、彼ら自身の信頼を失った。

[3]

 近頃だと、リバタリアン党の急進派とSLSのそれぞれ。

[4]

 現代リバタリアニズムの「右派」は見事に原理的だが、切断された原理の多くは反原理的で、漸進主義、保守主義、改良主義、そして最小国家論だ。『リーズン』誌とその第一線の機関紙は、その中心的機関である。「中央集権」はマレー・ロスバードと彼の擁護者を含み、今では、例えば内在的にではなく外在的に、クラークが「批判的に」支持したリバタリアン党の「急進」派の中に組織された。ロスバード的集権派は一元論を放棄することによって左翼に移行している。

[5]

 言及したように、マレー・ロスバード、南カリフォルニア党委員会代表ダイアン・ピータースン(30)、彼らの一触即発の背信であるこの著者を知らしめるその他は、もっと「裏切り」を起こすべきだし、それは起こるだろう。

  • 第二版の大事な註:そうなった。

 リバタリアン党の背信者たちの怯まぬしずくは、その時から数カ月間、MLLの要職に加わっている。少なくとも、ある最新の左派リバタリアン集団であるボランタリスト(31)は、さらなる党派政に対抗するために起ち上がっている。また、マレー・ロスバードは近頃、1983年9月にニューヨーク市で開催されるリバタリアン党の大統領候補者への指名で、コクトパスの残党とともにリバタリアン党の統制のために、絶体絶命の決戦を組織している。

(SEK3, 訳:前川 範行)

訳注

(26)

Leonard Liggio (1933年7月5日~2014年10月14日)は、アメリカの古典的自由主義作家、ジョージ・メイソン大学の教授。Cato Journal の編集委員等、執筆・編集作業に勤しんだ他、ロスバードとともに Left and Right を創刊した。

(27)

Frederic Bastiat (1801年6月30日~1850年12月24日) は、フランスの自由主義思想家、政治家。保護貿易に反対した。

(28)

Pierre-Joseph Proudhon (1809年1月15日~1865年1月19日)は、フランスのアナキスト、反マルクス的社会主義理論家。リバタリアンの祖であるジョセフ・デジャックに、女性差別主義者と批判される。

(29)

The First Workingmen’s International または、the Intarnational Workingmen’s Association は、1864年に設立された、アナキストや共産主義者等の社会主義者と労働組合の組織。マルクス派とバクーニン派の対立によって1876年に解散した。これ以降、マルクス主義者とアナキストは現在に至るまで対立関係に陥る。

(30)

Dyanne Petersen は、リバタリアン活動家、ライター。※情報収集中。

(31)

Voluntaryist は、自由意志を最大限擁護し、強制を廃絶しようとする思想。主意主義者とも訳される。リバタリアンの文脈においては、自由意志を侵害する政府を敵視し、その社会変革においても他者の自由意志を侵害しない方法を良しとする。